歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久を歩く 着きました“シャトーカミヤ”です。

2009年01月28日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

駅前から牛久市の代表的な観光名所を目指します。

駅の側なのですが、田舎っぽさが漂う通りです。突き当たりを右に曲がります。


道なりに歩きます。


カッパのマンホール! 「かっぱの里・うしく・おすい」です。“おすい”が“汚水”であ事に気付くのに一瞬間がありました。


平仮名の“おすい”、漢字の“汚水”、ここは、やはり平仮名の勝ちです。汚水は見ただけ、聴いただけで“バッチイ”です臭ってきます。

それにしても、この“カッパマンホール蓋”は、牛久市内で始めて見ました。後にも先にも、この一枚だけでした。

もしかして?他の蓋は無彩色で気付かなかった? ここだけ、特別に彩色された“特別彩色仕様おすい蓋”だったのでしょうか。

もうすぐ、目的地に到着です。ミニスカの女子高生は狙って撮った訳ではありません。偶々です。下校時間にぶつかったのです。

もしかして? 駅裏の、浅間神社の、脇の坂を上がっていた、あの時の二人連れ? まぁ、それは、イイとして、目的地の看板が小さく見えます。

そうです! 牛久と云えば、これです! 


“牛久シャトー”です。“牛久シャトー”だと思っていたら、最近?は、正式?には“シャトーカミヤ”と云うそうです。

それでは、シャトーの中に入りますも、入場料はいりません無料です。入ってすぐに目に付くのがこれです。


“最後の晩餐”です。タイルに彩色して焼き上げたのでしょうか。何で、ココに、“最後の晩餐”なの?

晩餐には“ワイン”が付き物でから、“ワイン繋がり”でしょうか?


煉瓦造り、洒落ています。異国情緒です。


1903年(明治36年)に造られたのですから、今から105年前です。去年6月に国の重要文化財に指定されたそうです。

へぇーと思いました。もう、だいぶ前から重要文化財に指定されていると思ってました。


105年前にこの建物を見た“一般庶民”はビックリしたことでしょう。何たってついこの間まで“ちょんまげ”を結っていた時代ですから。

それにしても、あの時代に。こんな建物を造れるのですから、ワインを醸造して、販売して、相当に儲けたようです。


この奥の建物が元醸造工場です。今は記念館?、資料館?


中庭にを囲んで、レストラン、ベーカリー、ワインの販売所なんかがあります。


元醸造工場は“神谷傳兵衛記念館”と、なっていました。


さて、記念館を覗いてみますか。

この先は、次回とします。


それでは、また明日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く “駅前で空を見つめる子供達は?”

2009年01月27日 | 牛久市の風景
昨日の続きのような、そうで無いような、兎に角、牛久を歩いています。

やっと、常磐線牛久駅前に到着しました。こちらは、水戸街道の反対側で、方角的に東口になるのでしょうか。

ありました! 駅前のブロンズ像、よくある子供の像です。しかし、よくある“可愛い子供達”とは、ちょっと違うようです。

女の子と、男の子が二人。女の子と腰掛けている男の子は、どちらが年上なのか判別出来ません。身体の大きさから、同級生の友達のようです。


男の子二人は兄弟で、女の子は、お兄ちゃんと同じクラスの友達かも知れません。

それにしても、この女の子は、左手を腰にあて、右は何かを掴むように相当力が入っています。


そして、3人は空の一点を見つめています。


眼に迷いがありません、3人そろって一つの目標に向かっています、強い意志を抱き、何が何でも成し遂げそうです。

意志の強さは伝わるのですが、意志の中身が見えてきません。この子供達、ボンヤリ眺める事を憚る空気を辺りに漂わせています。

子供だからと侮れません。ホントに、とても、可愛げのまったく無い、特に女の子の立ち姿が異様です。

君達、もっと身体の力を抜いて下さい、見ていると疲れます。こんな緊張した子供達を誰が制作したのでしょうか?

