昼顔(続)

 
 粗野で獣的な、見知らぬ男たちに、荒々しく抱かれることで、喜びを感じるセヴリーヌは、貞淑な妻と淫蕩な売春婦とに自己を引き裂かれつつ二重生活を送る。ポイントなのは、彼女がなお夫を心から深く愛している、ということ。
 
 さて、荒くれ男マルセルが登場するあたりから、セヴリーヌのバランスは危うくなり始める。マルセルは彼女に夢中になってしまう。
 そして、例のユッソンが売春宿にやって来るに及んで、物語は一気に破滅へと突き進む。それまでは、揺れ動くセヴリーヌの心理描写が、やや冗長だった嫌いがあったが、このユッソンが再び現われてからは、それぞれの登場人物たちの意義が、計算し尽くされたように次々と一つにつながり、緊迫のまま、悲劇の結末へとひた走る。最後の一行まで、ガーッと持ってゆく描写は圧巻。

「美しい感情に動かされていなかったのは、ただ一人僕だけだった。それなのに、あなたがた三人はいずれも致命傷を負っている。僕一人だけが無事だ」
 この「共犯者」ユッソンの言葉が印象的。

 この小説の主題は、貞淑な女性のうちにひそむ娼婦性、あるいは、女性の精神と肉体との離反、といったようなものだろう。が、私はこういうの苦手。
 性的な欲求が本能的なものだとしても、それなら相手を選んで、つまり愛し合う異性とのあいだで、いろいろと試したり工夫したりすればいいのに、と思ってしまう。肉体的な快・不快が、精神的なそれと完全に切り離せるとも思えないし。

 こういう主題って、世俗的男性的な観点のような気がする。

 画像は、トゥールーズ=ロートレック「鏡の前に立つ裸婦」。
  アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
   (Henri de Toulouse-Lautrec, 1864-1901, French)


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