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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

シンドラーのリスト

2007-04-15 | 一つの愛二つの心
 
 「シンドラーのリスト(Schindler's List)」を観た(監督:スティーヴン・スピルバーグ、出演:リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー他)。

 最近、相棒は戦争映画ばかり持ってくる。国民投票法案が可決されて、近い将来、憲法改悪が必至となった情勢、過去の戦争の現実をより知っておくほうがよい、って意図かも知れない。が、観ていて、もー悲しいやらつらいやら。
 ホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大虐殺)の事実は以前から知っているが、私の知識は本(と、手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」)によるもので、思えばこれだけ映像に触れたのは初めてだったような。映像の表現力というのは、それはそれで圧倒的で、まいった。

 舞台は、ナチス・ドイツ侵攻後のポーランドの古都クラクフ。ナチス党員でもあるドイツ人実業家オスカー・シンドラーは、戦争というビジネスチャンスに乗じて、野心満々、巧みな話術で軍幹部に取り入り、有能なユダヤ人会計士シュターンを引き入れて、工場の経営に乗り出す。
 ほとんど無償の労働力という理由でシュターンが斡旋したゲットーのユダヤ人を雇用し、多分シュターンの働きによるのだろうが、事業は軌道に乗る。一方、ナチスによるユダヤ人迫害はエスカレート。ゲットーの解体、強制収容所への収容、戦況の悪化に伴う、収容所の閉鎖とアウシュヴィッツへの移送。その間、ユダヤ人たちは次々と殺害されていく。
 シンドラーは、故郷チェコに労働者ごと工場を移設するという理由で、話術と賄賂で千人以上のユダヤ人を収容所長ゲートに要求するためのリストを作る。

 シンドラーは熱血的な英雄ではない。酒好き女好きの伊達男。戦争で金を儲け、そのスタンスを(見かけ上は)最後まで崩さない。ユダヤ人を救うにも金を使う。
 が、あまりに簡単に人間が殺されていくなか、どうにも引っ込みがつかなくなったのだろう。

 シンドラーが決断を下す前には、赤い服の少女が登場する。この映画はモノクロームなのだが(だから、よりリアリティがあるのだが)、少女の赤い服だけはパートカラーで描かれる。少女は前兆なのか、それとも彼の良心の象徴なのか。
 ゲットー解体の日、ユダヤ人たちが追い立てられ、機関銃で撃ち殺される様子を、丘の上の馬上から目撃したシンドラーは、赤い服の少女を見とめる。人波に紛れてちょこちょこと逃げ惑い、隠れる少女から、彼は眼を離せない。その後、シンドラーはゲートに、生産効率向上を名目に、ユダヤ人労働者を譲り受け、自分の工場内に私設収容所を作ることを許してもらう。
 敗戦色が強まったある日、収容所では殺されたユダヤ人の遺体が掘り返され、証拠隠滅のために焼却される。空一面に舞い降る灰。シンドラーは遺体の山のなかに、少女の赤い服を見とめる。その後、彼はリストを作る。

 戦争というのは本当にやりきれない。権力というのは本当に怖ろしい。暗ーい気持ちになっちゃったけど、現実が暗いんだから仕方がない。
 やっぱりアウシュヴィッツにも行かなきゃならない。 

 あと、シュターンてどっかで見たと思ったら、あのガンジーだったのね。

 画像は、モリゾ「赤いエプロンの少女」。
  ベルト・モリゾ(Berthe Morisot, 1841-1895, French)

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地球は女で回ってる

2007-03-15 | 一つの愛二つの心
 
 「地球は女で回ってる(Deconstructing Harry)」を観た(監督:ウディ・アレン、出演:ウディ・アレン、カースティ・アレイ、ジュディ・デイヴィス他)。
 最近、相棒はウディ・アレンものにハマっている。多分、似ているんだろう。この映画の主人公も、アメリカ的な軽さや滑稽さを抜いて、誠実に真っ直にしたら、まるで相棒。

 主人公はニューヨークの流行作家ハリー。これまで、私生活での妻や恋人や姉など女性をモデルに、デフォルメして小説を書いては、彼女たちの激怒を買ってきた。
 かつて放校された母校に表彰してもらえることになったが、彼は目下スランプ気味。おまけに、表彰式に同席してくれる人が見つからない。

 大学の表彰式に向かうという現在進行形のドラマをベースに、愛人との過去の回想の小ドラマ、それをモデルに書いた小説の小ドラマが、ペタペタと貼り合わさる。現在のハリー、過去のハリー、小説のなかのハリーが、交互にストーリーを織りなしていくという、面白い構成。
 最後には現実と小説の世界とがごっちゃになり、小説の登場人物が現実に現われて、主人公を諭し、励ます始末。