“嫌なガキ”に見えてきたので、素早く立ち去りました。何たって子供は可愛くなくちゃねェ。

すぐ脇にある、誰も居ない広場。ガラスケースの掲示板が壁に並んでいます。


何も貼られていない掲示板。コンクリ打ちっ放しの壁、雨に打たれ、流れ出た鉄骨の錆び、落ち葉、苔むし腰の曲がった老木。


それでも、ここで何かのイベントが開かれると、それなりに華やぐのでしょう。普段は、ひっそり、寂しく、静かに、賑わう時を待っているのです。

静かな駅前を離れ、辺りの様子を探ります。

有りました! “十割そば”


そば粉十割がァ!、そんなに旨いのかァ! 

すいません。つい興奮してしまいました。どうも“十割を売り”にするそば屋を見ると、過去の悪夢が蘇るのです。 

でも、しかし、価格を見て驚きました、十割としては安いのです!

じっくり、落ち着いて眺めてみました。店の外観、店内の様子、どう見ても“立ち食い”の雰囲気。


立ち食い蕎麦、スタンド蕎麦で、“十割”なのです。ホントに?

立ち食いは“早い・安い”がコンセプトです。客は味わいよりも、安く早く、空腹感を満たすことを求めています。

旨い蕎麦を食べたい時は、それなりの店で、それなりの雰囲気で、それなりの料金で、ゆっくり味わうのです。

それなりで無い店で、それなりで無い雰囲気で、それなりで無い料金で、慌てて喰って、どうするの?

まぁ、兎に角、それにしても、十割を看板に掲げる蕎麦屋に旨い店はありません、材料はあくまでも材料、美味しくするのは“加工技術”なのです。

技術で材料をカバーするのは可能ですが、材料で技術をカバーするのは難しいのです。

まぁ、そんな、こんなを考えながら、牛久と云えば、もう! ココ!と、云った場所に向かっています。

それでは、また明日。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く ”レストランはカレーと華麗”

2009年01月23日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

牛久駅を目指して歩いています。

インド料理の店が新規開店です。


高~い塔に掲げられた看板には、“プリンス インド レストラン”に、“プリンス”と“インド料理”の看板。

店の入り口の上に掲げられた看板には、“インド家庭料理”とあります。“プリンス”が店名なのでしょう。


家庭料理で“プリンス”ですか? 何かとても違和感があります。それにしても、今時、ずいぶん花輪を並べたものです。遠くからは絶対に“パチンコ屋”だと思われます。

こちらインドレストランと比べて、ぐっとシックで、そして“華麗”なレストラン。


黒の外壁に、白の窓枠、そして、鮮やかな赤のドア。


ドアの前に立ち、金色のドアノブを握り、真っ赤なドアを開けるとき、かなりドキドキ感がありそうです。

この外観から、内装もそれなりに凝っているのでしょう。そして、出される料理は、外装にも、内装にも、負けない、ワクワク、ドキドキの華麗なる料理の数々?

“今日のランチ”は1000円です。ニッポンとイタリアとフランスの合体メニュー。

デザートに“ぷち”を付け、お客様に過大な期待を抱かせない、細かな配慮がなされています。店側の、それなりの、誠実さを感じます。


“本日のランチ”の表現と、どちらに高級感、お洒落感、美味しそう感、お手頃感、お得感、満腹感があるのか?

う~ん。“今日と本日”には、そういう諸々感とのつながりは・・・・・・?、無さそうでした。

そんな、つまらない事を考え考え、駅に向かって裏道を歩いていると、疎らな木々に囲まれた“浅間神社”が現れました。


参道の鳥居の前には、参拝者の行く手を阻む違法駐車。そもそも、ここは交差点で駐停車禁止区域です。

神をも恐れず、道路交通法をも恐れず、大胆で不敬で不法な行為です。きっといつの日にか、神罰と罰金が課せられる裁きの時がくるでしょう。

それにしても、参道の石段の雑草具合から、訪れる参拝者はかなり少ない様子。


わたしは、石段をあがり、小さな祠の前でお賽銭を入れ、参拝してまいりました。

神社の脇の坂道を上がると駅前に出そうです。女子高生の二人連れを追いかけるように坂を上がります。


やはり、駅前に出ました。


牛久市の玄関に辿り着きました。何があるのでしょうか?


