リブシェの画家

 

 ヴィーチェスラフ・カレル・マシェク(Vítězslav Karel Mašek)というチェコの画家は、ドドンと一枚、「預言者リブシェ」という絵だけで知られている。暗く深い青い絵で、是非ナマで観たいものだと思っていたら、「オルセー美術館展」で来日してくれた。
 実物はほぼ正方形の大画面の絵で、リブシェは等身大くらいに大きい。それが点描で描かれていて、細かな色彩の斑点自体が光の輝きを放っている。すげー……

 その後、マシェクという画家を調べたが、「リブシェ」があまりに有名で、それ以外の絵はなかなか見つからない。「リブシェ」を描いた画家、というくらいの解説しかない。……こりゃ、チェコまで行かなきゃ分からないんだろうな。
 結局、マシェクのことなんかすっかり忘れて、チェコの美術館でマシェクの絵に出くわすまで、思い出しもしなかった。

 ぬおッ! このマシェクって、あのマシェク? ……点描象徴主義(と私が勝手に命名している)の「リブシェ」があまりに強烈だったので、全然スタイルの異なる一群の絵がマシェクのものだって見過ごすところだった。
 ミュシャがグランド・スタイルで描いた一連の「スラブ叙事詩」と同じスタイル。大画面で、大時代的で、けれども透明な写実で、民族的に繊細で、ディテールまで装飾的。

 館内は写真撮影可なのだが、私のコンデジなんかじゃ、どうせ写らん。多分誰かしらが、一眼レフでパシャパシャやってアップロードしてくれているだろう、と考えて、撮影しなかった。が、帰国後調べても、マシェクの絵はやっぱりヒットしなかった。
 う、う、……ミュシャと交友、オルセーの「リブシェ」で有名、云々と一言説明入れといてくれりゃ、注意を引くのに。自分とこの絵画遺産に無頓着すぎるよ、チェコ。マシェクをチェコ・アール・ヌーヴォーの画家と呼ぶなら、この辺りの絵をもっと広めてくれなくちゃ。

 さて、マシェクの略歴を記しておくと……

 プラハのアカデミーで絵を学んだ後に、ミュンヘンに留学。同じくアカデミーで学んでいたミュシャと交友を持つ。さらにパリのアカデミー・ジュリアンに移るが、そこでもミュシャと一緒だった。
 パリ滞在中、スーラの新印象派を信奉。シャヴァンヌを初めとするフランス象徴派らが描いた世界を、点描の技法をもって描き出す。その後、なぜか帰国して建築を勉強。
 ミュシャがパリにて名声を得る前年頃から、ミュンヘンやデュッセルドルフで出品。「リブシェ」はこの頃の作品で、その色彩のきらめきは、かのクリムトに大いに感銘を与えたという。

 が、結局は帰国し、プラハの美術学校で教鞭を取る(応用美術)。マシェクのアール・ヌーヴォーチックな、民族的、寓意的な歴史画・宗教画は、どうもこの時期のものらしい。
 ミュシャも十数年後に帰国して以降は、「スラブ叙事詩」の連作を描いた。チェコスロバキアという国が、そういう時代だったのだろう。

 画像は、マシェク「預言者リブシェ」。
  ヴィーチェスラフ・カレル・マシェク
   (Vítězslav Karel Mašek, 1865-1927, Czech)

 他、左から、
  「春」
  「蜥蜴」
  「1898年プラハ建築家と技師展」
  「受胎告知」
  「クパロ祭」  

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