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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

電源タップを調達した。

2010-07-14 06:43:27 | プア・オーディオへの招待

 オーディオ用の電源タップを一個新たに調達した。もっとも、これはオーディオシステムのためではなくテレビ用だ。新居に引っ越してから買ったテレビは、画質は良いが音は悪い。いずれはアンプとスピーカーを揃えてサウンドのグレードアップを図る予定で(もっとも、5.1chみたいな大仰な仕掛けを導入する気はないが ^^;)、今回の買い物はその下準備みたいなものだ。

 いくらテレビ用といっても、ホームセンター等に売っている安価なものは見栄えが悪いので買いたくない。かといって家電店のオーディオコーナーに並べられた“有名メーカー品”は高すぎる。以前利用したネット通販業者にまた頼もうかとも思ったが、それらの製品に使われている重くて太い業務用ケーブルは狭いスペースでは取り回しに苦労する。他に適当なものはないのかと思ってネット上を探し回っていたところ目に付いたのが、福岡市城南区に居を構えるオーディオ工房「音のエジソン」で作っている電源タップある。

 さっそく足を運んで買い求めた。もちろん、テレビに接続する前にオーディオシステムに実装して手持ちのタップとの“聴き比べ”を敢行。かねてより私は電源タップによる音の変化は電源ケーブルよりかなり少ないと思っている。今回も同様で、びっくりするほどの違いはない。しかし、明らかに音は異なる。

 私が常用している電源タップはOYAIDEのOCB-DXsである。そこで「音のエジソン」のタップに替えてみると、音像が太くなり音場もほんの少し広がった。重心が中低音寄りになり、安定感も増す。しかし、音の粒立ちやスピード感はOCB-DXsの方が上だ。やはり専門メーカーの製品はオーディオファンが喜びそうな“味付け”を心得ていると思った。

 だが、正直言って両者に決定的な差があるとは思えない。OCB-DXsが定価ベースでは2万7千円であるのに対し、「音のエジソン」のタップは1万3千円であることを勘案すると、コストパフォーマンスに関しては後者に軍配が上がる。

 また、「音のエジソン」のタップにはホスピタルグレードのパーツやロジウムメッキ処理などのマニアックな“仕掛け”は搭載されていない。どう見ても、使われているのは通常の電気宅内工事用の部品ばかりだ(プラグも3ピンではない)。逆に言えば“普通の部品”で構成されているからこそ、クセのないサウンドが出てくるのだと思う。

 その他の特徴としては、ブレーカーが付いていること。安全面を考慮した結果だろうが、見た目は面白い。木製の筐体も外見の大きさを感じさせず、リビングに置いても違和感はないだろう。

 さて、「音のエジソン」はタップだけではなくアンプやスピーカー、そしてレコードプレーヤー用のカートリッジも作っているという、いわばガレージメーカーでもある(特にカートリッジは海外展開も手広くやっているそうだ)。当然のことながら、店に足を運んだ際にその自社製システムも試聴させてもらった。その感想は次回のアーティクルにて述べる。
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「レポゼッション・メン」

2010-07-13 06:37:12 | 映画の感想(ら行)

 (原題:REPO MEN)荒唐無稽なお手軽SF活劇ながらけっこう楽しめたのは、世相を上手く取り入れているためだろうか。近未来、人工臓器によって健康と延命が可能になった世界。臓器の提供元であるユニオン社は“顧客”に途轍もない額のローンを課し、返済が滞るとレポゼッション・メンという臓器回収人を送り込んで強制的に人工臓器を取り立てる。もちろん回収された側は御陀仏だ。いわば合法の殺人請負人である。

 ここで疑問に思うのは、医療に多大な貢献をするはずの人工臓器が、保険の対象外になっていることだ。フツーの国では考えられないが、国民皆保険が確立していないアメリカではそれも頷ける。言葉巧みにローンを組ませて非情な手段で回収するその手口はまるで闇金融だが、当然のことながら一方で臓器を簡単に買える層も存在しており、この二極化は実際の格差社会の暗喩であろう。