それでは、また明日。


いや、今日は金曜日なので、また来週でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く “市の重心は東側”です。

2009年01月22日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

牛久の市街地に入り、そして狭い路地を歩いています。

住宅地の突き当たりをみると、柵越しに覗くと何故か「電信柱」が林立しているのです。


何じゃこりゃ?と近づいて見ると、


遠くに、時々町中で見かける、あの作業車とあの作業服が、


あれは、関東?では名の知れた電気工事の「関電工」です。でも、ここは、工事現場ではありません。

林立する電柱の多さ、遠くの作業状況、これはもしかして、関電工の「作業訓練場」かも?

広場の端には、宗教色を感じさせる、獅子と、石碑と、十三層塔が建っています。


かなり危険な作業もあるため、工事で殉職した社員に対する供養施設でしょうか。

広場の様子を窺いながら柵沿いに表通りに出ます。かなり立派な建物。


やっぱり、関電工の「教育研修センター」でした。こんな牛久の、こんな処に、こんな施設があるとは、まったく知りませんでした。


関電工の前には、とんかつ屋さん、


斜め前には、フィットネスクラブが、この辺は、駅からかなりの距離があります。


牛久の町は、常磐線を土浦方面に向かって、左側に水戸街道があり、右側には幹線道路がなく、それほど開けていないと思っていたのです。

でも、しかし、右側の市街化は、奥へ奥へと、広く深く進行していたのです。常磐線に平行して広い通りが何本か市街地を通っているようです。

市役所も、牛久郵便局も、常陽銀行も、つくば銀行も、牛久シャトーも、みんな、みんな、こちら側にあります。

牛久市の“重心”は右側(東側)にあったのです。

とんかつ屋とフィットネスクラブの間を抜けて駅前を目指します。こんな、マンションが、


でも、しかし、マンションのすぐ先には、こんな風景が、なのです。


道の先には、市民の森。まだまだ緑が残っています。


この解説板を眺めていたら、


ホンモノの蜘蛛が!


自分のことが載っていない事に気付き、自らの身を晒しているようです。

森を抜け、視界が開け、遠くに高層マンションが見えてきました。あの下辺りが牛久駅です。


これから、牛久の中心街になります。

それでは、また明日。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く “暴力追放宣言都市”

2009年01月21日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

“ふれあい通り”を歩いています。

牛久市の「広告塔?」です。外装の鉄板が吹き飛んで、錆びた鉄骨が覗いています。寂しい風景になっています。


「平和宣言都市」とか「暴力追放宣言都市」とか、市町村がそんな宣言をやっているのよく見かけます。だいぶ昔からの流行のようです。

それで、“暴力”の方なんですが、偶に見かけるのです。飲食店なんかの入り口に「暴力団関係者及び、身体に入れ墨のある方の入店はお断りします」何て貼り紙。

あれって、もし、該当する方が入店して来た場合、どう?応対するのでしょうか?いくら何でも

「オィ!外の貼り紙が読めないのか? さっさと出て行け!」何て、とても、とても、云えませんよね。

暴力団だから、彫り物を入れているから、何て理由で入店を断るのは人権問題にならないのでしょうか?

暴力団は周りが勝ってに呼んでいるので、本人達はそのように認識していないので問題無いと思います。

しかし、「入れ墨」と云うより、「彫り物」関係者にとっては、明らかに人権侵害にあたると思うのです。

そのことで、関係者が裁判に訴えた話は聞いた事が有りませんが・・・・・・、まぁ、あの貼り紙は単なる“お呪い”なんでしょう。

それにしても、あの貼り紙は何故か「その筋関係」の飲食店に見かける気がします。あれは、もしかして、その筋関係で何か別な隠語的な意味があるのでしょうか?

