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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

ロフォーテンの画家たち

2007-06-12 | 月影と星屑
 

 ノルウェー画家の絵を漁って、リンクにリンクをたどると、ロフォーテン諸島の情景を描いた絵にヒットすることが、たまにあった。いろいろと調べてみても、日本語はもちろん英語の解説もない。
 で、ロフォーテンの画家たちについてはほとんど何も分からないのだが、多分、その厳しくも美しい自然や、そこに暮らす人々の素朴な生活に魅了され、その地に暮らしその地を描いた画家たちが、何人かいたのだろう。

 ロフォーテン諸島は、氷河によって削られた山塊からなる群島。最近、ノルウェー北極圏の観光ポイントとして人気を得ているという。
 鏡のように周囲を映し出す、深い青い海原と、入り組んだ入江。夏でも雪を頂く、荒々しく切り立った岩山。赤や黄色の木造家屋の点在する素朴な漁村。……陳腐な表現だが、絵葉書のように素晴らしい、息を呑む景観だとか。

 ロフォーテンに生まれたグンナール・ベリ(Gunnar Berg) やオットー・シンディング(Otto Sinding)、ノルマン・アデルスティーン(Normann Adelsteen)などが、ロフォーテン諸島の代表的な画家だという。
 が、ロフォーテンを描いた画家たちは多く、例えば、オスロで活動したノルウェー写実派の代表的画家クリスティアン・クローグなんかも、その一人。クローグ自身は民族主義を批判する立場だったが、彼の描いたロフォーテンの情景は、ノルウェー叙情たっぷりの、なんとも民族主義的な雰囲気。
 だから、いかにもノルウェーらしいロフォーテンには、オスロの画家たちも好んで訪れただろうし、その結果イギリスのニューリンのように、画家たちが集まって芸術家コロニーとなった漁村も、あるいはあったかも知れない。

 いつも思うことだけど、マイナーな国のマイナーな画家たちの絵も、結構秀逸なものが多いのだから、誰か丁寧に紹介してくれればいいのにな。

 画像は、グンナール・ベリ「レイネの墓地」。
  グンナール・ベリ(Gunnar Berg, 1863-1893, Norwegian)
 他、左から、
  グンナール・ベリ「トロルフィヨルドの戦い」
  グンナール・ベリ「ロフォーテン、レイネの漁船」
  シンディング「ロフォーテン、レイネの冬」
   オットー・シンディング(Otto Sinding, 1842-1909, Norwegian)
  シンディング「浜辺の漁師の娘」
  ノルマン「フィヨルド風景」
   アデルスティーン・ノルマン(Adelsteen Normann, 1848-1918, Norwegian)

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アカデミズム再考

2007-06-11 | 月影と星屑
 

 連休に、「ヨーロッパ絵画名作展」に行ってきた。
 これは山寺・後藤美術館のコレクション。以前からいろんな企画展で、オッと思う絵のプレートを見ると、この美術館の名前に出くわした、ってことがたびたびあった。
 山寺の(テンテンテン)、和尚さんが(テンテンテン)、毬を突きたし、毬はなし、猫を紙袋に押し込んで、……♪
 子供の頃はやったこの歌のせいで、私はこの美術館は寺で、絵を収集したのは和尚さんだと、ぼんやりと思い込んでいた。で、ずっと疑問だった。どこにあるんだ、そんな山寺??? ……今回、山寺は地名だったと知った。

 今度の企画展では18、19世紀のアカデミズムやバルビゾン派の絵が中心だったが、山寺・後藤美術館は他にも印象派など、秀逸な絵をたくさん所蔵している。一度は行ってみたい美術館。

 さて、印象に残った絵の一つに、カバネル「アラブの美女」というのがあった。他も、アカデミズムの絵は結構良かった。
 
 絵画史においてアカデミズムと言うと、古代ギリシャ・ローマ様式を理想美とする新古典派を、基本原理として継承しつつ、当世の旧貴族や新興ブルジョアジーの趣味にも迎合した、19世紀のアカデミー(特にサロン)に支配的だった様式を指す。
 アカデミズムの巨匠と呼ばれるブーグローやカバネルらは、サロンにて印象派画家たちをことごとく落選させた当人たち。で、アカデミズムというのは、ときどきの前衛に対立する価値観としても捉えられる。

 もともとアカデミーは、学芸に関する教育・研究機関のこと。絵画史でもアカデミーは、芸術は知的な学問分野であるという理念から、旧弊な徒弟制に反対する、きちんとしたカリキュラムを持つ芸術教育機関として登場する(それまでは、画家となるには工房に入り、匠の技を伝授してもらうしかなかった)。
 やがてアカデミーは、国家の芸術政策のもと、芸術家の教育、表彰、展覧などの特権を独占。サロン(官展)への出展は芸術家の登竜門となるが、審査員であるアカデミー会員の芸術観に照らして、このサロンに近代の新しい絵画が受け入れられることはほとんどなかった。
 で、サロンの基準に乗らない新しい画家たちは、印象派展やアンデパンダン(無審査)展などに出展。20世紀にはアカデミズムよりも、これら近代の画家たちのほうが高く評価されるようになり、現在に到っている。

