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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

モロッコの愛

2007-01-08 | 一つの愛二つの心
 
 相棒はオードリー・ヘップバーンとマレーネ・ディートリッヒの出演する映画ばっかり持ってくる。古き良き時代って感じの、モノクロのやつ。
 で、「モロッコ(Morocco)」を観た(監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ、出演:マレーネ・ディートリッヒ、ゲイリー・クーパー、他)。

 モロッコという異国の地に流れ着いた、外人部隊の兵士トムと、場末の酒場の歌姫アミーとが出会い、恋が芽生える話。
 とにかく美しく魅力的なアミーだが、幾度となく男に騙されてきたらしく、人生に倦怠してしまって、微笑むことがない。

 あちこちに恋人がいるプレイボーイだけれど、根が純情なトム。アミーに恋しちゃってから、それまでの女たらしの転戦生活を後悔したのか、「10年前に会いたかった」なんて言う。なのに恋を貫く自信がないのか、「僕を信じちゃダメだ、応えられない」なんて言う。
 それでも意を決してアミーの衣裳部屋に行き、「逃げることもできる、君が一緒に来るならすぐにでも」なんて言う。が、豪華な花束だの宝石だのの贈り物を見て、彼女の幸福のために身を引くことに決め、鏡にルージュで「気が変わった、グッド・ラック」なんて書く。
 で、戦線へと去っていく。

 アミーに恋する大富豪の絵描き紳士は、いつも彼女を見護り、力になる。見返りには何が欲しいの? と彼女に訊かれて、「微笑みを」と答える。
 婚約パーティの席上で、アミーは進軍の鼓笛の音を聞くなり、トムを探しに飛び出してしまったのだけれども、富豪は車を用意させ、来客に言い訳する。
「どうも、彼女を愛しているんでね、何かしてあげたいんですよ」

 サハラに行軍する外人部隊に、数人の女たちが後に続く。大きな袋を担ぎ、荷物を乗せた驢馬を引っ張って、よたよたとついていく。
 以前アミーが、あれは何なの? と尋ねて、富豪がこう答えていた。
「“後衛部隊”だよ。男たちに遅れてしまうこともあるし、追いついても、男たちが死んでしまっていることもある。が、要するに、男たちを愛しているんだよ」

 で、今、アミーは、富豪をハグし、その手に別れのキスをして、砂漠へと行軍するトムを追ってゆく。ハイヒールを脱ぎ捨て、砂漠を裸足で歩きながら。愛のままに。
 ……この姿、とても力強かった。忘れられない。

 最初のうちは、アミーもトムも富豪も、テキトーな愛だと思ってたんだけれど……3人とも、愛する人の幸福を重んずる、ホンモノの愛だったじゃないの。特に富豪、最後まで愛を貫いてたから立派。
 なんか、この富豪って、相棒みたい。

 画像は、レイセルベルヘ「モロッコ、メクネスの眺望」。
  テオ・ファン・レイセルベルヘ(Theo van Rysselberghe, 1862-1926, Belgian)

五月のミル

2006-12-18 | 一つの愛二つの心
 
 最近、コンスタントに映画を観ている。映画は相棒が選ぶ。で、「五月のミル(英題 Milou in May)」を観た(監督:ルイ・マル、出演:ミシェル・ピコリ、ミュウ=ミュウ、他)。これは面白かった。

 当主の老夫人が急死し、その葬儀のため、南仏の田舎屋敷に集まってきたブルジョア一家の騒動が描かれている。
 息子のミルは屋敷に住んでいる。蔦の絡まる白壁の屋敷。広い敷地は緑豊かで、さくらんぼの木があり、養蜂場があり、ぶどう園がある。泉があり、山があり、ザリガニの採れる小川がある。
 老夫人の葬儀に、娘や弟、姪が、それぞれ夫や子供、後妻、ガールフレンドなどを連れて駆けつける。屋敷は急に活気づく。
 が、田舎を離れて都会で暮らす彼らは、屋敷や地所、家具調度品をそっくり売り払い、遺産を分配するよう主張する。一同の話題は、遺産分配と革命のことだけ。パリでは、五月革命の真っ最中。
 
