日常的な、あまりに日常的な

 

 ドイツ語圏の美術館に行くと、ドイツ印象派の三柱、マックス・リーバーマン、ロヴィス・コリント、マックス・スレーフォークトの近くに、フリッツ・フォン・ウーデ(Fritz von Uhde)の絵があったりする。
 私、この時期のこの地域のこの傾向の画家のなかじゃ、ウーデが一番好きなんだ。日本ではあまり知られていないみたいだけれど。

 解説の多くはウーデの様式を、写実派と印象派との中間に位置すると紹介する。確かにウーデの絵は、印象主義というよりも、色彩の明るい自然主義、という感じがする。
 で、何が自然主義的かと言うと、扱うテーマとその表現の仕方が自然主義的なのだ。

 ウーデが主に描いたのは、倹しい中間階級の日常の生活。登場する人物は圧倒的に女性で、なかでも殊更少女たちが印象的なのは、ウーデ自身に娘が三人いたからだろうか。彼女たちは別に、特に何某かに勤しんでいるわけではない。それを、あまりに日常的すぎる情景として、ウーデがわざわざ取り上げる。
 ウーデは宗教画も多く手がけているのだが、これまた日常の情景だ。確かに描かれるのはキリストとその物語なのだが、キリストはウーデ同時代のドイツの農村に降り立ち、ドイツの農民たちに取り巻かれている。
 こうしたウーデの、あまりに飾らなさすぎる日常の情景は、却って粗野で醜悪だと、当時の観衆からは不快がられたという。

 ドレスデンを首都とするザクセン王国、ヴォルケンブルクの裕福な家庭の生まれ。画才に恵まれ、ドレスデンのアカデミーに進むが、学風に馴染めずに不毛なまま、アカデミーを飛び出してザクセン軍に入隊。よく知らないが、連隊つきの馬術教師となり、将校としていくつかの戦争にも従軍。この間、従軍画家から油絵を学んだという。
 十年の歳月を経て、アカデミーに復学、今度こそ絵に専念する。パリに遊学し、ハンガリー画家ムンカーチ・ミハーイ(Mihály Munkácsy)のアトリエで学んだ。

 誰に師事しようとも、常にオランダ古典絵画と、自然そのものとから学んだ、というくらい、オランダ古典巨匠たちに一貫して惹かれ続けたウーデ。が、当地オランダに赴いた途端に、暗い陰影表現をばっさり捨て去り、明るい色彩を好んで用いるようになる。この色彩はもちろんフランス印象派からの影響によるもので、以来、ウーデの終生のものとなった。

 ミュンヘンのアカデミー教授として迎えられる一方、冒頭のドイツ印象派画家らとともにミュンヘン分離派を主導。今日から振り返れば、親しみやすい近代絵画ばかりの分離派も、当時は旧弊なアカデミーからの分離を目指した進歩的なもので、ウーデの担った自然主義の絵画概念もまた、新しいドイツ絵画の発端の一つとして、若い世代に継承されていった。

 画像は、ウーデ「困難な道」。
  フリッツ・フォン・ウーデ(Fritz von Uhde, 1848-1911, German)
 他、左から、
  「お姉ちゃん」
  「ヒース荒野の王女」
  「クリスマス・イブ」
  「幼な子らを私のところに来るままにしておきなさい」
  「女よ、なぜ泣いているのか?」
  
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