歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画“麒麟の翼”はそれなりに面白く!でもしかし残る不自然の数々

2014年11月12日 | 映画の話し
昨日、録画してあった“麒麟の翼”を観ました。

久しぶりのミステリーで、それなりに犯人捜しを楽しみました。

この手の定番として、最初に出て来る容疑者と云うか重要参考人は、犯人ではなく他に真犯人がいる訳です。ですから、重要参考の真犯人らしさと、真犯人を追い詰める細工の組み立てが見物なのです。

重要参考人と真犯人には、それなりの“いま的”な背景に、男と女とか、友情とか、父と息子とか、家族とか、普遍的問題とを絡め、物語として、奥行きとか、厚みとか、重みとかの味付けをすると、観客はそれなりに感動する訳です。

でも、しかし、そこに、人間として、こうあるべき的なメッセージを、面と向かって、胸ぐら掴んで、大声で叫ばれると、すべてがチープなお涙頂戴的な作品に変化してしまうのです。

それで、この作品、終盤までそれなりに謎解きを楽しんでいたのですが、謎が解けた後、「阿部寛」と「劇団ひとり」の取調室でのシーンが、この映画をお説教的お涙頂戴話に変えました。

何~~だァ、そう云う風にまとめるの!と、思ったら、いろいろと、あれこれと不自然な設定が気になり始めたのです。

①そもそもです、キーワードの“麒麟の翼”と云うタイトルを、何故?ブログ名したのか?まったく触れていない不自然。

②高校生がですよ、日本橋界隈の七福神巡りをする不自然。それに加えて、安産祈願で有名な“水天宮”が“水難”にも御利益があることを知っている不自然。

③コーヒーショップで会っていた相手が防犯ビデオに映っていない不自然。そもそも、夜の11時頃の日本橋で、息子の同級生と会う不自然。

④息子が水泳部を止めた時期と、“プールの事故”の時期が重なるのに、その時、何故、疑わなかった?父親が気付かなかったとしても、母親からの話があってもおかしく無い不自然。

⑤被害者が7~800メートルも、腹にナイフが突き刺さし、血を流しつつ、まだ宵の口の11時頃の日本橋界隈を歩いていて、不審に思う通行人が居ない不思議。

まあ、そう云うことで、あれこれと、不自然を感じた事柄を綴ってみました。

2012年制作、原作は“東野圭吾”です。それなりに面白い作品でした。それなりに惚け防止になりました。


それでは、また。


コメント (1)
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