チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

母の日 約束を守れなくて、ごめん・・・

2024年05月12日 | 介護
昨年の母の日に、こうしてお花を贈るのは最後かもしれないねと弟と話したことを思い出しています。
今年も母と面会して贈ることができたけれど、想いは複雑です。

今年1月、再度の脳梗塞で母は食べ物を呑み込めなくなってしまったのです。
2月初旬、面会に訪れた私たちに老医師から説明がありました。

母の脳梗塞は落ち着いているが、今回の梗塞で食べることができなくなったので、鼻からチューブを入れて胃に栄養剤を注入する『経鼻経管栄養』の同意書にサインをお願いしたいとのこと。

ちょ、ちょっと待って!

私:それは、延命措置ではないのですか?
 母は延命治療を希望していません。チューブを入れることも希望していません。

医師:いえ、これは延命措置ではありません。脳梗塞は落ち着いていますので、栄養を取れば、また施設に戻って生活することが出来るのですよ。

私:でも・・・

弟にどう思うか確認すると、「いや~、これは難しい問題だ」と言います。

あれっ? 母と私の間では、延命治療はしないと確認済みだったけど、弟はどう考えているのだろう?(確認してなかった・・・)
もしかして、弟はどんな形であれ、母に生きていて欲しいと思っているのではないだろうか?
それを強引に私が治療を拒否していいのだろうか?
そして、次の弟の言葉が決め手になってしまった・・・
「実は俺、転勤なんだよ。」
ああ、つまり今、母に逝かれては困るということか。
と忖度してしまったのです。
それで、同意書にサインしてしまった。

あの時、経鼻経管栄養を拒否していたら、今頃母はお墓の中で眠っていたことでしょう。
私は、母から死ぬチャンスを奪ってしまったのかもしれません。
現在の母は、鼻にチューブを入れて、ただ眠っているだけ。
チューブを入れることをあんなに嫌がっていたのに、約束を守れなくて本当にごめんなさい。



病院を後にしてから弟にどう思っているのか確認したら、母が延命治療を拒否していたのは知っていたが、苦しまないで済むのはどちらなのか判断するのが難しいと考えていたそうです。
私は今、後悔しています。
母が脳梗塞になった時点で、脳梗塞のその後はどうなってゆくのか、もっと勉強しておくべきだったと。



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4 コメント

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Unknown (せしお)
2024-05-13 07:28:17
難しいですね~
母もチューブやコードに繋がれてまでは生きていたくないって言っていますが、薬なら「拒否します。」って言えたと思いますが、栄養だって言われると・・・
私も同意してしまう気がするな~
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Unknown (ケイエス)
2024-05-13 07:58:33
チエさん、これは本当に難しい選択です。
どちらを選択しても後悔はしていたと思います。
でも私はとりあえず出したチエさんの決断は正しかったと思います。
私でもそうしています。
お母様もまたちえさんの決断を信じてらっしゃると思いますよ。
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>せしおさん (チエ)
2024-05-13 19:55:23
コメントありがとうございます。
お医者さんが80歳代の方なので不安があったんですよね~
案の定で、私がチューブは拒否しますって言った時のお医者さんが「そんなこと言うか?信じられない」ってお顔されてました。
彼が全盛の時代は何が何でも生かす!みたいな頃だったと思うのです。
母がこの先どうなってゆくのか、もう少し選択肢を示してほしかったです。
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>ケイエスさん (チエ)
2024-05-13 20:00:53
お言葉ありがとうございます。
ケイエスさんのコメントで救われた気持ちです。
おそらく母は私たちの選択を許してくれていると思います。
だって、母親ってそういうものだから。
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