 主人公のレニーは凄腕の回収人だが、勤務中の事故によってユニオン社のハイエンド商品である人工心臓を埋め込まれるハメになる。この会社には“労災”という用語も存在しないらしいが(笑)、ここにもまた経営者以外の従業員は(どんなに有能でも)骨までしゃぶり尽くされるというシビアなアメリカ社会への皮肉がある。

 レニーは知り合った女性多重債務者と共に真実を探るため、ユニオン社に対して宣戦を布告する。そのプロセスは徹底してエゲツない。冒頭から描かれる“臓器回収場面”もリアル描写で流血シーンの苦手な観客はドン引きしてしまうが、後半のバトルシーンに至っては華麗な“血みどろショー”が展開(爆)。次々と襲いかかる回収人達を鮮血の海に沈め、終盤にはさらにエグい描写が手ぐすね引いて待っている。

 ただし、ミュージック・ビデオ出身という新鋭ミゲル・サポチニク監督のテンポの良い演出により、陰惨な感じは希薄だ。それどころか明るくポップな印象さえ受けてしまう。使われる楽曲もかなりセンスが良く、スタンダード・ナンバーから最新ポップスまで、画面の状況に応じて上手く選択されているのには感心した。

 ラストにドンデン返しがあるが、これは勘の鋭い観客ならば途中で気が付くだろう。しかし、そうと分かってはいてもこのオチには思わずニヤリだ。無いよりはずっと良い。

 主演のジュード・ロウは肉体アクションもこなしてかなり頑張っている。フォレスト・ウィテカーは相変わらず海千山千の食えない野郎を好演。「ブラックブック」のカリス・ファン・ハウテンも出ていて、したたかな味を見せる。秀作でも何でもないが、肩の凝らない(ちょっと苦みが利いた)娯楽編としての価値は十分にある。
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「シービスケット」

2010-07-12 06:37:33 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Seabiscuit)2003年作品。1930年代、大恐慌で苦しむ人々に希望の光を灯した競走馬とそれにまつわる3人の男たちを描く、ゲイリー・ロス監督による実録ドラマ。その年のアカデミー作品賞の候補にもなっていたが、大して面白くない映画だ。

 私のように競馬に全く興味がない観客をも取り込むためには、競馬の持つ魔力と“色気”をあざといまでに前面に出し、それを普遍的な映画的興趣に昇華していかなければならないはずだが、ここで描かれる競馬は“単なるスポーツ”あるいは“単なる娯楽”でしかない。

 競争シーンは迫力はあるものの、よく見ればスタート時の駆け引きとかゴール寸前のデッドヒートとかいう大事な場面は全然描かれていない。ただ“馬が走っているところを写しました”というだけで、そこには映画的スペクタクルのカケラもないのだ。

 それは競走馬を取り巻く3人の男達の描写についても同様で、馬に取り憑かれた狂気を浮き彫りにしなければならないはずが、最初に“彼らは馬が好きでした”という説明的シークエンスが提示されるだけで、あとは“史実”を何の工夫もなく積み上げるのみ。しかも、ソープ・オペラみたいな御都合主義的展開を大仰に繰り返すあたりは気色が悪い。これが2時間半も続くのだから疲れてくる。

 トビー・マグワイア、ジェフ・ブリッジス、クリス・クーパーといった面々も“ただ出ているだけ”といった感じで特筆すべきものはない。テレビのミニ・シリーズで扱うのが丁度いいような出来だ。
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「ロストクライム 閃光」

2010-07-11 06:37:35 | 映画の感想(ら行)

 いつの映画を観ているのかという気分になった。感覚としては30年は古い。ひょっとしてこれは冗談でやっているのだろうか。もしも本気で製作しているのならば、伊藤俊也監督はじめとするスタッフの頭の中が“化石状態”になっているとしか言いようがない。

