汎愛について

 
 学校でのいじめが社会問題化しているが、もし学校側が「いじめはない」と公言するなら、その学校はいじめへの対応がずさんだということになるという。学校というところでは、いじめは必ず存在するから。
 だから、いじめがあることを前提に、それをチェックし、初期段階で確実に潰す一方、いじめがいかに罪悪かを指導・教育するシステムを作り上げるのが、最も合理的な対応なのだという。

 同じようなことは、抑圧一般についても当てはまるように思う。
 人間社会において、抑圧(他者の自由に対する否定)は常に存在することを前提に、抑圧という行為がいかに人間の尊厳を蹂躙するか、それに加担する人間の人間的自然を破壊するか、という意識を浸透させ、些細な抑圧に対しても実際に対処できれば、抑圧のシェアは減り、その分、自由のシェアは増えると思う。

 さて、最近眼にしたのだが、互いを許し合う心、つまり汎愛、を持つことが、社会の諸悪をなくす根本的な解決の方向だ、という主張がある。
 許し合う心。一見、立派な主張に見える。が、正直、私には自己陶酔的な偽善としか映らない。

 私なら反対のことを言う。許さない心を持つことこそが大事だ、と。

 To be continued...

 画像は、ブーグロー「兄弟愛」。
  ウィリアム・アドルフ・ブーグロー
   (William Adolphe Bouguereau, 1825-1905, French)


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