その筋、あの筋関係はこれくらいにして、カラオケ店の隣が焼き肉店。それなりのパターンです。

映画館があって、焼肉店があって、ホテルのパターンもあります。


信号を左に曲がります。


季節創作料理とあります。清澄の文字を見て「ちゃんこ屋」さんと思ってしまいました。


清澄→白河→両国→国技館→大相撲→ちゃんこ・・・こんな連想です。

でも、HPを見たら、和風レストランで、懐石料理がメインのお店でした。ちゃんこ屋さんではありません。

しかし、和風で懐石なのに!ですよ! 店の真ん前の、真っ赤な幟に、白抜きで“ハンバーグ”です。ハンバーグの威力は相当なものです。

清澄の前には、お煎餅屋さん。この「将門煎餅」は我が家では有名なのです。しかし、こんな処に支店があったとは知りませんでした。坂東市に本店があります。


煎餅はとても堅焼きなので、かなり歯が丈夫でないと危険です。私は最近、ここの「揚げ餅」が気に入っています。

この日は、店を横目で見て通り過ぎ、脇道に入りました。町中は脇道、裏道、狭い路地がイイのです。

この先は、次回。

それでは、また明日。

※本日よりブログのデザインが変更になりました。私の意志ではありません。見た目をあまり変えたくないので、最小限の変更にしました。

行の幅に写真のサイズを合わせてみました。写真が大きくなり、見やすいと思います。

只、見る側の設定条件で、文字の大きさ、写真の大きさが変わるので、見た目がどうなるかは判らない点もありますが・・・・・・。

まぁ、そんな事でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く “店仕舞の風景” 

2009年01月20日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

狐につままれた思いを残しつつ、“女化道標”を後にします。

田舎町?の、町はずれの、街道沿いの、建て売り住宅。そこそこ売れているようです。それなりに、今風のデザイン。


こちらはアパート、色使いもデザインも派手です。ここは、田舎町、町はずれ、街道沿い。


こちらも、よく見かけるデザインのアパート。ニッポン全国みんなこんな風になって来ます。


こちらは「店仕舞」した不動産屋でしょうか? 屋根の上に「プレハブ小屋」を乗っけて、看板なのでしょうか“LOVE”の文字。


「愛」だけでは、経営は成り立たなかったのでしょう。それにしても、すべてがバラバラの印象。

店仕舞した居酒屋。こちらは「リキ」が入り過ぎ。


ここで左折します。


こちらの建物、一部蔦に被われ、全ての窓に観葉植物が並べられ、室内の様子を窺うことができません。


こんな環境では、陽も当たらず、湿度は上昇し、躰には良くないと思って見ていたら「細胞呼吸学園」とあります。


学校のようです。「スーパー呼吸法」であらゆる病を治すそうです。呼吸法も良いけど、この中で吸い込む空気は、躰にとても良くない気がします。

まぁ、それなりの構えですから、それなりの学園なのでしょう。でも、私には、「へぇー。何だか、とっても、良さそう」何て事で、ドアを開け中に立ち入る勇気は湧きません。

いつまでも眺めていると、「何だか、とっても、悪そう」なので、立ち去ります。向かいは「只の食品スーパー」です。スーパーの先を右折します。


広い通りに出ました。


「ふれあい」です。最近、ホントにいろいろなところに、この言葉が「くっついて」います。


「ふれあい通り」と云っても、行き交う人達が皆さん、ふれあい、触りあっている訳ではありません。知らない人に勝手に触れると警察に連れて行かれます。

店仕舞したガソリンスタンド。


“ラブラブ洗車”とあります。やはり、経営戦略に誤りがあったようです。


お隣も、店仕舞した“お好み焼き屋”です。


メニューがあります。


“もんじゃ”もやっていたのです。


「お好み焼き」と、「もんじゃ焼き」の価格差30円は、水分量のようです。それにしても、お好み焼きに、水を加えたら「もんじゃ焼き?」

この発想の安易さが、経営のすべてに現れ、そして店仕舞へ・・・・・・。

価格は低く目に設定されている感じ? まぁ、現物を見て、味わってみないと判りませんが。


ここまで歩いて来て、不動産屋に、居酒屋に、ガソリンスタンドに、お好み焼き屋・・・・・・いろいろなお店が、“店仕舞”をしていました。

“この辺にも”と云うか、“この辺だから”と云うか、“そんな、ことだから”と云うか、それなりに不況感が漂っていました。

私の方は、ただボンヤリ、気楽に漂っています。

まだ、まだ、牛久をウロキョロ歩きます。


それでは、また明日。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く “彷徨い、佇み、沁みてくる”

2009年01月16日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

“カントリーロード”を歩いています。

まだ、もう少し、こんな景色がつづきます。


この寒いのに釣り人が、


ここにも居ます。


以前、この辺りで、小学生の兄弟が釣りをしていたので、下に降り釣りの様子を見ていたことがあります。

その時の兄弟と話した事を思い出しました。二人とも、“はい”とか、“そうですね”とか、妙に言葉が丁寧だったのです。

その時、釣った魚を見て驚いたのです。どう見ても“ハゼ”に見えるのです。あの海に居るハゼです。

川にも上っても来ますが、いくら何でも、こんな田圃の水路にまで、絶対に上ってくる訳が無いのです。でも、少年達は何の疑問も抱かず、田圃で“ハゼ”を釣っていたのです。

あのとき、弟が“明日はお父さんと潮干狩りに行くんです”と話してくれました。そんな季節の頃でした。

後で調べたら、“田圃のハゼ”は確かに存在しました。淡水に生息するハゼの仲間だったのです。まったく知りませんでした。

この釣り人達も、田圃のハゼを釣っているのでしょうか、でも、しかし、あのときの季節とは異なるのですが・・・・・・。


冬枯れの田圃、静かで、寒そうで、寂しそう・・・・・・。


一人彷徨い、一人佇み、一人漂う・・・・・・。冬の寒さが躰に沁みてきます。これも、また、ひとつの“季節感”


そろそろ、市街地に近づきます。


カントリーは“ロード”ではなく、“ライン”だったようです。ずっと、“ロード”と記憶していました。


交差点を左折して、牛久市街に向かいます。

右側の角の建物は、お蕎麦屋さんです。一度入ったことがあるのです。店内の造作はそれなり店なのです。

蕎麦の味は“そうか。うん。まぁ、そうだよなぁ”と、云った味です。

左折して市街を目指します。


それでは、また来週。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く “しつこいぞ!橋銘板”

2009年01月15日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

6号線を外れ、龍ヶ崎方面に向かう立体交差、常磐線も跨いでいます。こちらが牛久駅方向になります。遠くに、微か~に、筑波山が見えます。


こちらが、歩いて来た佐貫駅方向です。


立体交差の上は大型貨物が列をなして就寝中、長距離トラックの労働環境はそうとうに厳しいようです。


すぐ先には、最近できた“サッカーの練習場”


“FC常総アイデンティ”とあります。J1の下のJ2?、そのまた下のJ3?そんなの無いか? それにしても、チーム名が“アイデンティ”とは如何に?