 絵画に限らず学芸全般で、アカデミズムという範疇は、保守的、権威的、技巧的、形式主義的、現実逃避的、非実践的、講壇的、等々という形容を含んで用いられる場合が多い。
 が、私自身は、学問や芸術の分野で理論を重視し、学芸の純粋性、正統性を擁護する立場にある、そういう意味でのアカデミズムには、意義があると思う。

 アカデミズムの絵は、面白味は少ないかも知れない。凡庸、退屈なものも結構ある。けれども、優れた技術のせいか、古典的な美意識のせいか、概ね美しい。
 そして、この美しさが人間の手を介したものだと思うと、やはり、ハッと眼を奪われ、ツツツと惹かれることがままある。

 画像は、クール「ジェルマンの留守に気晴らしをしようとするリゴレット」。
  ジョゼフ=デジレ・クール(Joseph-Desire Court, 1797-1865, French)
 他、左から、
  ランデル「アルジェリアの少女」
   シャルル・ランデル(Charles Landelle, 1821-1908, French)
  カバネル「パンにさらわれるニンフ」
   アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823-1889, French)
  ブーランジェ「甕を持った女」
   ギュスターヴ・ブーランジェ(Gustave Boulanger, 1824-1888, French)
  ムニエ「特別の瞬間」
   エミール・ムニエ(Emile Munier, 1840-1895, French)
  ブーグロー「愛しの小鳥」
   ウィリアム・アドルフ・ブーグロー
   (William Adolphe Bouguereau, 1825-1905, French)


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黄昏の叙情風景

2007-05-16 | 月影と星屑
 

 絵をサーフィンしていると、ときどき、日本ではほとんど知られていない、けれども他に類を見ない独特の雰囲気を持つ絵を描く、絶対に外せない画家を発見することがある。こんな絵があったなんて。こんな絵を描くなんて。 ……なんだか絵の世界が、グンと広がったように思える。
 ソールベリは私にとってそうした画家。この画家、絶対に知っておいたほうがいい。

 ハラルド・ソールベリ(Harald Sohlberg)はノルウェーの風景画家。ムンクと同時代に活動し、「新ロマン派(Neo-Romanticism)」に括られるらしい。
 故国の自然を描いたその風景画には、独特のムードが漂う。で、彼は特異な画家として、近年まで忘れられていた。  

 北欧の絵によく見かけるノルディック・カラー。それを、ちょっと薄ぼんやりとトーン・ダウンすると、ソールベリの色になる。……ような気がする。
 白夜あるいは常夜の光のせいか、ソールベリの色調はどこか中途半端で、はっきりしない。コントラストも弱く、以前ある人が言っていたが、写真で言う「眠い画像」のような印象。で、彼は「黄昏の画家」とも呼ばれていたという。
 人の気配のない、忘れ去られたような静謐な自然風景は、新ロマン派らしい、物質文明によって失われつつある自然への懐古が感じられ、叙情的で神秘的。一方で、どこか異質さも感じられ、厭世的で、名状しがたいペーソスを帯びている。

 彼は若い頃から画家を志し、ヴェレンショルを初め、様々な画家から教わっている。が、ウェブ上でも彼の絵をあまり多くは見かけない。ノルウェーまで行けば、彼の絵にたくさん会えるだろうか。
 30代後半になってグラフィック・アートを学び始め、その後は版画に専念したというから、絵はあまり描かなかったのかも知れない。

 いずれにせよ、こんなに素敵な絵を描く画家が日本にフツーに紹介されないのは、ちょっと悲しい。
 ノルウェーまできっときっと観に行くから、それまで待ってておくれ。

 画像は、ソールベリ「北の花畑」。
  ハラルド・ソールベリ(Harald Sohlberg, 1869-1935, Norwegian)
 他、左から、
  「太陽の輝き」
  「夜」
  「冬山の夜」
  「夏の夜」
  「実りの野」

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ヴェネツィア絵画のきらめき

2007-05-07 | 月影と星屑
 

 「ヴェネツィア絵画のきらめき展」に行ってきた。自転車漕いで、片道3時間くらい。
 イタリア絵画はそれほど私の好みではないのだが、そのなかでヴェネツィア派の絵は、鮮やかな色彩と、後には独特の風景・風俗のモティーフとで、やはり興味深いものがある。この企画展は、ヴェネツィア派最初の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニから、その黄金期を飾ったティツィアーノやティントレット、イタリア絵画最後の輝きと言われるロココ期のティエポロやカナレットなどまでが来ていて、結構良かった。

 ヴェネツィアではフィレンツェより半世紀ほど遅れて、15世紀後半にルネサンス美術が始まる。ジョヴァンニ・ベッリーニがヴェネツィア画派を確立したとされるが、このベッリーニ一族は高名な画家たちばかり。
 続いてジョルジョーネやティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットらが活躍した16世紀に、ヴェネツィア派は黄金期を迎える。
 
