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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

青山ユニマット美術館

2008-01-09 | 月影と星屑
 
 この冬休みは薔薇色だった。日程的に諦めていた「フィラデルフィア美術館展」を、滑り込みセーフの最終日に観に行けた。世間はちょうどクリスマス・イヴ。
 イヴ前日には渋谷と青山。青山でのお目当ては、青山ユニマット美術館。勝手が分からないので、行きには地下鉄を使ったが、帰りは青山から渋谷まで歩いて帰った。美術館を出ると、もう真っ暗。街のクリスマス・イルミネーションにはあまり興味ないのだが、青山の夜は結構、雰囲気がよくて楽しかった。

 最初、本社ビル(かな?)へとやって来た私たち。係員に、美術館は別の場所だ、と教えられたのだが、そこのロビーにはビュフェが2枚も飾ってある。
 観て行ってもいいかと尋ねると、もちろんいいという返事。で、ちゃっかり、休憩を兼ねてソファにノベ~と座ってビュフェを堪能。えっへん、得しちゃった。

 コレクションの中心は、マルク・シャガールとエコール・ド・パリ。その日の企画展は、印象派。
 この美術館、エレベーターで4階まで昇って、絵を観ながら階段で降りてくる仕組み。各階が各、シャガール、エコール・ド・パリ、印象派の展示フロアとなっている。1階はショップとカフェ。展示はシンプルだが鑑賞しやすくて、しかも休憩できるソファがたくさんある。
 1階が吹き抜けになっていて、満足して螺旋階段を降りる頃には王女さまの気分(嘘!)。んー、コーヒーの好い香り。

 展示数も十分だし、珠玉の名品が多いので、合格。

 ここのシャガールのコレクションは凄い。リトグラフでごまかしていない(リトグラフなんてあったっけ?)。油彩がほとんどで、しかも一つも外れなし。初期の絵も観応えあるものばかり。
 こんなふうにも表現するんだ、と感じたのは、ヒトラー直筆のサインが入っている、ナチスドイツの勲功証(シャガールが何らかの方法で手に入れたという)の余白に描かれた、「戦争と平和」というタイトルの絵。

 エコール・ド・パリの絵も、キスリングやユトリロ、モディリアーニ、ローランサン、藤田嗣治の他、デュフィ、ピカソ、ドンゲンなど、質の高いものばかり。
 藤田を好きではない私にしては珍しく、藤田の薔薇の絵が気に入った。藤田らしい細い線と、乳白色の画面に、ローズマダーの赤い薔薇。白系の薔薇も活けてあったが、赤い薔薇だけがピンッと茎を伸ばしている。
 アンリ・ルソーやボンボワといった素朴派の絵もあった。ここのボンボワ、感覚的に好印象。

 印象派の絵も、画家がほとんど一通り、ずらりと揃っていて文句なし。一番気に入ったのは、ドガの踊り子の絵。ルノワールの、彼らしからぬ落ち着いたニニの肖像も良かった。
 で、共感できたドガの言葉を発見。
 ……人は物事を自分が見たいように見る。それは偽りなのだが、この偽りこそが芸術の出発点なのだ。

 また一つ賢くなってしまった。

 画像は、ルノワール「乳を与える母」。
  ピエール=オーギュスト・ルノワール
   (Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919, French)


     Bear's Paw -美術館めぐり-

花と肌

2008-01-03 | 月影と星屑
 

 冬休みは美術館三昧。絵をどっさり観た。
 なかなか元気の出ない私、相棒に連れられて生まれて初めてのケーキ・バイキングを体験。その後、「キスリング展」へ。
 キスリングだけの企画展というのは珍しい。私はどちらかと言うと、キスリングの絵は苦手なのだが、この企画展は非常に観応えがあった。疲れずに観ることができたのは多分、お腹いっぱいのケーキのおかげ。

