歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

ポテトピザそして山谷初男

2006年09月30日 | 昔の思い出



時々、「ポテトピザ」が食べたくなります。
「ポテトピザ」と私が呼んでいるのであり、世間ではあまり聞いたことはありません。

今、ここまで書いてきて気になったので、チョット中断してネットで「ポテトピザ」を検索してみます。
少々、お待ちあれ。

えーと、ステータスを「下書き(公開しない)」をクリックして、えーと「投稿」をクリックだな・・・・・。

ハーイ。戻ってきました。ポテトピザはかなりポピュラーな食べ物の様でした。私の周りの人間達だけが知らないだけでした。

ポテトピザは2種類ありました。
一つは普通のピザのトッピングにポテトを使う物。
もう一つが、ピザの生地の部分がポテトで、その他は普通のピザと同じ物。
ただ、ポテトを千切りにしたり、半分にカットしたり、適当な大きさスライスしたり、切り方はいろいろでした。私が言うポテトピザは後者の方でスライスしたものを使用。

ここから、やっと本題に入ります。
ポテトピザが食べたくなると、必ず思い出すのです「あの人の名前」を、ところが最近は名前がなかなか出てこないのです。「あの人の名前」とは「山谷初男」なんですが、今回もこれを書くのに、「ハッポン・・・・愛称」「角館」「旅館の息子」は記憶に鮮明に残っているのですが、肝心の名前がでないのです。出てこなくても問題はないのですが、気持ち悪いのです。

今回、名前に辿り着くまでに、先ず、思い出したのがNHKの「朝の連続ドラマ」で「調理人」の役で2~3年前に出演していたのを思い出し、朝の連ドラから探し当てたのですが、連ドラを「ほんまもん」と記憶していて、「ほんまもん」の配役を見たところに載っていませんでした。「主要な配役」と書いてあってなので、彼は、そのなかに入らないのかと思ったのですが、良く考えてみると、「ほんまもん」は確かに食い物屋が舞台でしたが関西制作の連ドラで、確か「彼」が出ていたのは東京を舞台にしたドラマであったと気が付き、「東京、食い物屋」から、「こころ」を思い出し、「山谷初男」にやっと到着しました。おじさんの記憶はかなり壊れてきている。
今回調べてみて、これまで「ヤマタニ」と思っていたのが「ヤマヤ」ということが解りました。今までは「ヤマタニ・ハツオ」と呼んでいました。

それで、ここからです。
タイトルが何故?「ポテトピザそして山谷初男」なのかは・・・・・・。

二十五~六歳の頃でしたから、今から三十年ほど前の話しです。
山梨県大月市にあるスナックで私は「ポテトピザ」と始めて出会いました。
山梨には会社の出張で行っていました。
ポテトでも、アンチョビでも、ミックスでも、ピザが未だ私にとって珍しい食べ物であった時代です。
スナックのカウンターに会社の同僚(この同僚が誰だったのか記憶が消えています)と腰掛け飲んでいたのす。
店には我々二人しかいなかったと思います。
二人の会話が途切れたタイミングで、カウンターの中の女性(年齢の記憶なし)が、
おすすめの「ポテトピザ」があるけどと言われ、注文しました。
暫くしてピザができあがりました。
ピザを食べていると、
「このピザ。“ハッポン”ちゃんが好きなのよ」
二人で女性の方を見ました。
「ハッポンちゃん。来るのよこの店に、ハッポンちゃん。知ってるでしよ?」
私はピザを食べながら頷いたのです。
ハッポンちゃんが山谷初男であることは知っていました。
あの頃は、それなりに役者として有名でした。

どうして?ハッポンちゃんが山梨の大月の小さなスナックに来て、ポテトピザを食べるのか、女性とどういう関係なの?
私も聞かなかったようで、女性もそれ以上のことは話さなかったと記憶しています。

その為か。
「ハッポンちゃんが、山梨の、大月市の、小さなスナックで、ポテトピザを食べていた」記憶だけが鮮明に残ったのです。

最近、山谷初男を観る事はあまりなくなりました。あまりと言うかまったくありません。ウィキペディアで調べたら、ポツリ、ポツリと今でもテレビ・映画に出演していました。
東北なまりで、純朴そのもの、善人の見本のような役柄を演じていましたが、そんな人間が現実社会から消えてしまった為に、彼のような役者の出番が無くなってしまったのかもしれませんね・・・・・・。
彼も、もう70歳になっています(1935年生まれ)
日本の文化遺産かもしれない。

    さてと、ポテトピザを作るぞー!


  ※写真は、柳橋です。本文とは関係ありません。 (^^;)
コメント
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