ブログの連続更新をやめてみたら、何となく落ち着かないのです。
連続更新も忙しなく、追い立てられる気持ちにはなるのですが、書き終えた時の達成感はそれなりに心地良いのです。
これは「ブログ更新中毒」の症状なのかも知れません。毎日更新するよりも、思い付くまま気の向くままには、かなり難しい気がしてきました。
「いつかそのうち」が、2、3日続くと段々と面倒くさくなり、「そのうち気が向いたら」となり、そして、「いつの日か気が向か無くなり」、そして、忘れ去り、無かったことにしてしまう・・・・・・。
まぁ。あまり深刻に考えなくてもいいのですが、書かない事は、考えない事、行動しない事、反応しない事に繋がりそうです。
これでは、老化が早く進行する恐れがあります。目標を決め、達成するための計画を立て、日々努力、精進するのは苦手です、兎に角、ボケないように、毎日の出来事に反応しょうと、思ってみたりする今日この頃です。
それで、今朝、NHKのニュース番組何ですが、そのなかで、「求めない」というタイトルの本を出した、83歳の「詩人?」のお爺さんが出ていました。
この「求めない本」、かなり売れているそうです。新聞に広告が載っていたのを見たような気がします。
その詩人は、自分にとって「必要以上のことを求めてはいけない」と、云っておりました。確かに求めなければ、叶わぬ時の不幸は生じません。
求める、そして叶わぬ時、不平、不満、恨み、辛み、嫉妬、悩み、憎しみ、憎悪、敵意、等々の悪い感情が心に生じます。
欲望のレベルを下げ、それなりの満足を得る。人はそれぞれの「分」に合った暮らしをする。
世の中の「端っこ」で囁いている程度であれば、問題はないと思うのですが、これが、「真ん中」で上に立つ人達が云い出したら「ヤバイ」です。
こういう「求めない」が、「求める」られるのは、世の中が「健康」なのか? それとも「不健康」なのか?
「必要以上のこと」を求めないが難しいのです。何処までが必要で、何処からが必要以上なのか? 物質的、精神的にもビミョーなところです。
以前に「清貧の思想」何てものが流行りました。この時の世の中は、「格差」は、それほど問題にはなっていませんでした。
今や「格差」ではなく、「貧困」が問題になってきました。
「必要なもの」が、求めても、求められない時代になりつつあるのです。
同じ番組で、労働組合の「連合」が、「非正社員への支援と組織化に最優先で取り組むとする今後2年間の運動方針を提案した」と報じていました。
あの「連合」も、「非正規雇用」を取り上げざるをえない状況になったのです。かなり、状況は悪化しているのです。
そんな中での、「求めない」生き方は、どのような意味を持つのか・・・・・・。
それではまた。
連続更新も忙しなく、追い立てられる気持ちにはなるのですが、書き終えた時の達成感はそれなりに心地良いのです。
これは「ブログ更新中毒」の症状なのかも知れません。毎日更新するよりも、思い付くまま気の向くままには、かなり難しい気がしてきました。
「いつかそのうち」が、2、3日続くと段々と面倒くさくなり、「そのうち気が向いたら」となり、そして、「いつの日か気が向か無くなり」、そして、忘れ去り、無かったことにしてしまう・・・・・・。
まぁ。あまり深刻に考えなくてもいいのですが、書かない事は、考えない事、行動しない事、反応しない事に繋がりそうです。
これでは、老化が早く進行する恐れがあります。目標を決め、達成するための計画を立て、日々努力、精進するのは苦手です、兎に角、ボケないように、毎日の出来事に反応しょうと、思ってみたりする今日この頃です。
それで、今朝、NHKのニュース番組何ですが、そのなかで、「求めない」というタイトルの本を出した、83歳の「詩人?」のお爺さんが出ていました。
この「求めない本」、かなり売れているそうです。新聞に広告が載っていたのを見たような気がします。
その詩人は、自分にとって「必要以上のことを求めてはいけない」と、云っておりました。確かに求めなければ、叶わぬ時の不幸は生じません。
求める、そして叶わぬ時、不平、不満、恨み、辛み、嫉妬、悩み、憎しみ、憎悪、敵意、等々の悪い感情が心に生じます。
欲望のレベルを下げ、それなりの満足を得る。人はそれぞれの「分」に合った暮らしをする。
世の中の「端っこ」で囁いている程度であれば、問題はないと思うのですが、これが、「真ん中」で上に立つ人達が云い出したら「ヤバイ」です。
こういう「求めない」が、「求める」られるのは、世の中が「健康」なのか? それとも「不健康」なのか?
「必要以上のこと」を求めないが難しいのです。何処までが必要で、何処からが必要以上なのか? 物質的、精神的にもビミョーなところです。
以前に「清貧の思想」何てものが流行りました。この時の世の中は、「格差」は、それほど問題にはなっていませんでした。
今や「格差」ではなく、「貧困」が問題になってきました。
「必要なもの」が、求めても、求められない時代になりつつあるのです。
同じ番組で、労働組合の「連合」が、「非正社員への支援と組織化に最優先で取り組むとする今後2年間の運動方針を提案した」と報じていました。
あの「連合」も、「非正規雇用」を取り上げざるをえない状況になったのです。かなり、状況は悪化しているのです。
そんな中での、「求めない」生き方は、どのような意味を持つのか・・・・・・。
それではまた。
「食」というのは一定のラインではないでしょうか。
「食べられる」うちはまだ、「清貧」なんて言ってられますが、そろそろ世の中危なくなってきましたね。
資本主義社会で「求めない」なんて自殺するようなもんですけど、こんな言葉も今じゃ「モノが余ってる世帯」向けの台詞じゃないか!という怒号が聞こえてきそうで怖いですね。
「格差」の問題から、「貧困」、そして「餓死」です。
「豊かな国ニッポン」は、ひとときの「まぼろし」だったようです。
それにしても、同じ時間帯で「大食い」番組をやっていました。
報道番組は「餓死」、娯楽番組は「大食い」、何たる皮肉。
しかし、餓死と大食いとボクシングを同時並行で見ている私って???・・・・・・。
今の世は情報だけは常に過多ということでしょう^ ^;