 ラーメン屋の店主の他殺体が東京湾に浮かぶ。定年間近のベテラン刑事は、この事件が時効により迷宮入りしてしまった3億円強奪事件と関係があることに気付き、血気にはやる若い刑事と共に真相を追う。ところが、警察上層部は二人の捜査を妨害。やがて戦後最大の謎といわれる事件と警察当局との黒い繋がりが炙り出される・・・・という筋書きだ。

 構想自体はスケール感たっぷりだが、中身は実にショボい。前半を観ていれば誰でも予想が付くように、3億円事件の犯人が当時の警察関係者の身内だったというプロットが中盤以降に提示されるのだが、その程度で観客が満足すると思っているのだろうか。あの事件が起こった当時、どうして普通の家庭に育った若者達が狼藉沙汰に及んだのか、そっちの方を追求すべきだ。この映画では単に“全共闘の時代だったから”という一言で片付けてしまっているようだが、その程度の浅い認識でデカい題材を選んでもらっては困るのである。

 話の進め方は行き当たりばったりで、若い方の刑事(渡辺大)が同じ署の仲間にいきなり拉致されたり、退職した刑事の話を思わせぶりに流したり、内実を知る雑誌記者がうろついたりと、視点があっちこっちに飛んでまるで要領を得ない。さらに若い刑事の同棲相手が元ヘルス嬢だったという扇情的なモチーフが挿入されるに及び、思わず失笑してしまった。

 奥田瑛二や武田真治、かたせ梨乃、原田芳雄といった多彩なキャストを擁していながら、全員が激しくデクノボーにしか見えない。画面の切り取り方なんか凡庸そのもので、最近はテレビの2時間サスペンス劇場でもあまりやらないような(とは言っても私もあまり見たことはないのだが ^^;)説明的な映像の羅列など、何かのジョークとしか思えない体たらくだ。終盤の展開なんか脱力そのもの。尻切れトンボみたいなラストも含めて、収拾がつかなくなり映画そのものを放り出したとしか思えない。

 それにしても、次々と殺人に手を染める犯人は一体どこで拳銃を手に入れたのだろうか。さらに、脱ぎそうでなかなか脱がない(元風俗嬢役の)川村ゆきえの存在価値は、果たしてどこにあるのだろうか(激爆)。とにかく、観ていてストレスばかりが溜まる一編である。
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「ホワイト・バレンタイン」

2010-07-10 06:25:34 | 映画の感想(は行)
 99年韓国作品。私は2004年のアジアフォーカス福岡映画祭で観ている。「猟奇的な彼女」などでお馴染みのチョン・ジヒョンのデビュー作だ。監督は「リベラ・メ」のヤン・ユノ。

 ヒロインが中学生の頃に年齢を偽って文通していた相手が同じ町に引っ越して来てどうのこうのというラブコメ漫画みたいな話が延々と展開する。絵に描いたような“すれ違いネタ”を臆面もなく並べるあたりも気恥ずかしい。

 ただし、キャラクターの設定が上手くいっているせいで観ていて悪い気はしない。どの登場人物も浮いた感じがなく、しっかりと役柄を自分に引き寄せている。チョン・ジヒョンは撮影時に17歳だったというが、役の上では20歳の設定。大人っぽいノーブルな美貌はこの頃から際立っている。

 肌触りの良い映画だが、ラストが近づくにつれ説明不足のシークエンスが目立ち、ついには訳が分からないまま終わるのは残念。脚本の詰めが甘い。なお、ロケ地がどこなのかは不明だが、古都の雰囲気を持った町並みは魅力的である。ワンシーン・ワンカットを基調としたカメラワークも悪くない。
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「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」

2010-07-09 06:40:11 | 映画の感想(は行)

 (原題:The Hangover)本国アメリカでは大ヒットし、ゴールデングローブ賞も受賞しているというコメディだが、大して面白くもない。その原因はまずネタの練り上げ不足。そして第二に演出テンポの悪さだ。