 この主人公、小さい頃から無類の女好き、幾つになっても成長しない。大いに博識で、エスプリが利いていて、おまけに脳の回転が速く、マシンガンのように喋りまくる。でも周囲からは、「科学とセックスしか信仰しない」なんてイヤミを言われる。
 鬱病気味で、いつもくよくよし、ぐだぐだと弁解する。酒と薬と女なしでは暮らせず、何度結婚してもすぐに浮気してしまい、そのたびに離婚する。
 周囲には罵倒され、自分でも自己嫌悪に陥るけれども、何を改めるわけでもなく、相変わらずダメ人間のまま。だらしのない最低男が、次々とひどい目に会い、やることなすこと、ろくな結果にならない。

 主人公のハリーを演じるのはウディ・アレン本人なのだから、ハリーの言動は、本音という気もするし、冗談という気もする。まあ、一種の自虐趣味かも知れない。
 最後にスランプを脱出し、やけに自信たっぷりに創作活動に向かうハリー。考えてみれば、状況は何も変わっていないわけで、これからも周囲を憤激させ、周囲に悪態を吐かれながら、小説を書くんだろうけれど。
 ……他人事じゃない。

 画像は、レヴィタン「東洋のショールを纏ったユダヤ女」。
  イサーク・レヴィタン(Isaak Levitan, 1860-1900, Russian)

ダーリング

2007-03-05 | 一つの愛二つの心
 
 「ダーリング(Darling)」を観た(監督:ジョン・シュレシンジャー、出演:ジュリー・クリスティー、ダーク・ボガード、ローレンス・ハーヴェイ他)。
 南欧の公妃に登りつめた「理想の女性」、愛称“ダーリング”のダイアナの、シニカルで余韻最悪のシンデレラ・ストーリー。

 ダイアナは幼い頃から可愛らしく、素晴らしくセクシーなブロンド美人に成長。TVの街頭インタビューを受けたのをきっかけに、ジャーナリストのロバートと付き合い始める。互いに婚姻関係にあったが、まもなく同棲。彼のコネでモデルの仕事をゲット。
 が、多忙なロバートに満たされず、大企業の若社長マイルズと付き合うように。彼のコネで女優やキャンペーン・ガールの仕事をゲット。豪奢な上流階級や頽廃的なアーティストたちとも交流。が、ロバートには娼婦と罵られ、逆ギレして、そのまま破局。
 CM収録先の南イタリアで公爵にプロポーズされ、一旦は断るものの、結局は結婚し、公妃となる。イギリスの田園育ちの、気さくで美しい新公妃に、世間は騒然とするけれど……

 一人の女性が美貌を武器に、富や名声や地位など、華やかな世界での成功を手に入れてゆく一方で、内心では真実の愛を求めて揺れている、という筋。
 が、筋とは裏腹に、ダイアナはボロクソに描かれている。少なくとも私は全然共感しなかった。

 ダイアナという女性は、自分が愛されるのは当然、だが他人の愛情は平気で踏みにじる。いつも構ってもらえなければ気が済まず、本質を突かれたり、上手くいかなかったりすると、相手を罵倒し、破壊的な行動に出る。今ある現状を放り出し、新しい状況に身を置いて夢中になるが、すぐに飽きる。そして、そうしたことを自分で全然理解できない。
 彼女は常にエゴイスティックに、好きなように行動するくせに、それが招く結果には常に不満を持つ。即物的なくせに、満たされない、淋しい、孤独だ、と感傷的に愚痴る。そして男にすがり、男を振り回す。

 気晴らしに万引き。酔っ払って乱痴気騒ぎ。鉢に酒を注いで、死んでしまった金魚のために黙祷。公爵の求婚に、一晩ゆっくり考えたいと猶予を貰い、その一晩をリゾート・ラバーと過ごした後、済ました顔で公爵に返事。親切な神父にすがって、神を信じて結婚を決意。
 すべてが幼稚で、偽善的で欺瞞的で、すさんでいる。

 そして、最後に不相応に手に入れた公妃の生活は、やっぱり退屈で孤独な、しかも自由のない生活。なのに再会したロバートには、つれなく送り帰される。
 もう嘘はたくさんだ、道連れもごめんだ、と言われて。

 結局、他人の嘘の人生には付き合っちゃいけないわけ。

 画像は、ボルディーニ「夏のそぞろ歩き」。
  ジョヴァンニ・ボルディーニ(Giovanni Boldini, 1842-1931, Italian)

日の名残り

2007-03-02 | 一つの愛二つの心
 
 「日の名残り(Remains of the Day)」を観た(監督:ジェームズ・アイヴォリー、出演:アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン他)。こういう、ほろ苦いのは苦手。良かったけど。
 イギリスの名門貴族であるダーリントン卿に半生を仕えてきた執事、スティーブンスが、かつて共に卿に仕えた女中頭、ケントンに会うために、慣れない車を走らせながら、当時の日々を回想する、という物語。

 古き良きイギリスの貴族の格調高い優雅な生活。それを象徴する執事という存在。今は過去となってしまった時代への懐古が、そのまま老執事スティーブンスの人生の、最も輝いていた日々と重なり合う。