 ヴェネツィアはイタリア・ルネサンスにおいて、フィレンツェとともに絵画の中心的位置を担った。が、ヴェネツィア絵画はフィレンツェのそれとは随分、雰囲気が異なる。
 同じ宗教・神話主題を扱ったものでも、一般に言われているように、フィレンツェの絵が線的、フォルム的であるのに対して、ヴェネツィアの絵は色彩的で感覚的。ヴェネツィアでは、メッシーナがフランドルから油彩技法をもたらして以降、早くから油彩画が発達した。そのためか、ヴェネツィア絵画の色彩はくっきりと濃く、明るい。
 が、地中海貿易の繁栄に裏打ちされた共和制国家ヴェネツィアという、文化的背景からの影響も大きいように思う。ヴェネティア絵画はどことなく余裕ありげ。伸びやかさがある。見せたい人物を最明に描いたり、筆の力だけでササッとハイライトを入れたりと、闊達でエロティック。

 18世紀にはヨーロッパ他国の進出によってヴェネツィアの衰退は顕著となる。ヴェネツィア絵画も衰えを見せるが、ティエポロの登場によって、俄然、最後の光彩を放つ。この時期のヴェネツィア絵画は、相変わらず神話や宗教を主題としているにも関わらず、流麗で躍動的な雰囲気があり、従来のような重量感はあまり感じられない。
 そして、カナレットのような、ヴェドゥータ(景観画)と呼ばれる、建築学的に精緻な、明瞭で静謐なヴェネツィア市景や、マルコ・リッチやグァルディのような、カプリッチョ(奇想画)と呼ばれる、動感あふれる寒々しい幻想景、という風景画も登場。水都の独特の風景は海外で人気を呼び、そう言えばモネやルノワールなどの近代のフランス画家たちも、ヴェネツィアにだけは訪れて、その風景を描いている。

 やっぱ、ヴェネツィアにも行きたいな。相棒の優先順位によれば、この水都、ずっと下のほうにあるんだけれど。

 画像は、ティツィアーノ「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」。
  ティツィアーノ(Titian, ca.1485-1576, Italian)
 他、左から、
  G.ベッリーニ「鏡の前の若い裸婦」
   ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, ca.1430-1516, Italian)
  ジョルジョーネ「若い娘の肖像」
   ジョルジョーネ(Giorgone, ca.1477-1510, Italian)
  ティツィアーノ「フローラ」
  ティントレット「胸をはだけた女の肖像」
   ティントレット(Tintoretto, ca.1518-1594, Italian)
  ティエポロ「オウムを連れた女」
   ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
    (Giovanni Battista Tiepolo, 1696-1770, Italian)


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ノルウェーの印象派画家

2007-03-19 | 月影と星屑
 

 最近、美術館で、フランス印象派の絵と並んで、パリを描いたタウロヴの絵も、たまに見かけるようになった。
 モネと親交があったせいか、タウロヴは印象派に括られるみたいだが、画風から言うとリアリズムの画家。タウロヴやヨンキントのような、印象派の色彩から影響を受けた、大胆なタッチの写実絵画って、どうも私の一番の好み。

 フリッス・タウロヴ(Frits Thaulow)は、フランスで印象派が盛り上がりつつあった1880年代、ノルウェー絵画を主導した。最初、海景画を志し、ノルウェーのロマン派画家ギューデらに師事。パリに出て、まず海景画家として成功した。
 この時期、フランス・リアリズムを思いっきり吸収。その後、故郷オスロに戻って、ノルウェーで活動する。オスロの街路や広場、郊外など、ノルウェーらしい市景や冬景をモティーフに、フランス仕込みの明るい、洒脱なリアリズムを取り入れて、独自の新鮮なノルウェー風景画を描くようになった。

 タウロヴはフランスとは近しい画家だったし、当時のフランスは印象派興隆の時期。当然、印象派からは強烈なインパクトを受けたけれども、それが主要な画風として取って代わることはなかった。
 が、フランスのほうが居心地が良かったらしく、人生半ばでフランスに移住。フランス国内を転々と移り住む。
 フランスに住むようになってからも、ノルウェーに旅行に出かけ、フランス絵画とノルウェー絵画との架け橋であり続けた。

 タウロヴの風景画で秀逸なものは、川景。彼は様々な場所、様々な季節、様々な時間の川景色を描いている。彼は旅の画家でもあって、絵がワンパターンにならないよう、しょっちゅう旅行してまわったという。

 ところで彼は、北欧で最も有名な画家ムンクの師でもある。ムンクとまでは行かないが、タウロヴの絵も、晩年にはかなり詩的で、象徴的な雰囲気を醸している。
 それがまたいい感じなんだけど。

 画像は、タウロヴ「粉挽き場」。
  フリッス・タウロヴ(Frits Thaulow, 1847-1906, Norwegian)
 他、左から、
  「川沿いの古い教会」
  「川景色」
  「川岸の村」
  「冬の川岸」
  「真夜中のミサ」

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