 モイーズ・キスリング(Moise Kisling)はポーランド出身のユダヤ人で、1920年代のエコール・ド・パリ(=パリ派)を代表する画家。

 ところで私の場合、キスリングと聞いて真っ先に思い出すのは、何かの美術書で読んだ、ろくでもないエピソード。
 ……あるとき、悪評に激怒した彼は、相手の顔に自分のウンコをなすりつけて復讐。結果、警察沙汰、裁判沙汰となる。で、キスリングがその場でウンコしてなすりつけたなら情状酌量だが、あらかじめそれを紙にくるんで持ち歩いていたので計画犯罪、従って有罪、という判決が下ったのだとか(確か証人は藤田嗣治)。
 このエピソードから入ったせいで、私は、キスリングもまた、モディリアーニやパスキン、ユトリロのような、酒や麻薬や乱痴気騒ぎに身を持ち崩した、自己破滅的な画家かと思っていた。
 
 が、実際のところ、キスリングは温厚な奴だったらしい。陽気で社交的、若いうちから画家として成功し、他の不遇な画家たちの面倒を見た。愛妻ルネ、愛犬クスチとの幸福な家庭にも恵まれ、まさにモンパルナスの寵児。
 第一次大戦では、志願して外人部隊に従軍。戦地で重傷を負うが、この功績によってフランス国籍を得た。第二次大戦が勃発すると、ナチスによるユダヤ人迫害を避けてアメリカに亡命、戦後はフランスへと舞い戻る。このあたり、異邦人であった彼の、フランスを求める想いがうかがえる。

 キスリングの絵には、多くのエコール・ド・パリと同様、独特の華やかさと翳りがある。私が苦手なのはその官能性。和歌で言う、「匂うような」ムード。
 のっぺりとした背景にボッと浮かび上がる、童顔の女性。ぼてっと大きな眼は、曖昧な眼差しをしていて、どこを見ているのか分からない。
 肌は陶器のように、エナメルのように、冷たく硬質的な、けれど透明な、つややかな光沢を放つ。キスリングは描いているあいだじゅう、モデルたちに夢中だったというが、彼女らはどこか人形のようで、その妖艶さは気味が良くない。なぜか神経に触る。アンニュイすぎて正視できない。

 この画家のびっくりするところは、彼の描く花も同じくらい妖艶だということ。ごく普通の花瓶に、これでもかと活けられた、あふれんばかりの花々は、生命への讚歌のようでいて、得体の知れない何かを暗示し、それに肉迫しているように見える。

 彼は世間が言うほど単純に陽気ではなく、単純に幸福ではなかったということなのだろうか。何度観ても、私はキスリングに慣れることができない。

 画像は、キスリング「モンパルナスのキキ」。
  モイーズ・キスリング(Moise Kisling, 1891-1953, Polish)
 他、左から、
  「無題」
  「女性像」
  「赤い上着と青いスカーフのモンパルナスのキキ」
  「アルレッティの裸像」
  「ミモザ」

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     Bear's Paw -絵画うんぬん-

白と黒の世界

2007-10-23 | 月影と星屑
 

 鉄道の日記念切符で東京まで行ってきた。私が東京なんかに行くのは、もちろん美術館目当て。今年は東京の企画展が当たり年なのかな。観たいのばかりやる。
 結局、3つハシゴして、帰りに鎌倉に寄ってブラマンク展を観てきた。

 鎌倉の大谷記念美術館は、緑の木々に囲まれた小高い丘の上の洋館で、以前、デュフィ展を観に来たときに大いに気に入ったところ。展示数は少ないが、疲れ果てていたので、これくらいでちょうどよかった。

 モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)は野獣派(フォーヴィスム)に括られる。が、他のフォーヴの画家同様、最もヴラマンクらしい絵は、フォーヴを越えた時期に描かれている。
 この円熟期の絵は圧倒もので、私は十年くらい前にヴラマンクの企画展を観て、彼の絵をいっぺんに好きになった。

 父親はバイオリニスト。ヴラマンクもまたバイオリンやコントラバスを弾く。自身のみに立脚し、束縛フリーを好んだという彼は、若くして家を飛び出し、自活。結婚し、自転車競技やバイオリン演奏で生活しながら、絵の伝統や教育を拒絶して、独学で絵を学んだ。
 アンドレ・ドランを通じてフォーヴの運動に加わるが、もともと過去フリー、関係フリーの個人主義に徹する彼は、自身の画風を確立してからは、田舎に引っ込んで独自に描き続けたという。