 結婚式を2日後に控えたダグのため、悪友たち3人が用意したのはラスベガスの高級ホテルのスイートを借り切ってのバカ騒ぎだった。まずはホテルの屋上で乾杯したまでは良かったが、これより先の記憶は彼らにはない。翌朝ヘヴィな二日酔いと共に目を覚ました3人組は、メチャクチャに散乱した部屋と、洗面所に居座る一頭のトラに遭遇する。そして肝心のダグの姿が消えていた。彼らは激しい頭痛に閉口しながらも、行方不明になった花婿を捜し回るハメになる。

 実は最初に飲んだ酒の中にタチの悪いドラッグが混入していたという説明があるのだが、これ自体があまりスマートではない。ドラッグなんてほとんどの観客には縁がないのだ。ここはたとえば彼らが元々極度に酒癖が悪く、長い間自重していたが花婿の壮行会で思わずハメを外してしまったという設定の方が、より広範囲にアピールできたはずだ。

 トラの持ち主はマイク・タイソン(本人)で、主人公達がタイソン邸に侵入して勝手に盗んできたものだが、どうして無事にトラを持ち出せたのか判然としない(笑)。あと、チャイニーズ・マフィアだのヤクの売人だのも絡んでくるのだが、ハッキリ言って驚くような展開ではない。酩酊した勢いでストリッパーと結婚した奴が出てくるとか、警察の横暴ぶりに悩まされたりといったプロットも、まあ“想定の範囲内”だ。なぜなら、そこはラスベガスだから(爆)。

 この24時間眠らない世界有数の歓楽街においては、まさに“何でもあり”なのだ。こういう“何でもあり”の街の中で田舎者がどんなに狼藉をはたらこうが、全然目立たない。舞台をニューヨークやシカゴなどの、ラスベガスよりはいくらか“カタギの街”に置いた方が数段良かったのではないか。終盤近くに明かされるダグの居場所も、まるで工夫がない。

 トッド・フィリップス監督の仕事ぶりは冗長で、何よりネタの振り方がヌルい。もっとリズミカルにギャグを繰り出さないと、ネタ自体の面白く無さをカバーできない。ブラッドリー・クーパーやエド・ヘルムズら出演者陣もあまり魅力がない(別に彼らじゃなくてもいい役柄だ)。

 わずかに印象に残ったのはストリッパー役のヘザー・グラハム。久しぶりに見るような気がするが、相変わらずキュートながら寄る年波には勝てず(もう40歳だし)、少し容色が衰えていたのは残念。今後は年齢相応の落ち着いた役柄もこなして欲しい。
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「ポロック 2人だけのアトリエ」

2010-07-08 06:31:23 | 映画の感想(は行)
 (原題:Pollock )2000年作品。50年代に活躍したアメリカの抽象画家ジャクソン・ポロックの伝記映画で、俳優のエド・ハリスの初監督作品。主演も彼自身で、相手役のマーシャ・ゲイ・ハーデンがアカデミー助演女優賞を受賞する等、高い評価を受けている映画だ。

 しかし、私は少しもいい映画とは思わない。なぜなら、この映画は何も描けていないからである。孤高の天才であったポロックの内面的葛藤が画面上に活写されることは一度もない。自虐的な行為に至る彼の苦悩はどこにもなく、彼の妻をはじめとする周りの人間の当惑ぶりも伝わっては来ない。彼の芸術に影響を与えていたはずの時代背景も完全無視だ。単に実在のキャラクターを事実通りに動かしているに過ぎない。要するに映画的趣向はゼロである。

 で、ハリスがこの映画でやりたかったものは何かというと、ポロックの絵に傾倒し、努力の末に彼の技法をマネすることを身につけた、自身の「芸能発表会」である。事実、彼が絵を描くシーンには驚かされる。筆の運びや体の動かし方はポロックそのもの。さらに本当にポロックの絵と似たような作品をアッという間に完成させてしまうあたりは凄い。

