歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

”光る君へ” ⑩ 糖尿病を患ったのは道隆ではなく道長!歴史の改ざん?修正?歪曲?

2024年05月13日 | テレビの話し

はい、本日も、ボケ防止で、” 光る君へ ” の、第17回『 うつろい 』あたりのお話です。

7年の歳月が流れ、悲田院で疫病に感染した”まひろ”に出会った道長。

日常では、抑えつけていた”まひろ”への感情が、非日常環境で、我を忘れ、身体が動き、こころが動き、無心で看病していた道長。

道長に看病されたことを知り、道長が自分の事を忘れず、想い続けている事に、淡い期待を抱き、一瞬、微笑みを浮かべる”まひろ”。

しかし、しかし、まひろが回復しても、二人の関係には何も変化は起こらず、日常に戻る二人。

互いに、心の奥底に、仕舞いこみ、抑えこみ、忘れようとするが、忘れられない。叶わなものと知りつつ、受け入れることもできない。二人の葛藤。

そして、関白道隆ですが、飲水の病(2型糖尿病)に侵され、後継を巡り、息子伊周を後継にするよう一条天皇に迫ります。

一条天皇の母詮子と道長は、後継伊周に反対し、道兼を押します。

この道隆の、病を押しての狂気迫る、凄まじくも、醜い、行動のエネルギーは、一体、どこから生まれるの? 私には、まったく、理解できません。

権力を手中に収めた者だけが知る、その、魅力?と魔力?

令和の世でも、国会議員が、特に、自民党議員が、息子を、娘を、後継に据えるのは、ごく一般的な出来事となっています。地元の有権者も、特に疑問を抱くことなく、受け入れているように見えます。

国会議員は、家業で、祖先代々から、子々孫々へと、能力に関係なく、一子相伝で受け継がれていく伝統的、重要無形文化財的な職業?

話は、大きくなりますが、やはり、これは、我が日本国においては、何と云っても、云わなくても、律令制度も、明治維新も、戦後民主主義も、そうでした。

自らが闘い勝ち取ったものではなく、上から、外部から、与えられた、形式だけを導入した、そんな、こんなが、すべてに影響しているのだ、と、思ったりしています。 

話を戻します。

それで、道隆の糖尿病ですが、調べて見たら、何と、何と、日本で記録に残る最初の糖尿病患者は、藤原道長だと、されているそうです。当然ですが、道隆のあとに道長は亡くなっています。  

これは、ロバートの秋山演ずる、藤原実資(さねすけ)の日記「小右記」に道長の病状が記されており、「のどが渇いて水を多量に飲む」、「体が痩せて体力がなくなった」、「背中に腫れ物ができた」、「目が見えなくなった」など、2型糖尿病の症状が記されているそうです。

道隆に関しては、その直接的死因を推測できる記録は残されていません。ドラマのなかで、安倍晴明に『関白殿は飲水の病で長くない』と云わせています。

やはり、ここでも、糖尿病を患うような、不健康で不規則で、私利私欲の政治の道隆。

対して、健康的で、規則的で、清く、正しく、美しく、民の為の政治をする、立派な改革者として描かれる、道長。

このドラマ、ここでも、またです。かなり、道長を美化しすぎでは、と、思ったりするのです。

歴史の改ざん?歪曲?まあ、ドキュメンタリーではなく、平安時代を、単に、背景とした、ラブストーリーとしてはあり?

道長は、まひろへの叶わぬ思いを、こころの奥底へ抑え込み、その感情の”転化”として、”まひろと約束”した、民の為の政を、強く、強く、道隆に主張したのでは?と、思ったりするのです。

まひろは、道長への叶わぬ思いを、こころの奥底へ抑え込み、その”転化”として、源氏物語を記したのでは?と、思ったりするのです。

そして、後継争いですが、母と嫁の板挟みとなった一条天皇は、嫁定子の妥協案を受け入れ伊周を関白に準じる ”内覧” とします。ただし、そこに道隆の病中のみとの期限を限定した決定を下すのでした。なかなか、考えた妥協策。

そして、道隆は亡くなるのでした。関白の在任期間は僅か5年ほど、享年43歳は当時としても若い。1型糖尿病にしては遅い?2型にしては早い?当時流行っていた疫病の可能性の方が高いような気がします。 

そして、道隆は亡くなり、後継争いが始まります。

それにしても、権力を巡る争いに、みなさん興味があるの? 権力志向の強い、ごく限られた人たちにしか、興味がないのでは?

