思い起こせば、あれが始まりだった、チエちゃんはそう思うのです。
高1の夏休みを前にした最後の地理の授業で、桧山先生が言ったのです。
夏休みの宿題を出す!
地理でも、歴史でも、何でもいい、自分の住んでいる地域に関することをテーマに、レポートを提出すること。
出さないヤツは、テストの成績が良くても0点だ!!
エエッ~~~! 何それ~~!
この桧山先生、入学したばかりのチエちゃんたちに向かって、何かというと、
「ハイ、ここ重要!! 必ず、大学入試に出る!」と言いまくる、いけ好かないヤツだったのです。
とにかく、何かやらなければ・・・・・
そこで、思いついたのが、チエちゃんの村に
養蚕を伝えたという小手姫様のことだったのです。
不動様から50mほど先の姫が住んでいたとされる場所には、小さな社が建っており、そこはおじいちゃんの散歩コースのひとつでした。
熊ん様の宮司さんに聞けば、詳しいことが分かるかも知れないというお母さんのアドバイスで、早速、聴きに行きました。
宮司さんから、さらに隣町の旧家に姫が使っていたという銅鏡を保存しているお宅があると教えられ、そこのお宅へ連絡を取り、鏡を見せてもらうことになったのです。
真夏の太陽の照りつける中、自転車を漕いでたどり着いたそのお宅は、古い萱葺き屋根の大きな家でした。玄関の土間は昔の作りそのままで、ひんやりとした感触が心地良かったことを覚えています。
応対に出た腰の曲がったおばあちゃんは、早速奥から、しわくちゃの新聞紙に包まれた銅鏡を出して見せてくれました。お姫様のお宝ですから、さぞや立派な桐箱などに納められているのだろうと想像していたチエちゃんは拍子抜けしたのでした。
直径10cmほどの銅鏡は、所々、緑青がでて、錆びついており、チエちゃんが姿を映そうと覗き込んでも、一向に見えるものではありませんでした。
そして、おばあちゃんの家で鏡を預るようになった経緯を尋ねても、
「さあーてなあ、なんでだが分がんねげんちょも、小手姫様の鏡だってごどだない」と、収穫はなかったのです。
とにかく、その銅鏡を写真に納めて、お礼を言い、帰途に着いたのでした。
それから、チエちゃんはどのようなレポートを作成したのか、すっかり忘れてしまいましたけれど、歴史への興味だけは持ち続けることになったようなのです。