 ただし、しょせんそれは「その程度のもの」なのだ。こっちは何も物真似芸を見るために劇場に足を運んだわけではない。ドラマ軽視の自己満足映画など、あまり観る価値はない。
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「クロッシング」

2010-07-07 06:22:51 | 映画の感想(か行)

 (英題:CROSSING)脱北者という題材はセンセーショナル性が高いのだが、かなりの違和感を覚えてしまう。これはたぶん、重いテーマを扱っているにもかかわらず、多分にいわゆる“韓流ドラマ”の方法論が混入しているからだろう。

 主人公(チャ・インピョ)は昔サッカー選手だったが、今はしがない炭鉱夫。貧しいながらも何とか暮らしていたが、妻(ソ・ヨンファ)が重病に罹り、特効薬を得るために国境を越えて中国に行くしかない状況に追い込まれる。必死の思いで鴨緑江を渡った彼だが、ひょんなことから亡命グループに組み入れられ、韓国で暮らすハメになる。これでは薬を買って北朝鮮には戻れない。

 その間に妻は病死。11歳の息子(シン・ミョンチョル)は父親を追って脱北しようとして捕まり、収容所に入れられて辛酸を嘗める。やがて市民活動組織の手引きによって息子は助け出されるが、さらなる苦難が待っていた・・・・という話だ。

 韓国映画得意の“不治の病”というモチーフが挿入され、舞台が北朝鮮に始まって中国各地、韓国、さらにはモンゴルまで不必要に広がり、出てくる連中は感情過多の演技表現ばかり。浪花節的な音楽がそれを盛り上げ、親子の思い出のメタファーとなる“雨の描写”をこれみよがしに強調。

 ハッキリ言って、これはテレビドラマ(お涙頂戴モード)のノリではないか。もっと突き放した、ドキュメンタリー・タッチで迫った方が対象を的確に捉えられたはずだ。監督のキム・テギュンは元々「火山高」とか「彼岸島」などのお手軽な娯楽編の作り手であり、こういう硬派なネタをうまくこなせる人材だとは思えない。正攻法のアプローチが可能な堅実派の演出家を起用すべきだった。

 もう一つ気になったのは、登場人物の誰も北朝鮮当局に対する批判を口にしないことだ。主人公は何とナショナル・チームの一員だった。それがおそらくはワールドカップ予選で敗退したため、炭坑送りになったと思われる(実際にそういう事実はある)。いくら負けたとはいえ、国の威信を賭けて試合に臨んだ人材を無惨に潰してしまう北朝鮮の狼藉ぶりには呆れるが、要するに悪いのは政府であり、本人や家族には全く非はない。

 しかし本作では北朝鮮への具体的な悪口は存在しないのだ。この忍従さが朝鮮民族の特徴だと言われれば全く身も蓋もない話なのだが、もしも“北”および関係者への配慮から斯様な処置が取られたとするならば、いったい何のために映画を作ったのか分からない。

 残念ながら、この作品にはテーマをとことん追求する覚悟に欠けている。ヘヴィな問題提起を期待していると、肩透かしを喰らうことになるだろう。
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「バッドボーイズ2バッド」

2010-07-06 06:33:27 | 映画の感想(は行)
 (原題:Bad Boys 2)2003年作品。実にジェリー・ブラッカイマー&マイケル・ベイらしい、脳天気の極みのような作品である。8年前の前作がどうであったかは問題ではなく、ウィル・スミスとマーティン・ローレンス扮する黒人刑事の暴れっぷりをただ眺めるしかない。

 とにかく登場人物全員が頭がパーで、ストーリーには合理性のカケラもなく、ひたすら破壊のための破壊、アクションのためのアクションを繰り広げるのみ。

 どうしてマイアミ市警に元デルタ・フォースやネイビー・シールズあがりがゴロゴロしているのか、なