わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(続々々々々)

 
 随分昔に、ヒロシマ・ナガサキの話を聞かされたことがある。……頭では分かっていても、その本当の恐ろしさを私は理解していなかった。ヒロシマ・ナガサキの人々の苦しみや痛みを、はるか遠くの見知らぬ人のそれのように感じていた。ただ、「ヒロシマが、ここでなくてよかった」ぐらいに思っていた。
 ところが、この恐怖がこの国でも現実のものとなってしまった。
(ナタリヤ・スジンナャ「ニガヨモギの香気」)

 ……そのとき、私は自分の肉体のなかで何が起こっているかを知らなかった。つまり、セシウムが骨に蓄積し、筋肉が被爆したということを。何年も経ってから、医者へ行ってきた母に、私は末期の癌であると聞いたのだ。
 どうすればいいのか。私はそれほど頭がいいほうではない。死とは素晴らしいことであると証明するような、何か美しい哲学を考えつくことはできない。そして、私は神も信じない。……
 人は、将来への幸福の夢で現在を慰めるために神を考え出した。私は強い。信じないから、慰めは要らない。もし神がいるのなら、チェルノブイリノ悲劇は起こらなかったはずだ。……
 チェルノブイリが語られるとき、私はなぜか巨大な原発、石棺、黒鉛棒の山を連想することもなければ釘付けされた家、野生化した犬、死と腐敗の匂いのする汚染地区の姿が現われてくることもない。私はただ、死んでいくオーリャを見つめているだけだ。
 オーリャはお母さんを愛していた。オーリャは生命を愛していた。
 可哀相なオーリャ。どうしたら、放射能が充満し、神さえも見離してしまったこの世に生きることが好きになれるの。人間の愚かしさに呪いあれ。チェルノブイリに呪いあれ!
(オリガ・ジェチュック「ハッカの匂いがした」)

 有刺鉄線、重苦しい通達、居住禁止区域。これは戦争の記録映画ではないのだ。今、ここベラルーシで起こっていることなのだ。チェルノブイリゾーンは、穀物を栽培してはいけない。水も飲んではいけない。空気を吸うのも危険で、父祖の家も永久に住めないところなのだ。チェルノブイリで汚染された土地には、僕たちの子も孫も帰れない。それでも、セシウムやストロンチウムに冒された畑や森や草原が治った後、いつの日にか、子供たちが帰れるようになるだろう。大地は、太古から住み続けた主人の子孫を分かるだろう。大地は、必ず誰だか分かり、許すことだろう。僕は心からこのことを信じる。
(ミハイル・ピンニック「死のゾーンはいらない」)

 To be continued...

 画像は、フェーチン「キャベツ売り」。
  ニコライ・フェーチン(Nicolai Fechin, 1881–1955, Russian)

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