移動派の良心

 

 ロシア移動派の時代、肖像画と言えば、モデルの内面を心理小説並みに掘り下げて描き上げる、あのクラムスコイが筆頭なのはもちろんなのだが、クラムスコイでなくても、みなさん、何気にどえらく素晴らしい肖像画を描く。何が素晴らしいって、一見してそれが絵と分かる、絵としての造形にのっとりながら、現実をそのまま写し取ったかと思わせる、さり気ないが舌を巻く写実によって、絵そのものに語らせる、その表現が文句なく素晴らしい。
 で、以前、日本にやって来た「国立ロシア美術館展」(だったかな?)で、ヤロシェンコの人物画(そのなかにはクラムスコイの肖像もあった)がいくつかあって、印象に残ったのを憶えている。

 ニコライ・ヤロシェンコ(Nikolai Yaroshenko)。現ウクライナ、ポルタヴァの生まれ。
 陸軍将校の家に生まれた彼は、自分もまた職業軍人となる。が、同時にクラムスコイ主催の美術学校、さらにペテルブルクのアカデミーでも絵を学んで、やがて移動派が結成されると、積極的に参加する。

 おそらく真面目な人だったのだろう。常に移動派の思想・信条に誠実で、それを固辞した彼を、メンバーたちは“移動派の良心”と呼んだという。彼の取り上げるテーマは、他の移動派画家もそうであったように、帝政ロシアに生きる人々が直面する困難。
 けれどもそれは感傷的ではない。例えば、シベリアに流刑となった、貨物列車のなかの人々を描いた絵がある。おそらくそのうちの誰かが受刑者なのだろう。だが受刑者は流刑地に家族を連れて行くことを許されている。そして彼らは自分たちのパンを、鳥にやるだけの、生活と心との余裕を持っている。
 ……苛酷な運命、だがそれもまた自然であり人生であるのだという、大らかな諦観、そういう廉潔のようなものが、ヤロシェンコの絵には感じられる。

 40代半ばで少将を退役、その数年後に結核で死んでいる。早すぎる晩年は、衰弱した健康のためにコーカサスへと移って、山々の風景を描いて暮らした。死んだのも、葬られたのも、山の連なるその地でだった。

 画像は、ヤロシェンコ「女学生」。
  ニコライ・ヤロシェンコ(Nikolai Yaroshenko, 1846-1898, Ukrainian)
 他、左から、
  「見知らぬ女の肖像」
  「初子の葬儀」
  「盲目の人々」
  「到るところに生あり」
  「雲の背後のエルブルス山」

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