“牛久大仏”の案内看板と同じく、左に曲がり“カントリーロード”に入ります。この道には、カントリーロードの名称が付いているのですが、それを示す看板は見あたりません。


信号を左折、どうですか? カントリーな雰囲気がするでしょう。偶に車で通るのですが、何処か遠くの観光地に来た気分を味わえます。


この道をまっすぐ、まっすぐ行って、突き当たりを左に曲がり、その先の信号を右に曲がり、道なりに暫く走ると、左手に、あの“ポティロンの森”があるのです。15分ぐらいです。


道の両側はこんな感じ。


“カラス瓜”がぶら下がっています。


一瞬、この“ばばだいばし”の文字を読んで、漢字が思い付かず、音の感じから、ずいぶん“汚い”イメージを抱きました。


白鳥さんには申し訳ないのですが、何とも“バッチィ~”名前です。反対側には漢字表記で、“馬場台橋”とあります。表音文字より、表意文字です。


牛久沼が近いので“白鳥と河童”何ですね。それにしても、この橋銘板はかなり手が込んでいます。

金属的な質感がありますが、拳で叩いて確認したところ、モルタルの表面に金属粉入りの塗料を吹きつけ、仕上げたものと判明。何でも叩くと判るのです。

橋を渡り、その先の信号を右に少し入って、ちょっと寄り道をします。この辺に確か“一里塚”があるのです。


ありました。ただ土が50センチほど盛り上がっているだけで、木も石垣も何も無い、ただの四角い出っ張りです。


石柱や案内板が無ければ、一里塚とは誰も気が付きません。ホントにこれが一里塚?



表題に“成井一里塚”とだけあります。ここは一つ、“水戸街道・成井一里塚”としてもらいたい。

この道が昔の水戸街道なのです。牛久沼の湿地帯を大きく迂回していたのです。

この結果、現在の龍ヶ崎市街は、常磐線からも、6号線からも、遠く離れたところにあるのです。

それと、牛久市教育委員会とあり、この辺りはもう牛久市なのです、龍ヶ崎の外れとばっかり思っていました。


カントリーロードに戻り直進します。

この橋の銘板も、。


こちらは“銅”の質感。目立ち過ぎです。段々と、しつこく感じてきます。橋銘板は、もう少し控え目でイイと思います。


カントリーロードはホントに山の中です。もう少し行くと町中に入ります。

今日は、この辺でお終い。


それでは、また明日。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久を歩く “中華と中国”

2009年01月14日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

まだ、龍ヶ崎を歩いています。

左手に牛久沼、右手には常磐線を見ながら、6号線を歩いています。測道に面して中華屋さんが見えてきました。周りに商店はまったくありません。一軒食堂です。


明らかにプロが描いた看板では有りません。料理も手作り、看板も手作りなのです。


それにしても、このキャッチコピー“栄養豊富中華料理”が、何とも“泣かせ”ます。美味しい何てことよりも、先ずは兎にも角にも“栄養”が一番なのです。

ある意味で、時代の先端を行っているのかも知れません。旨い不味いの選択肢は、もう贅沢となり、栄養が最優先される時代になったのです。

それにしても、餃子だけに“特製”と書かれています。後のラーメン、肉だんご、焼き肉、日替わり定食は、普通製? たぶん餃子には、かなりの自信とこだわりがあるのでしょう。

