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成瀬巳喜男の『銀座化粧』で田中絹代で男と女と恋愛結婚!そして少婚・晩婚・難婚化で少子化に思いを巡らす

2016年02月24日 | 映画の話し
前回の続きです。

1951年公開の『銀座化粧』のお話です。

夜の銀座で美しく着飾り、化粧を施し、色香と酒と会話で、男を楽しませる女給達の、男と女の、恋愛、結婚、子供、家族、家庭、そして、それで、女の幸せとは?

そんな化粧の下に隠された、女ごころの移ろいを、こころの“ひだ”を描いた作品です。成瀬巳喜男としてはスランプを抜け出し、名作『めし』に繋がるキッカケとなった作品だと思います。田中絹代もこの作品で低迷期を抜け出したそうです。

それで、男と女の関係ですが、作品にはいろいろなパターンが登場します。

ヒロイン雪子は長唄の師匠の二階に間借り、師匠の旦那はバクチ好きで働かず、師匠に養ってもらう髪結いの亭主。

昔の女給仲間の一人は、男に囲われたお妾さんで、経済的な苦労はなく、愛や恋は別の男性との純愛で、心の平衡を保っている。

今の女給仲間の一人は、貧乏役者と結婚し子供もいて、経済的には苦労しているが、苦しいながらも楽しい我が家的生活。

雪子は、過去、お妾さんをしていたが、相手の男が経済的に困窮し、子持ちの女給生活に戻り、フツウの結婚、フツウの奥様、フツウの家庭への憧れを抱いている。

それで、結婚なのですが、ここでは恋愛結婚に憧れているのです。時代は1951年ですから、恋愛は少数で、多数派はお見合いなのです。

そうなんです。この恋愛結婚が曲者なのです。現在、問題になっている、少子高齢化の“少子”は、“少婚”が原因で、そのタネはこの時代に蒔かれていたのです。

現在“少婚問題”の原因の一つとして、非正規雇用の拡大もあげられますが、恋愛結婚至上主義が第一義的な問題だと、そう考えるのです。

少婚は“しなくなった”のではなく、できなくなったのです。男女ともに、結婚対象への要求が過大になってきているのです。

少婚化で、晩婚化で、男も女も社会的経験を積み、いろいろと結婚への条件が厳しくなって来ているのです。少婚→晩婚→難婚→少婚の負のサイクルに嵌っているのです。

恋愛も、結婚も、性格だとか、容姿だとか、体型だとか、趣味だとか、ファッションセンスだとか、経済力だとか、ライフスタイルだとか、互いに抱く夢だとか、かなり、かなり、面倒で厄介な、シロモノになったのです。

昔は、お見合いで、両親が、周囲が、相手を決め、当人同士の愛とか恋とかは関係なかったのです。一緒に暮らしていけば、それは、それで、それなりに情が湧くのです。

男と女がひっつけば、そかなり嫌な奴でなければ、それなりに暮らしていけるのでした。むかし、結婚は簡単だったのです。

愛だ恋だと、ムズカシイことを言い合うようになったのは、人類の歴史上、日本の歴史上も、遂、最近も、最近なのです。

そうなのです。日本で、愛だ、恋だ、恋愛結婚だと、一般庶民もそんな風潮に染まりだし、流行始めた時代が、1950年代なのです。かなり断定的ですが、まあ、そんな処で間違いありません。

それで、成瀬巳喜男監督ですが、この銀座化粧が1951年4月14日の公開で、原節子主演の『めし』が同じ年の11月23日の公開です。

『めし』は、堅気の夫婦で、熱烈な恋愛で、周囲の反対を押し切り、結ばれた夫婦。しかし、数年の歳月が流れ、愛とか恋とか、まったく関係のない、退屈な日常と、経済的な不満から、離婚を考え、そして家を出て、そして、それなりに元の鞘に収まる、と云った作品。

『銀座化粧』は、水商売の女性の、男と女、愛、恋、結婚、堅気の結婚生活への憧れを描いた作品。

女給雪子が望むの男性像は、美男で、教養もあり、優しくて、ロマンチストで、そして、そして、なんと云っても経済力もある、そんな、とても、とても、子持ちで、40過ぎでは有り得ない高望み。


そんな背景、そんな思いで、アレや、コレヤで、物語は展開していくのです。


きょうは、ここまでとします。


それでは、また。

コメント (1)
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