世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
家庭のメルヘン
切迫早産で入院することになった当初、同室の新米ママの夫君が、私の話し相手になってくれた。彼は毎夕、仕事帰りに妻君の見舞いにやって来て、赤ちゃんの名前についてあーだこーだと悩んだあげくに、結局どれとも決めかねて帰っていくのだった。
私も、名前の候補を挙げるのを手伝った。このとき私は、未婚と、出産と、大学院進学とが決まっていた。彼はそのことを知っていて、妻君が退院するとき、私に向かってこう言った。
「俺みたいな凡人は、何もできずに、あんたを思って見護るしかないんだから、これからあんたに近づいてくる男は、思い切り善い奴か、思い切り悪い奴かの、どっちかだぞ。そいつらのなかから最良の奴を見極めろよ。そいつがあんたのラッキーカードなんだから」
ラッキーカードを得ると本当に、すべてがクルリと好転する。
カール・ラーション(Carl Larsson)は、アンデルス・ソーンと並ぶ、スウェーデンの国民的画家。ストックホルムに生まれ、極貧の両親のもと、あまり恵まれない子供時代を送ったらしい。働きながらアカデミーで絵を学び、本や雑誌、新聞などの挿絵画家となった。
パリに出て、フランス印象派に刺激を受けるが、パリ時代のラーションはまったく認められず、失望のまま数年を過ごす。
が、やがて人生の転機がやって来る。当時、スカンディナビアの芸術家たちが集まっていた、パリ郊外の小村グレー・シュル・ロワンで、画学生だったカーリンと出会い、ほどなくして結婚。これが彼のラッキーカードとなった。
スウェーデンに帰国した二人は、カーリンの父から、ダーラナ地方の小村スンドボーンに小さな家屋を譲り受ける。夫婦は自分たちで、家具を取り付けたり、装飾したりと、その家を改装した。
この家と妻、そして二人のあいだに生まれた8人の子供たちが、ラーションの絵の絶好のモデルとなった。彼は家族とともに暮らしながら、いかにも北欧らしい、庶民の生活を描き続けた。
素朴で暖かい、伝統的民族的な、写実的ながらもリリカルでメルヘンチックな彼の絵は、この家を、世界一有名なアーティスト・ハウスの一つにした。ジヴェルニーのモネの家もいいけど、ラーションの家も捨てがたい。
この家は今、ラーションの子孫が所有していて、夏になると旅行者に開放されるのだとか。
ラーションと言えば思い浮かぶのが、明瞭な輪郭線で描かれた挿絵。これらは当時、カラー印刷技術の発達に伴い、画家夫婦がたまげるほどの爆発的な人気を得たという。現在でも、こちらの挿絵のほうが、ラーションの絵としては多分、有名なんだと思う。
が、私はやっぱり油彩と水彩のほうが好き。印象派を思わせる明るくまぶしい色彩と、しかしフォルムを崩さない写実描写、カントリー・ライフに取材した自然主義的なテーマ、そこに妙味を添える北欧的な国民性は、どれも、ラーションが、ただの人気イラストレーターではない、一流の画家であることを示している。
何かの絵を観に三重まで行ったとき、美術館のロビーで、過去の企画展の図録を並べてある棚に、「スウェーデンの国民画家カール・ラーション展」というのを見つけた。ちょうど、坊が生まれて、すったもんたしながら大学に通っている頃のものだった。
せっかくラーションが大量に日本にやって来てくれたのに、惜しいことをしたもんだ。これはもう、いつか直接、スウェーデンまで行くしかない。
画像は、ラーション「リスベットとユリ」。
カール・ラーション(Carl Larsson, 1853-1919, Swedish)
他、左から、
「老人と新木」
「夏の終わり」
「花壇のシャスティと猫」
「ブリータと橇」
「イドゥンに扮するブリータ」
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