NHK大河の制作陣は、権力志向が強い?権力争い好き?

そうでした。そもそも、大河ドラマは、歴史ドラマで、権力争いのドラマでした。

日本経済が、イケイケドンドンの拡大成長期には、権力争いドラマは、それなりに受け入れられ、停滞期から後退期へ差し掛かってきた現在、権力争いは受け入れられず、視聴率は低迷?

調べて見たら、大河ドラマが始まったのは、やはり高度成長が始まった頃の、1963年でした。

兎に角、ボケ防止で、歴史のお勉強で、私は見続けます。

次回、『 岐 路 』では、もっと、もっと、権力争いが描かれそうです。

まあ、これで、本日は、お終い。

 

それでは、また。

 

 

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"光る君へ" ⑨ 地位・身分は高く!志は低く!

2024年05月07日 | テレビの話し

権力を巡る争いとは、地位を得る争いで、政策を巡る争いではなく、政策は地位を得る為の、維持する為の、たんなる手段。

権力を手中にした後は、その地位を守ることが最大の目的となる。

と、まあ、のっけからお堅い言葉を記しました。

第16回『華の影』での、道隆一家ですが、地位も、身分も、とても、とても、高いのですが、志は、とても、とても、低いのです。

地位・身分と、志は反比例しがち?うまいモノを喰って、うまい酒を飲み、歌い、舞い踊り、華やかで、優雅で、煌びやかな暮らしに明け暮れて、お祭り騒ぎの日々で、政にはまったく無関心。

疫病を心配する天皇に対して、

『疫病が流行ってはおりますが、それは、下々の者しか罹らぬもの、我々には関わり御座いませぬ」

と、云ってのけたり。

兎に角、無能な道隆、対して、民の窮状に寄り添う、有能で心優しい道長。この解り易いキャラ設定の対比が気になったのでした。

大石静さんは、どんな資料を参考にし、そして資料を、切り刻んで、つなぎ合わせ、膨らませ、各登場人物のキャラを描き上げ、ストーリーの展開を創り上げたのか、その一端に触れてみたいと思ったりして・・・。

ここで、ボケ防止で、社会科の、歴史の、お勉強です。静さんが、たぶん参考とした資料を調べてみました。以下の資料は、平安時代中期を知る上で、その筋では鉄板の資料のようです。

先ずは、道長( 兼家の五男 従一位 摂政 966年から1028年 62歳没 )の『御堂関白記』36巻です。彼が、33歳から56歳にかけて書き残した日記です。

文体や筆跡には、道長の性格のおおらかさが看てとれ、内容は簡潔ながら、当時の政治や貴族の生活を書き記した、超一級の資料だそうです。

しかし、面白いのが、誤字、脱字、重複、省略、塗りつぶし、文法的誤り、意味不明、等々が散見される特異な文体で、又、人の悪口や、喜びの言葉も、素直に記されているそうで、何となく、ドラマの道長に近い気がします。

わたしの想像では、たぶん、道長は、宮廷での仕事を終え、帰宅し夕食後に、一杯やりながら、ほろ酔い気分で綴ったのだと思います。

因みに、現代語訳が、講談社学術文庫より、上・中・下の三巻で出版されています。

次が、” ロバートの秋山”  演ずる ”藤原実資” ( 従一位 右大臣 957年~1045年 )の『小右記』( 982年~1032年記 )で、道長そして、息子頼通の全盛時代の記録。

社会、政治、宮廷の儀式、故実などを記録した、当時を知るうえで重要な資料だそうです。記述は全体的に辛口で、道長の政治および人物を痛烈に批判しているそうです。

ドラマでは、兼家や道隆には批判的ですが、道長に対しては肯定的に描かれています。これは、やはり、源氏物語で、道長で、光源氏説で、”まひろ” 紫式部で、二人の道ならぬ恋で、純愛で、ストーリーが組み立てられている、そんな大人の都合から?