 野獣派らしい、原色を多用した強烈な色彩は、田園で暮らし田園を描くようになってからは、重厚な、陰鬱で荒涼とした色彩へと変化する。相変わらず原色を用い、筆遣いも荒く大胆なのだが、しかし、野獣派の頃の絵とは、まるで別人のように異なる。
 黒を使うのに、色彩は透明で、なんと言うか、重く澄んでいる。嵐の到来を告げるかのような、光を孕んだ動感あふれる空。空模様は、斑だが流れている。道にも、流れるように轍の跡がある。
 雪が積もっていても、そこはきっと道で、同じく雪の上に轍が流れている。ヴラマンクの絵のなかでも白眉なものは、この、白と黒との独特の雪景色。

 情熱を感じさせるが気取りがなく、造形的だが自然体で、ダイナミックで、エレガント。彼のような絵は、他に類例を知らない。

 ヴラマンクと言えば、パリ留学を果たした若き佐伯祐三に、いきなり、「このアカデミズムめ!」と罵って、佐伯の自尊心をぺしゃんこにしたエピソードで有名。
 でも、何度もこのエピソードに出くわすのに、不思議なことに私には、ヴラマンクが傲慢だったとか横柄だったとかという印象が、一度も残らない。彼はふてぶてしかったかも知れないが、自分に対しては謙虚だったように、いつも思えてしまう。

 画像は、ヴラマンク「赤い野原」。
  モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck, 1876-1958, French)
 他、左から、
  「ラ・クルーズの風景」
  「ル・シャン」
  「雪のマラドルリー」
  「果物籠のある静物」
  「ピンクの帽子をかぶった女」

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生と死と愛

2007-09-28 | 月影と星屑
 

 生と死は表裏だと言うが、生を描いたある種の印象派絵画は死を感じさせず、死を描いたある種の象徴派絵画は生を感じさせない。ムンクの絵は、生と死との両方が同居する珍しい絵だと思う。
 学部生の頃、一番惹かれた画家がムンクだった。この頃、私は死にたかったからかも知れない。今、私は生きていたいと思うけれど、あの頃と同じように、やはりムンクの絵は好きだ。

 エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)は、ノルウェー近代絵画の代表的画家であり、ノルウェーの国民的画家でもあり、ノルウェー国外でも表現主義の重要かつ有名な画家。

 父は軍医。母はムンクの幼少期に、姉ソフィエも彼の思春期に、結核で死ぬ。ムンク自身虚弱な子供で、生き延びられないだろうと心配されていたが、予想に反して長命だった。
 身近な死に直面し、もともと神経質だった父は病的な信仰心に犯されて、感受性の強い、内省的なムンクの精神も、絶えず生の不安に怯えることとなる。
「病、狂気、死は私の揺籠を見守り、生涯にわたって私につきまとった黒い天使だった」。

 やがて美術学校に入学、クローグのもとで絵を学ぶが、伝統的アカデミズムのスタイルに飽き足らず、前衛芸術家グループ「クリスチャニア・ボヘーム」と交際。病と死は、彼の最初期の絵の直接のテーマとなる。
 死によって家族を失ったムンクは、結婚・家庭を極度に怖れ、生涯独身だった。が、この時期、女性とはボヘミアンらしく奔放に交際したという。
 タウロヴの援助でパリへ。そしてベルリンへ。

 長生きした彼だが、傑作と呼ばれる絵のほとんどは、若い時期、この19世紀末に描かれている。この頃の「叫び」、「マドンナ」など、彼が連作した「生命のフリーズ」(「フリーズ(frieze)」は、古典建築の柱列に施された横長の帯状彫刻のこと)は、生と死、そして愛がテーマとなっている。生きる希望を脅かす死の影、愛憎と恍惚に見え隠れする不吉な嫉妬・破滅、人間存在の孤独。画家の繊細で鋭敏な感受性や告白的なテーマを表現する、度肝を抜くような強烈な構図と不気味で扇情的な色彩は、黙示録的なインパクトで観る者に迫り、圧倒する。
 この時期、夏ごとに過ごした故国、オースゴードストランの海岸線は、彼の絵の心理的な背景として多く登場する。満月と、水面に長々と伸びるその反映は、それぞれ女性と男性の性器、つまり生命を、表わしているのだという。