 で、老母の遺体がベッドに安置されているその横で、口論が起こり、家具や食器、銀製品、宝石などの分配が騒々しく始まる。が、革命のせいで、葬儀屋までストライキ。葬儀は延期され、使用人がつるはしで老夫人の墓穴を掘るその同じ庭で、ミルたちは黒ネクタイの喪服でピクニックに興じる。
 弟の息子やトラック運転手、公証人などが加わり、ミルは弟の後妻と、姪のガールフレンドは弟の息子と、姪のほうはトラック運転手と、娘は公証人と、と、なんだかパートナーが入れ替わる。……相棒によれば、フランス人はこのように恋に生きるのだそう。
 
 開放的な雰囲気のなか、夜にはパーティとなり、一同、「革命万歳!」と叫ぶ始末。が、直後、ブルジョアは革命の暴徒に殺される、と聞かされ、一転、彼らはあたふたと、手荷物だけを抱えて森へと逃れる。…… 

 革命に右往左往する一同、死者の前で遺産をめぐって争う一同、暴徒から逃れた森のなかで、ピクニックさながらワインや生ハムの食事を取る一同、忙しい数日のあいだに、連れ立ってやって来た相手とは別の相手と、ロマンスに興ずる一同。
 自分だけこっそりチョコレートを食べたり、小川に毒を垂れ流したりと、自分のことだけしか考えていない工場主夫婦。「精液って何?」、「レズって何?」といちいち尋ねる孫娘。
 ……すべてを視野に入れた眼の冷静な視線で描かれる騒動は、シニカルで滑稽。なのに、南仏の田園がそれらを大らかなものにしている。

 それにしてもフランスの田園て、たった数日間で、人間をリフレッシュするものなんだな。

 画像は、タウロヴ「フランスの村の通り」。
  フリッス・タウロヴ(Frits Thaulow, 1847-1906, Norwegian)

80日間世界一周

2006-10-03 | 一つの愛二つの心
 
 以前、ヴェルヌ「80日間世界一周」を読んでいたとき、相棒が、「知ってるよ、気球に乗って旅するんだよね」と言った。
 この、気球に乗ってロンドンを出発し、アルプスを越え、スペインに着地して闘牛……、という、印象的な一連のシーンは、原作にはない。が、あの有名なテーマ音楽は、気球で行く空の旅にぴったりだと思う。

 映画「80日間世界一周(Around the World in 80 Days)」は、英国紳士フォッグ氏が、従僕パスパルトゥーを連れて、全財産を賭けて80日間世界一周の旅に出る、という、原作と同じストーリー(監督:マイケル・アンダーソン、出演:デヴィッド・ニーブン、カンティンフラス、シャーリー・マクレーン、他)。
 が、やっぱり映像には映像のよさがあって、スペイン、インド、日本、アメリカ、と、スリルやロマンスのエピソード付きで、次から次へと現われる、誇張された文化と異国風景は、抜群のエンターテイメント。
 
 冒険物語と言っても、主人公フォッグ氏は、決して、未知なる世界を求めて世界旅行に旅立ったわけではない。相変わらず部屋にこもってホイストをし、ティー・タイムにはお茶を飲む、といったような、イギリスにいるのと変わらない生活パターンを保とうとする。
 だから、冒険の過程で葛藤・格闘したり、成長したりするということが、ほとんどない。それが、あくまで寡黙で沈着冷静な、皮肉なくらいコチンコチンの英国紳士、という典型的キャラクター(フランス人ヴェルヌの描いたものなので余計)と相俟って、原作では、ややもすると、フォッグ氏の醸す英国的雰囲気に気圧されて、異国情緒が霞むことがあった。

 が、映画のほうでは、常にエキゾチックな情景が眼に映り、おまけにフォッグ氏自身も、原作に比べて大いに熱血多感。喜劇的なパスパルトゥーと、よい対照をなしていた。 

 この映画には、数え切れないほどの世界的スターが、旅行店の店主やクラブのピアノ弾き、列車の車掌などのチョイ役で、特別出演しているらしい。私は、往年の映画スターには疎いので、誰が誰だか分からなかったが、エンターテイメントに徹した、旺盛なサービス。
 
 とにかく、理屈の要らない、幸せな娯楽映画だと思う。

 画像は、パール「気球」。
  シニェイ・メルシェ・パール(Szinyei Merse Pal, 1845-1920, Hungarian)

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今更、ルパン三世

2006-10-02 | 一つの愛二つの心
 
 相棒が家に来るたびに、「ルパン三世」を1本ずつ観る。

 ルパン・シリーズは未だに時折、ロードショーで放送されている。坊はそれを観るのだが、その際私が、「ルパンが一番面白かったのは、TVシリーズのパート2だよ」と言ったところ、当然、こちらも観たがるようになった。
 で、レンタル・ビデオ店に行くと、中古処分品として、借りるよりも買うほうが安いという値段で、売りに出されていた。全部買っても3千円くらいなので、揃っているうちに一気にまとめて買おうとしたところ、いかにも呆れ返った様子の相棒に、「くだらないから、1本観てから次を買いなさい」と止められた。
 ……おい相棒、あんたそれで、特価CD、何回ゲットし損なったっけ?