兎に角、道長の『御堂関白記』、実資の『小右記』で、当時の政治状況を、

道綱の母が記した『蜻蛉日記』で、兼家のキャラを、

清少納言の『枕草子』で、中宮定子を中心とした宮廷模様を、

そして、『源氏物語』( 文献初出は1008年で詳細不明 )と『紫式部日記』(1008年~1010年) で、全体的なストーリー展開を、

と、云ったところだと思うのでした。

道長の『御堂関白記』、実資の『小右記』は、まったく知りませんでした。勉強になりました、ボケ対策になりました。

それで、それにしても、道長と” まひろ” の再会シーンは、もしかして?すれ違いなの?的な演出で、ハラハラ、ドキドキでした。メロドラマのすれ違いの常套手段と思ったら、感染したまひろを一晩中介抱したのには驚きました。

まひろと道長、また、また、燃え上がりそう・・・。

でも、この、別れ際の、まひろの手にふれようとして、思いとどまり、去っていた道長。手にふれることは、こころにふれること。

まひろへの想いを、残しつつ、あきらめつつ、ひきずりつつ・・・、そんな象徴的なカットでした。

さすが ”ラブストーリーの名手” 大石 静さん。

後期高齢者ひとつ手前の身としては、歴史のお勉強をメインとして見ていますが、それは、それで、それなりに、心トキメイタリするのでした。

ところで、『光る君へ』の視聴率ですが、大河ドラマとしては、過去最低のようですが、面白いです。

吉高由里子さんも、いい芝居しています。やはり、残念ながら、平安時代を舞台としたドラマは、いろいろな意味でムズカシイのでしょう。

 

それでは、また。

 

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"光る君へ" ⑧ 清少納言の ”ファ―ストサマーウィカ” この顔!この名前!一発で覚えました!

2024年05月01日 | テレビの話し

今回も、またしても、前回に引き続きです。

”光る君へ” 15回『おごれる者たち』のお話です。

道隆の、やりたい放題の、身内びいきの、驕る、傲、奢るの、”おごれる者” たちの独裁が始まります。

長男である道隆は、父の兼家に、可愛い、可愛いで、甘やかされて育てられ、世間知らずで、我がままで、まさに総領の甚六の見本だった?

道隆は、先の円融院天皇の中宮 ”藤原 遵子” を、一条天皇の母で道隆の妹の詮子を、内裏から追い出し、娘の定子を中宮にします。

ここで、引っ掛かるのです。中宮、皇后、皇太后。

調べてみました。

『中宮という言葉の意味は「皇后の住居」である。 転じて、そこに住む 皇后 その人を指して「中宮」と呼ぶ』

先の天皇の皇后は、皇太后ではないの?旦那の円融院が退位しても、中宮にいるのも、よくわからん。そして、中宮の政治的な役割もよくわからん。

それでも、考えれば、中宮ですが、皇后で、妻で、女で、男と女で、天皇に対して、それなりに、公私ともに影響力を行使できる立場、やり方によっては、影の権力者?

一条天皇ですが、定子の手玉に取られているようで、一条天皇の母、詮子は面白くありません、定子も詮子が邪魔くさい。

その結果、お父さんの道隆に、叔母さんの詮子を内裏からの追い出しを嘆願。道隆も詮子をよく思っていなかったので、追い出し決定、と、いったところか。

兄弟姉妹で叔母と姪の権力争いと云うよりも、これは単なる、内輪の仲たがい? 

そんな、こんなの、変わりゆく世の中で、出来の悪い、まひろの弟、惟規が「擬文章生」に合格。変われないで、立ち止まっている自分に、思い悩む ”まひろ”

そんな “まひろ“ のところに、ある日 ”ききょう” が訪れ、皇后定子の ”女房” となった事を知らされます。

夢が叶い、うれしそうな ”ききょう” とり残され感がつのるばかりの  ”まひろ”です。

それで、この ”女房” ですが、宮廷や貴族の仕えた女性使用人で、女房の名称は、彼女らにあてがわれた ”専用の部屋“ に由来するそうです。旦那が自分の妻の事をこう呼ぶ方を、いまでも、一部にお見受けします。主人の世話をする女性と云う意味で、現在も使用されているのでしょう。

それにしても、中宮定子に初めて会った時の ”ききょう” の表情は、とても、とても、違和感。それほど、ぶったまげるほどの美人とは思えません。

それよりも、なによりも、”ききょう”役の、この方、初めてお目にかかったのですが、”ファーストサマーウイカ” と云う俳優さんだそうで、バラエティー番組からブレイクしたようです。この表情、確かに、バラエティーの匂いが漂います。

それにしても、この顔、この名前、一発で覚えました。本名は ”初夏” と書いて、”ういか” と読み、初はファーストで、夏はサマーで、”ファーストサマーウィカ”  なかなかの命名です。

平安時代の朝廷を舞台としたドラマで、硬くなりがちで、時々は合間に、柔らかく”色物キャラ” の出番も有りかと。

それで、ひとり取り残され感のつのる ”まひろ” は、気分転換に石山寺にお詣り、そこで、蜻蛉日記の作者で、兼家の妾で、道綱の母に出会い。

『心と身体は裏腹・・・日記を書くことで己の悲しみを救いました・・・』との言葉、これは、そのまま、自分にも・・・と、まひろ。

それにしても、”こころと身体” は裏腹と云う表現ですが、”身体” と云うと、何か動物的で、本能的で、この表現では、意思と動物的本能との対立になってしまいます。

理屈では、分かっていても、感情として、受け入れがたい・・・。理屈は頭にあり?感情は身体に? こころは何処にあるか問題?

まあ、兎に角、”書くことで己の悲しみを救う” との言葉に出会い、源氏物語への、紫式部への、誕生へと繋がっていくのでしょう。

 

それでは、また。

 

 

 

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"光る君へ" ⑦ 『星落ちてなお』心優しい道長しかし何故に倫子にだけは冷たいのか?  

2024年04月25日 | テレビの話し

はい、本日も光る君へです。

兼家は、自らのまだらボケを自覚し、出家し関白から退くことを息子たちに伝えます。

後継に指名されたのは長男の道隆。次男道兼は猛抗議するが、父兼家に『 おまえのような人殺しに一族の長が務まるものか ! 』と罵倒されます。

これは、息子に対して、ちょっと酷い言い方。これまで道兼には汚れ仕事をさそておいて、この仕打ちはいくら何でも、と、思うのですが、道兼も、道兼で、後継指名を確信していたのも、いくら何でも、です。

兎に角、父の兼家は、可もなく不可もない、平凡な長男を後継指名。可は無く、不可ばかりの、粗暴な次男へは汚れ仕事担当を指示。

三男の道長については、政治の裏も表も理解し、いずれ関白を継ぎ、藤原家を継承していくと、確信していたと思われます。倫子への婿入りその事前工作。

それにしても、私が日本史の参考にしている、あの佐藤優氏推薦の『いっきに学び直す 日本史 古代・中世・近世』東洋経済新報社刊には、

『兼通(兼家の兄)と兼家、道隆と道兼との争いなどあった。11世紀のはじめ、道隆の嫡男伊周(これちか)と争った道長(966~1027 ) は、これを排除して政治の実権を握り、同族の争いも終わった。道長とそれに続く長男の頼道の時代に、摂関政治は全盛期を迎える事となった』

との記述。

で、この本では、長男の道隆の、政治的・歴史的な役割は触れられていません。やはり、ドラマに描かれているように、ことわざ通りの "総領の甚六" を地で行ったお方だったのでしょう。

いや、もしかして、歴史的にも、"総領の甚六 のことわざ" が生まれた要因の一人だったのかも ? 何て、思ったり。

それにしても、上記の記述の10行下には、

『道長の後をうけて、頼道(道長の嫡男)が後一条・後朱雀・後冷泉、三天皇の摂政・関白として権勢をふるた。しかし、頼道はその娘を後冷泉の皇后としながらも皇子を生むことに成功せず。加えて、摂関家の荘園集中に対する国司たちの不満も激しくなり、藤原氏を外戚としない後三条天皇(1068年)が即位すると、藤原家の権勢は急速に衰退』

と、あります。道長で全盛を迎え、息子頼道で衰退。権勢を誇ったのは僅か半世紀程度、道長の時代は限って云えば、そのまた半分の、四半世紀程度だったのです。

そして、そして、何といっても、摂関家への荘園の集中です。これは富の集中です。摂関家には税金が掛からないのです。この時代は土地の私有は認められていません、しかし、貴族、社寺は例外として荘園と云う私有地を所有していたそうです。

政権の中枢が、税金を払っていなと云う矛盾。どこかの政権政党、そう自民党と同じです。これでは、国は乱れ、衰退します。こんな事を道長はやっていたのです。

そして、そして、倫子の登場する場面転換で、映し出される池を配した豪邸。道長は、倫子の父源雅信から継承し、雅信の死後拡張した「土御門殿( 敷地は約120m四方で四千数百坪 )」と呼ばれた大豪邸を構え、倫子と暮らしているのです。

