咲き開く、花と見紛う色彩が

 
 
 ドイツ表現主義に括られるなかで、一番興味深い画家と言うと、私の場合はエミール・ノルデ(Emil Nolde)。本名はエミール・ハンセン(Emil Hansen)で、ノルデというのは彼が生まれた、デンマーク国境に程近い北ドイツ、シュレスヴィヒ地方の村の名前。
 生来、人間同士の軋轢を嫌い、孤独を好んだノルデは、キルヒナーらに頼まれて「ブリュッケ(Die Brücke)」のグループ展に参加したりもしたが、概ねいつも独りだった。

 もともとは木彫に携わり、30代に入って絵を学んだノルデ。「笑うマッターホルン」なんて絵葉書を描いて、それらを売ったお金で美術教育を受けている。が、マッターホルン時代の前と後でノルデの絵がどう変わったのか、私にはよく分からない。
 木彫のように原始的で、素朴で大胆。形態と色彩は単純で奔放。稚拙さが、いかにもユーモラスでグロテスク。こんな絵を描く画家、田島征三とか片山健とか飯野和好とかは別として、他にはいない。
 そんな彼の宗教画は不気味で幻想的で、それに幾ばくかの哀愁が漂っている。

 生まれは北ドイツの農民の家庭。郷土愛と、おそらく厳格な信仰とが伴っていただろうと思う。「白いリボン」のような村々が思い浮かんでしまう。
 彼は当然のように国家主義的、民族主義的で、北方民族の優越を信じ、ユダヤ人嫌い。ベルリン分離派を除名されたのも、分離派側がノルデの「聖霊降臨」を拒絶した後のやり取りのなかで、そういう類のことをノルデが公言したかららしい。

 早くからナチスに共鳴し、入党。が、やがてナチスが政権を握ると早速、当のナチスによって、「頽廃芸術」の烙印を押されてしまう。ノルデの絵を好意的に評価していたゲッペルスへの直訴もむなしく、ノルデの絵は美術館から押収され、「頽廃芸術展」で晒しものにされた後、売却・焼却処分に。
 制作自体も禁止され、ゲシュタポの監視下に置かれたノルデが、ゼービュルの片田舎に引きこもり、ナチスに隠れて、自ら“描かれざる絵”と呼んだ数々の小さな水彩画を描き続けたのは、有名な話。

 ずっと以前、「エミール・ノルデ展」という珍しい企画展があって、そこで観た水彩による花々の小品群は、今でも強烈に印象に残っている。それ自身が生命を持っているかのような、踊り狂うような色彩の、和紙の上いっぱいに滲みわたった花々……
 祖国に裏切られても、祖国を捨てなかったノルデ。戦後、画業を再開したノルデだが、自身の立場を改めて表明したという話は聞かない。

 画像は、ノルデ「聖霊降臨」。
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)
 他、左から、
  「罪人たちに囲まれるエジプトの聖母マリア」
  「蝋燭踊り」
  「山の巨人」
  「金髪娘と男」
  「赤いダリア」

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