 ところで、「くだらない」なんて決めつけるもんだから、相棒は観ないものだと思っていたら、「もちろん僕も観るよ」という返事。
 で、第1話を観たところ、相棒、ゲラゲラ笑いこけて、「こりゃあ、全部観てもいいかもねえ」という感想。
 今ではすっかり、全部観る気になっていて、世界中を駆けめぐるルパンに共感し、自分も「ルパンの行ったところには、僕も行くことにしよう」なんて言い出す始末。……おいおい。
 そのときにはもう、全部揃って売られていたビデオも、誰かに買われて、いくつか抜けてしまっていた。

 TV版で全盛期だった「新ルパン三世」(いわゆる“パート2”)は、確かにナンセンスなんだけれど、単純に面白い。ルパンの原作は青年向けの、ハードボイルドな内容で、旧シリーズはそこから外れず、イマイチだったところが、新シリーズはガラリとコメディ・タッチに変わって、大ヒットした。
 ルパン、次元、五エ衛門、不二子、銭形といったキャラクター(と、キャラクター先行型のストーリー)と、音楽と、声優とが、ここまでフィットした作品も珍しいと思う。私はあまり興味がないが、車や銃のアイテムにも力が入ってるらしい。

 ルパンくらい、自信過剰に生きることができたらいいだろうな。……自画自賛しまくりの“Super Hero”って挿入歌、私は一番好きだった。
  
  I'm a super hero, the hero of today, yay!
  Everyone wishes they could be like me
  Smart and cool, handsome, wealthy and so sexy
  They need a hero, somebody who is just like me

 画像は、ピエラ・リベラ「仮面舞踏会の貴婦人」。
  ピエラ・リベラ(Pierra Ribera, 1867-1932, French)

ピアノ・レッスン(続)

2005-10-31 | 一つの愛二つの心
 
 性愛表現は結構生々しいけれど、映像は幻想的で、絵のように美しい。海辺に打ち寄せる波のような、森林を渡る風のような、甘く哀しいピアノの音色が、全体を文学的に、暗く甘美に仕上げている。 
 
 言葉を捨てたエイダはピアノに思いを托す。だが夫ステュアートは、紳士ではあるが、ピアノには全然関心がなく、土地のことしか頭にない。ピアノを置き去りにされたエイダが、テーブルに鍵盤を刻み、ピアノに見立てて弾くのを見て、頭がおかしいのかと疑う。そして、なぜエイダが自分に心を閉ざすのかを理解できないでいる。
 一方、顔にマオリ族の入れ墨をした、一見無学で粗野に見えるベインズは、エイダにとってピアノが大事であることを理解している。無謀と言われようと、ピアノを舟に乗せて一緒に連れて行こうとする。

 ところで、6歳の少女が自ら言葉を捨てるというのは、どういう状況の場合なのだろう。冒頭で暗示される父親との確執や、不義の子供、ステュアートがエイダの瞳のなかに読み取った、「ベインズなら私を救うことができる」という言葉などから、私は、父親による性的虐待を連想してしまう。

 舟からピアノを海に捨てるとき、ピアノを結わえたロープがエイダの足を捕らえ、彼女は海へと引きずりこまれる。ピアノに道連れにされ、運命を諦観するような表情のエイダが、我に返ったようにピアノの束縛を逃れて、海面へと昇ってゆく。
 海上に浮かび上がったシーンは、一貫して夢幻的だった映像のうち、夢から醒めたような、最も明るく眩しいものだった。海の底に漂う自分の姿は、夢となった。

 浜辺にポツンと置かれたピアノ、青い海の底に揺らめくピアノの姿が印象的だった。

 画像は、ゴールディ「高貴な民族の高貴な遺風」。
  チャールズ・ゴールディ(Charles Goldie, New Zealand, 1870-1947)

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