それで、それなのに、道長ですが、このドラマでは、何故か、とても、とても、とても、思いのほか、権力には関心が薄く、改革意欲にあふれ、心やさしい良い人に描かれています。

そうでした。道長は”光る君”で、まひろの、紫式部の、恋する相手でした。

それで、父、兼家の死に、悲しみ号泣した道長。父の裏の権謀術数には否定的であったが、全体としての統治能力については、それなりに尊敬していた道長。

また、兼家は、藤原家の後継としては、道長が一番適任だとの想いを、それとなく道長に伝え、道長も、それとなく自覚していた。まあ、そう思わせるシーンが何か所かありました。

まあ、そんな、こんなの涙シーンでした。

それで、道長の良いひとシーンです。

権力闘争に敗れ、自暴自棄となった兄道隆を励まし、立ち直らせたり。

藤原家に恨みを抱く側室の明子が流産した際、優しい言葉をかけ、明子を恨みから解き放ち、心を引き寄せたり。 

でも、しかし、何故か、正室の倫子にだけは、とても、とても、道長は冷たいのです。この描き方に、今後の展開が隠されている? そうですよねェ? 静さん。

それで、二人の改革ですが、いろいろな抵抗にあい阻まれます。

まひろが、文字を教えていた貧しい少女は、手習いに来なくなり、様子を見に行くと、父親に、

『あんたが、うちの子に文字を教えている女子かい。余計なことはやめてくれ、うちの子は一生、畑を耕して死ぬんだ。文字何か要らねい』

と、激しく罵倒されます。

厳しい現実の前に、反論もできず、立ち尽くすまひろ。悲しそうにまひろを見つめる少女”タネ“ とても、とても、可哀そうでした。    

こどもを虐めるな!と叫びたくなりました。

そして、道長は、検非違使庁(犯罪者を取り締まる役所)改革を道隆に反対されり、中宮問題で、道隆と衝突しり。

二人の世の中改革は挫折しそうになります。

そして、そして、道隆の、総領の甚六の、独裁が始まります。

まあ、いろいろ考えたり、調べたりで、それなりにボケ防止になっています。

それにしても、道長と倫子の関係が気になります。

倫子ですが、道長が大切に持っていた文を、まひろに見せるシーン。まひろは明らかに動揺を隠せませんでした。

賢くしたたかな倫子です、”まひろ”の反応から、差出人は”まひろ”と確信したようにも見えました。

道長が倫子に冷たいのも、倫子の正体が、いまだ見極められない、そんな気がするのです。

謎の多い倫子。静さん、これまでの展開に、各シーンに、いろいろと伏線を忍ばせている筈です。そして、倫子が単純なお姫様なら、黒木華さんを起用しないと思います。

話が長くなりました。

これで本日は、お終い。

 

それでは、また。  

 

 

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"光る君へ" ⑥『進むべき道』アレとコレで石野真子と財前直見の変貌で律令体制の衰退へ

2024年04月18日 | テレビの話し

今回も、またしても、『光る君へ』のお話となります。

正直な話、そろそろ、もう、飽きてきつつあるのですが、兎に角、"光る君へ"は、いまのところ"ブログ更新"のネタとして、ボケ防止対策として、大事なのです。まあ、こんなことを冒頭から述べては、ホント、身もふたも・・・です。

ボケると云えば、先日、スーパーに買い物に行った際、到着直前で財布を持って来なかったのに気づきUターンとか、買い物忘れ防止の為に、事前に作成した買い物リストを忘れるとか、人の名前が出てこないとか、いろいろ危ないのです。

それと、録画したドラマを見るまでが億劫で、しかし、ところが、見始めると、これが面白くそれなりに楽しく見てしまう。また、ブログ更新も、書き始めるまでが億劫で、一二行書き始めると、それなり、スラスラ・スイスイとなったり、まあ、そんな、こんなの繰り返しの日々。

ところで現在、録画 (好きな時間に見る為) しているドラマですが、朝ドラの「虎に翼」、NHKBSドラマ10の「船を編む」の三本です。一番面白いのは、やはり「舟を編む~」ですかね。

「船を編む~私、辞書つくります~ (三浦しをん原作)」は、辞書編集者の、言葉へのこだわりが、情熱が、言葉の役割が、とても、とても、勉強になります。次回が最終回。それにしても、言語学者役の柴田恭兵(72歳)の容貌の変化に、歳月の流れを感じたりしています。

歳月の流れと云えば、光る君へでも、倫子の母役の石野真子とか、道綱の母役の財前直見とかに、歳月の流れを感じたりしています。まあ、毎朝、鏡に映る我が容貌にも、感じる事ですけどね。

トラと翼は、ヒロイン役が「伊藤 沙莉ちゃん」なので見ていますが、男社会と戦う女性の物語なので、女性が見る分には、それなりに面白い・・・と、しかし、男としては、それなりに・・・痛い。

伊藤 沙莉ちゃんですが、朝ドラ「ひよっこ」(2020年前期)から注目していました。米屋の娘で、米は食べずにパン食で、父親とのコミカルなやりとりが面白かったです。

それで、本題の「光る君へ」ですが、歴史的な背景とか、史実とドラマの関係とか、いろいろ勉強的な意味と、登場人物が多く、名前や、役職を覚えたり、それなりにボケ防止には役立っているような? そんな気がする今日この頃。

平安時代で、源氏物語で紫式部で、枕草子で清少納言で、"かげろう日記"で道綱の母で、摂関政治で政争謀略で 、いろいろと調べたり、考えたりで、ホント! ボケ防止。

それでは、13回『進べき道』です。

この市場での、"縫い針"と"カブ"の交換シーンですが、ここで、わたくし冒頭より引っ掛かったのです。物々交換が一般的だったの ? それとも、貧乏なまひろの特殊な事情? と思ったりしたのです。

調べて見ました。

708年に鋳造・発行された貨幣として"和同開珎"が日本最初の貨幣として教科書などに記されています。しかし、"一般的には流通はしていなかった" との説が有力で、貨幣が流通し始めたのは、鎌倉時代(1200年代前半 )に入ってからのようです。

"まひろ"の紫式部の時代は1000年前後で貨幣は流通しておらず、物々交換の時代だったのです。通貨を必要とする活発な経済活動も、貨幣の価値を保証できる強固な権力も存在していなかったのです。

はい、社会科のお勉強でした。

それで、市場でまひろは、文字が読めないために、親子が引き裂かれる悲しい現場に遭遇します。反物一反と子供一人が交換されるのです。

こういう、縄に縛られ悲しい表情の子供 ! 見ると、ホントに、ホントに、辛いです、悲しいです、可哀そうです。

そして、まひろは、読み書きを教えることで、世の中を変えていく一歩として、自分の使命として、"進むべき道"として行動を始めます。この女の子、とても、とても、可愛いで。

一方、道長の、"進むべき道"です。

領民に過剰な負担を強いて私腹を肥やす"国司"に対して、領民は中央政府に直訴。しかし、その訴えは簡単に却下される。

道長一人が「民なくば我々の暮らしもありません」として、詳しき審議すべきと発言するが無視されます。

二人は、世の中を変えるために、それなりに努力はするが、なかなか報われないのです。

そんな中、道長が婿入りしてからは数年間、会っていなかったまひろの窮状を耳にした倫子は、まひろを雇おうして、屋敷に呼び寄せるが、救いの手を断るまひろ。

別れた道長の屋敷で働くのは、いくら何でも無理筋の話。

その場で、倫子より意外な物を見せられるまひろ。自分が書いて道長に送った文を見せられたのです。道長は、ずっと、ずっと、大切にして、倫子と暮らす屋敷にまで持ってきていたのです。

道長は倫子に婿入りした後も、まひろを忘れていなかったのです。あの時の『妾であっても、まひろが一番』との言葉は嘘でなかった、と、気づくまひろ、動揺します。

忘れられない二人。幼いころに出会い、心を通じ合い、身も通じ合い、誓い合った二人。まひろの初めての男、道長の初めての女、忘れる事はできないのです。

帰り際、二人は、屋敷の中で出会います。

道長の屋敷を訪れたのですから、まひろとしては、もしかして ? は、それなりに覚悟していた筈。しかし、文を見せられた後ですから、かなりの動揺と混乱。

道長とっては、数年ぶりの、突然の再会です。動揺と混乱で呆然自失。

ここで、13回『進むべき道』はお終い。

それにしても、今回、まひろの文に書かれていた「陶淵明」の詩「帰去来の辞」も、道長の屋敷「土御門殿」も、私腹を肥やす「国司」も、すべてをひっくるめての「律令体制」についても、引っ掛かって来ました。

これは、また、いつかの機会に。

 

それでは、また。

 

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