 この地で、かつての恋人でありモデルでもあったトゥーラ・ラールセンと再会、結婚を望む彼女を拒み、口論となる。彼女はムンクに銃を向けて発砲、彼の中指を吹き飛ばす。
 もともと精神を病んでいたムンクは、強迫観念にさいなまれ、アルコールに溺れるようになる。デンマークの精神科医のサナトリウムで療養し、絵筆を取ることで回復。ノルウェーに戻り、以降、晩年まで故国を離れることなく、絵を描き続ける。
 破局へと突き進む世相のなかで、彼の色彩はますます明るく、輝きを帯びていった。

 相棒は、私がムンクの描く女性に似ている、と言う。自分でも、洒脱なパリジェンヌ、モリゾよりは、こっちの、背後に夜影を伴うマドンナやバンパイアのほうに、似ているような気がする。

 画像は、ムンク「声」。
  エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年-1944, Norwegian)
 他、左から、
  「病める子」
  「月光」
  「ヴァンパイア」
  「マドンナ」
  「星明かりの夜」

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ハーモ美術館

2007-08-25 | 月影と星屑
 
 学生の頃は手当たり次第に観ていたが、今じゃもう、美術と言ってもほとんど西洋絵画しか観ない。ので、日本の美術館は正直、物足りない。
 常設展目当ての日本の美術館は、もう行き尽くした感があったので、ふと、諏訪に素朴派美術館があるのを知ったときには、ちょっとした歓喜だった。こうなったら素朴派でもいいや!
 で、相棒に確約を取りつけておいたのだが、直後に近場で「アンリ・ルソーと素朴派展」が開催され、諏訪の美術館から素朴派絵画がどやどやと出張してきた。相棒は一言、「これでもう、諏訪には行かなくてもいいね」。……相棒は諏訪湖が嫌いなのだ。

 この夏、信州に行ったついでに、この素朴派美術館に寄ってきた。

 これは、悪名高い諏訪湖畔にあるハーモ美術館のこと。この悪名を私に吹き込んだのは相棒で、彼曰く、諏訪湖というのは湖一周ぐるりと、護岸コンクリートとホテルで囲まれた、人工的、無機的な湖。自然美が損なわれまくっているので、腹立たしいやら悲しいやら。誰が行ってやるもんか、というのが相棒の主張。
 実際、渚も遊歩道も人工のもので(渚が人工だなんて、ゲロ~!)、味も素っ気もない上に、暑さも手伝って、散策する気にはならなかった。

 美術館2階のラウンジやバルコニーからは、諏訪湖を一望でき、遠く富士山をも望むことができるという。私が行ったときには富士山は見えず、山間にそこだけぽっかり、おぼろな空間があっただけ。
 ……諏訪湖がこんなにも人工的でなけりゃ、富士が見えれば結構絵になるのかも知れない。

 素朴派の父として知られるアンリ・ルソー。素朴派というのはもともと、美術史上にルソーを認知するため与えられた呼称なのだが、その彼と、知る人ぞ知る、カミーユ・ボンボワ、アンドレ・ボーシャン、ルイ・ヴィヴァンら、素朴派と言われる数少ない画家のたちの絵が、分かりやすく展示されている。
 アカデミックな知識・技法の無知から、却って素朴な独創性が際立っているのが、素朴派に共通する特徴(と言うか、それ以外に彼らを流派としてまとめる特徴はない)。いくらでも突っ込める描写なのだが、無知ゆえの大胆さが面白い。絵は続けさえすれば、その人なりのものが自然と現われてくる、というのは、素朴派の絵を見ればよく分かる。

 アメリカのフォーク・アート画家グランマ・モーゼスの絵も並んでいる。
 
 別館のティーセントホールに行く途中、暖炉やアンティーク家具の置かれた、リビングのような展示室がある。靴脱いで入って、ソファにダラ~と座って、ビュフェを観ながら、涼しかったもんで、クーと寝てしまった。
 その先のティーセントホールは、2階が吹き抜けの回廊になった音楽堂で、ルオーとシャガールのリトグラフなどが展示されている。

 こじんまりとしていて、諏訪湖観光のついでに立ち寄るような美術館だけれど、内装と展示の仕方が個性的だし、美術館としてのプライドとコンセプトがしっかりあるので、合格。
 ルソーらの絵だし、気合入れなくていいから、観光がてら寄ってみそ。

 画像は、アンリ・ルソー「果樹園」。
  アンリ・ルソー(Henri Rousseau, 1844-1910, French) 

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