その日、大きな風呂敷包みを背負ったおばあちゃんはチエちゃんと、とし江ちゃんの家を訪れました。
とし江ちゃん家は茅葺屋根の古い大きな家で、熊んさまの隣にありました。
とし江ちゃんはチエちゃんのひとつ年下で、二歳違いのお兄ちゃん、カズあんちゃとも、季節保育所の顔馴染みでしたから、チエちゃんはよく遊びに行っていたのでした。
この家には、お父さんさんとお母さんのほかに『スイおばちゃん』という人がいました。スイおばちゃんは、とし江ちゃんのお父さんのお姉さんで、いかず後家ということでした。
チエちゃんは「いかず後家」という意味がよく分かりませんでしたが、あまり良い意味の言葉でないことは感じていました。
おそらく、スイおばちゃんは若い頃に病弱であったか、或いは女手のなかった生家の切り盛りをするうちに婚期を逃してしまったということではなかったのかと想像します。
スイおばちゃんは、当時でも珍しくなってしまった機織りのできる人でした。
チエちゃんが遊びに行くと、奥の部屋からは、トン、パタン、カラリ、トン、パタン、カラリ・・・と聞こえていました。
チエちゃんのおばあちゃんが持ってきた荷物は、洗い張りをした古い着物や布団表の布地です。この布地を細く裂いて横糸とし、裂き織りとして再生してもらうためだったのです。
織り上がった裂き織りは、薄手のラグのような布地で、元の布の色合いによって青や赤の段染めのような風合いでした。チエちゃんの家では何枚かはぎ合わせて、コタツの上掛けとして使っていました。
古くなった布を更に再生して使う、究極のエコですね。こんなことが、当たり前の時代でした。
※ 画像は、民家園に展示してあった織機です。まさに、裂き織りを織っているところのようです。
とし江ちゃん家は茅葺屋根の古い大きな家で、熊んさまの隣にありました。
とし江ちゃんはチエちゃんのひとつ年下で、二歳違いのお兄ちゃん、カズあんちゃとも、季節保育所の顔馴染みでしたから、チエちゃんはよく遊びに行っていたのでした。
この家には、お父さんさんとお母さんのほかに『スイおばちゃん』という人がいました。スイおばちゃんは、とし江ちゃんのお父さんのお姉さんで、いかず後家ということでした。
チエちゃんは「いかず後家」という意味がよく分かりませんでしたが、あまり良い意味の言葉でないことは感じていました。
おそらく、スイおばちゃんは若い頃に病弱であったか、或いは女手のなかった生家の切り盛りをするうちに婚期を逃してしまったということではなかったのかと想像します。
スイおばちゃんは、当時でも珍しくなってしまった機織りのできる人でした。
チエちゃんが遊びに行くと、奥の部屋からは、トン、パタン、カラリ、トン、パタン、カラリ・・・と聞こえていました。
チエちゃんのおばあちゃんが持ってきた荷物は、洗い張りをした古い着物や布団表の布地です。この布地を細く裂いて横糸とし、裂き織りとして再生してもらうためだったのです。
織り上がった裂き織りは、薄手のラグのような布地で、元の布の色合いによって青や赤の段染めのような風合いでした。チエちゃんの家では何枚かはぎ合わせて、コタツの上掛けとして使っていました。
古くなった布を更に再生して使う、究極のエコですね。こんなことが、当たり前の時代でした。
※ 画像は、民家園に展示してあった織機です。まさに、裂き織りを織っているところのようです。
そうですねぇ、もともとが木綿の布ですから、絣のようですかねぇ。
ゴワゴワしてデニム地のような感じもしますよ。
もったいないの精神が生きていました。
私たちも見習わないと・・・
絣(かすり)に似た感じですかね~
昔の人はエコ上手だった・・・
自然からの恵みを最後の最後まで使う心意気・・・
忘れてはいけないですね・・・
私も、端切れ布やあまり毛糸などが宝ものでしたね。
キューピー人形の洋服を作りましたよ。
機織りの音とともに、家のにおいが、吹いてきたようです。
あまった糸や、布地で、お人形に服を着せていた記憶があります。懐かしいな