 執事としての自負から、自分の意見や感情の一切を自分のなかにしまい込み、私事を控えて忠実に主人に勤め上げるスティーブンス。

 雇われたばかりのケントンが、スティーブンスの部屋に庭で切ってきた花を飾ったとき、彼はこんなふうに答えていた。気が散る、と。彼は自分の気持ちを乱されたくはない人間。
 彼の世界は、オックスフォードの田園に佇む貴族屋敷のなかに完結していて、彼はそれをよしとしている。屋敷を訪れる政治家や外交官、彼らが運んでくる不穏な情勢、明らかな戦争の兆し、主人である卿の、最初は親ドイツ的な、そして次第に反ユダヤ的、親ナチ的となってゆく思想。……スティーブンスはそれらに対して無関心を徹する。
 同じように彼は、ケントンへの思慕も抑えてしまう。

 スティーブンスは、夫とは破局を迎えそうだ、屋敷で働いた日々が人生で一番幸せだった、もう一度働きたい、という手紙をケントンから受け取る。今の主人であるアメリカの大富豪ルイスは、外にも世界があるのだぞ、と彼に旅を勧める。
 で、彼はケントンに会いに行く。旅の途中、かつての主人の過ちを人に問われて、主人に忠義を持って仕えた私も私なりに過ちを犯したのだ、その過ちを正したくて今、旅をしているのだ、と答える。執事である前に人間であるべきだったのに、という過ち。

 20年を隔てて再会する二人。が、輝いていた日々には、二度と戻れないと知る。
 夕暮れが一日で幸せな時間なんですって、とケントンに言われたとき、老境の彼は、せめて昔の気持ちを打ち明けることもできただろう。が、彼は自嘲気味に、遠くを眺めやりながら、執事としての責務を果たすことが幸せであるように答える。その表情に、かつて同じことを答えたときの誇らかさはない。

 最後の時間、いつもは遅れるバスが、その日に限って定刻にやって来る。

 口に出して伝えようとしていたことを、やはり伝えず、生涯ただ一度の淡い恋を、最後まで胸にしまって、ケントンと別れるスティーブンス。固く握り締めた彼女の手を、ようやく離して、いつまでも見送る彼の切ない姿が、忘れがたい。
 人喰い殺人鬼の比じゃない。ホプキンス、すげー。

 画像は、ティソ「イギリス庭園にて」。
  ジェームズ・ティソ(James Tissot, 1836-1902, French)

野いちご

2007-01-16 | 一つの愛二つの心
 
 「野いちご(英題 Wild Strawberries)」というスウェーデン映画を観た(監督:イングマール・ベルイマン、出演:ヴィクトル・シェストレム、イングリッド・チューリン、他)。
 相棒はこういう、人間の内面を掘り下げる映画が好き。私はもっと、明るくてハッピーなのが好き。

 他人との交渉を好まない孤独な老医師イサーク。彼が、名誉博士号の授与式に出席するため、車で旅する一日のうちに、人生を追想する物語。 

 人気のない街路。時計には針がなく、無人の棺桶馬車が落としていった棺には、死んだ自分が横たわっていた。
 という、奇妙な夢で目覚めた朝、老人は車で式典へと向かう。息子の嫁も同乗。この道中、老人は夢と回想のなかで、過去と現在を行き来する。

 医学の分野で社会に貢献し、人格者として尊敬される彼は、しかし自分が自己中心的で、偽善的であることを知っている。老境に達した人間らしい達観や諦観は、実はイサークが眼を背け、切り捨ててきた、過去の事象から生じたもの。
 結婚するはずだった従妹は、弟に誘惑されて自分を捨てる。妻は別の男と密会。それらの回想のなかで、当時のままの姿をしている従妹や妻に対して、イサークは常に現実の老人の姿をしている。二人はそれぞれ別々に、同じことを口にする。イサークは優しい、と。
 優しさに名を借りた偽善、という罪は、夢のなかで裁かれる。その罰は、孤独。

 車旅の途中、道連れとなった若い男女たちや、仲の悪い中年夫婦、イサークの老いた母など、それぞれの世代を生きる人々が現われる。
 老人の独白と、彼らとの対話。針のない時計や、昔の従妹と名前も顔も同じ少女、などの奇妙な一致。また、神の存在の是非をめぐる議論。……これらが、夢や回想と、現実との行き来と重なり、現在へと収斂していく。

 惨めで虚しい人生だったという自覚の先にちらつく、死の予感。……が、道中を共にした若者たちは花を摘み、栄誉を祝福してくれる。家族というものを否定していた息子は、嫁とやり直そうとし、やはり栄誉を祝福してくれる。
 大好きよ、という言葉を受け取り、状況が特に変わったわけではないのに、優しさ、温かさ、安らかさが漂うようになる。死を間近にして、イサークは他人に心を開くことができたのだ、と分かる。家政婦の婆さんとのやり取りがユーモラス。

 イサークは人生を肯定できたのだと思う。

 画像は、ソーン「刺のある藪」。
  アンデルス・ソーン(Anders Zorn, Swedish, 1860-1920)