野いちご

 
 「野いちご(英題 Wild Strawberries)」というスウェーデン映画を観た(監督:イングマール・ベルイマン、出演:ヴィクトル・シェストレム、イングリッド・チューリン、他)。
 相棒はこういう、人間の内面を掘り下げる映画が好き。私はもっと、明るくてハッピーなのが好き。

 他人との交渉を好まない孤独な老医師イサーク。彼が、名誉博士号の授与式に出席するため、車で旅する一日のうちに、人生を追想する物語。 

 人気のない街路。時計には針がなく、無人の棺桶馬車が落としていった棺には、死んだ自分が横たわっていた。
 という、奇妙な夢で目覚めた朝、老人は車で式典へと向かう。息子の嫁も同乗。この道中、老人は夢と回想のなかで、過去と現在を行き来する。

 医学の分野で社会に貢献し、人格者として尊敬される彼は、しかし自分が自己中心的で、偽善的であることを知っている。老境に達した人間らしい達観や諦観は、実はイサークが眼を背け、切り捨ててきた、過去の事象から生じたもの。
 結婚するはずだった従妹は、弟に誘惑されて自分を捨てる。妻は別の男と密会。それらの回想のなかで、当時のままの姿をしている従妹や妻に対して、イサークは常に現実の老人の姿をしている。二人はそれぞれ別々に、同じことを口にする。イサークは優しい、と。
 優しさに名を借りた偽善、という罪は、夢のなかで裁かれる。その罰は、孤独。

 車旅の途中、道連れとなった若い男女たちや、仲の悪い中年夫婦、イサークの老いた母など、それぞれの世代を生きる人々が現われる。
 老人の独白と、彼らとの対話。針のない時計や、昔の従妹と名前も顔も同じ少女、などの奇妙な一致。また、神の存在の是非をめぐる議論。……これらが、夢や回想と、現実との行き来と重なり、現在へと収斂していく。

 惨めで虚しい人生だったという自覚の先にちらつく、死の予感。……が、道中を共にした若者たちは花を摘み、栄誉を祝福してくれる。家族というものを否定していた息子は、嫁とやり直そうとし、やはり栄誉を祝福してくれる。
 大好きよ、という言葉を受け取り、状況が特に変わったわけではないのに、優しさ、温かさ、安らかさが漂うようになる。死を間近にして、イサークは他人に心を開くことができたのだ、と分かる。家政婦の婆さんとのやり取りがユーモラス。

 イサークは人生を肯定できたのだと思う。

 画像は、ソーン「刺のある藪」。
  アンデルス・ソーン(Anders Zorn, Swedish, 1860-1920)
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