建物の外観から、昨日、今日の店ではありません、こんな立地条件で長年営業していると云う事は、それなりに固定客を掴んでいるようです。


この店、“測道”に面しているため、車で通りがかりに“餃子でも”と思っても、ちょっと無理なのです。かなり迂回しないと、見えていても辿り着けません。

それと、“中華”料理と“中国”料理とでは、何となく中国料理の表現に高級感があります。

“ラーメンなど”は、中国料理と云うよりも、中華料理で、それも単に“中華”と云った表現になります。

まぁ、日本の“所謂ラーメン”は“和風中華”と云ったほうが正しいのです。最近は中国からの旅行者が、日本のラーメンを旨いと云って、人気ラーメン店を訪れるそうです。

最近のラーメンは“凝りに凝った”、正真正銘の日本料理になってしまった感があります。私は“あっさり、さっぱり”の“支那そば派”です。

ところで、支那ですが、シナと入力(ATOK)しても“支那”と変換できません。マスコミでも使われません。

“シナチク”は“メンマ”になってしまいました。この話は、かなり、ややこしいのでこの辺でやめておきます。

兎に角、中華人民共和国の人々が“いやだぁ”と云うならば、使わない方がイイのかも知れません。でも、そんな話は聞いたことが・・・・・・なのです。

話がかなり、外交的、政治的、思想的、歴史的、感情的等、込み入った問題に入りそうですが、今は6号線の“中華よしみ”の前で、看板を睨み佇んでいるのです。

兎に角、6号線を下ります。

正面に龍ヶ崎方面への立体交差が見えてきました。


私も、ここで6号線から離れ龍ヶ崎方面に向かいます。立体交差の階段を登ります。

何なんだ!これは! 文字か?記号か?お呪いか? 最近よくある落書きの書体とは異なります。


こちらは、何となく判る落書き、それなりにポップ? 下のおじさんは“北島のサブちゃん?”


立体交差の上から、牛久沼を望みます。この日は曇り、方角的に夕日が沈む方向になります。夕暮れ時は絶景かも?


牛久を歩くのタイトルですが、今日もまだ龍ヶ崎を歩いています。

それでは、また明日。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久市を歩く “もしかして可変橋脚?”

2009年01月13日 | 牛久市の風景
えーそれでは、本日より、お正月モードから、平常モードに戻り、これより、茨城県の牛久市を歩きます。

牛久市は隣の千葉県にもあるようですが、今回の牛久市はあくまでも常磐線の沿線の牛久です。

それで、歩き始めたのはJR常磐線の「佐貫駅」からです。佐貫駅は龍ヶ崎市にあり、これまた千葉県は富津市にも似たような、JR外房線「佐貫町駅」があります。

牛久市と云えば“牛久沼”となりますが、牛久沼は龍ヶ崎市にあるのです。

地図で確認すると牛久沼は、つくば市に大きく食い込み、龍ヶ崎市には端じっこがほんの少しだけ接触しているだけなのです。

冒頭からややこしい話でスイマセンです。それで、龍ヶ崎の佐貫駅から牛久沼に向かいました。

6号線水戸街道にぶつかり右に曲がります。取手の市街で6号線から分かれたバイパスが、沼の端をかすめて再度合流して来ます。

橋と云うよりも、道路の高架と云ったところですが、橋桁には“牛久沼大橋”とあります。


それで、この大橋の橋脚なのですが、何か“細工”がありそうなのです。


土台の部分に隙間があり、何か「伸びたり、縮んだり」しそうな雰囲気を漂わせています。

牛久沼の縁に橋脚が立っているのです。沼の縁ですから、地盤は軟弱、基礎工事をしっかりしても、年月が経てば橋脚は沈んで行く危険性はかなり高いと思われます。

そこで、何らかの“仕掛け”があると、眺め廻し探し廻し、そして、この結合部が怪しいと睨んだのです。


傍らの“橋脚銘板”に、何らかの答えが記されているかと思い、じっくり読んでみたのですが、単なる普通の橋脚としての記載しか有りません。


“特殊・沈下調整・脚長可変・橋脚・3号型”何て、ややこしい名称を期待したのですが、単なる普通の橋脚としての記載。国土交通省は何か隠しているのではないか? まぁ、いいけどねぇ。

それにしても、昔何処かの建設会社が“地図に残る仕事”何てコピーを使ったCMを流していたけど、地図にも、橋脚銘板にも、個人の名前が残るようです。

歳月を経て老いを迎えた「城太郎さん」、「秀典さん」は、各地に刻まれた名前を訪ね歩く、そんな旅を・・・・・・するのでしょうか? それなりに、何となく羨ましい気もします。

東京は日本橋から、47㎞の地点です。


牛久市を歩くシリーズの第1回目ですが、まだ龍ヶ崎市を歩いています。それでも、今日はこの辺で終わります。


それでは、また明日。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする