世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
アールヌーヴォーの画家
「ミュシャ展」に行った。ミュシャと言うと、私にはかなりミーハーなイメージがあった。絵が好きなわけではないのに「ミュシャが好き~」と言う女性の声を、結構聞いていたもんだから。
が、ミュシャというのは超一流の画家だ、ということが、実際に絵を観てよく分かった。ごめんね、ミュシャ。
アルフォンス・ミュシャ(Alphonse Mucha)は現チェコ、モラヴィア地方に生まれ、パリ、ミュンヘンで学んだ。ちょうど印象派が盛隆を極め、またデカダン的な象徴派も起こり始めた時期で、南洋への最初の旅を終えたゴーギャンとアトリエをシェアしたこともあるらしい。
しばらくブレイクしない期間を経て、ご存知、女優サラ・ベルナールの舞台のために製作したポスター「ジスモンダ」でセンセーションを引き起こし、一夜にしてポスター画家としての不動の名声を得た。これ、ミュシャが34歳のとき。
ミュシャの絵は、アール・ヌーヴォーの特徴を最も備えた画風をしている。彼の様式がしばしば、アール・ヌーヴォー様式と道義に捉えられるほど。
華麗な装飾に囲まれた、美しい女性。星や季節や時刻や花や宝石などの概念が、女性の姿を取ることもある。
彼女たちは健康的でしなやかで、垢抜けしていてエレガント。その長い髪や衣装は、あるいはすらりと垂れ、あるいは風になびいて、彼女たちを取り巻く、植物をイメージしたリズミカルな曲線が織りなす装飾に、溶け込んでいる。
ポスターは、まあこんなもんかという感じだったけど、油絵は、さすがに巨匠という感じで、すべて外れなしだった。ミュシャの油絵は、ミュシャと聞いて浮かぶ安易なイメージとは一味ちがった、大胆な筆捌きによる骨太の絵。ミュシャにはもっと、油絵を描いて欲しかったな。
ミュシャは後年、祖国に帰り、スラブ民族の誇りを賭けた連作「スラブ叙事詩」を描いた。先史から19世紀までのスラブ民族の歴史を表わしたものだが、時代錯誤と酷評された。
この連作は、ミュシャの故郷イヴァンチッツェ近くのモラフスキー・クロムロフ城にあるのだとか。是非行ってみなければ。
画像は、ミュシャ「ヤロスラヴァ」。
アルフォンス・ミュシャ(Alphonse Mucha, 1860-1939, Czech)
他、左から、
「アメリカのクリスマス」
「百合のなかの聖母」
「冬物語」
「スラヴ叙事詩-原故郷のスラヴ民族」
「スラヴ教師の合唱団」
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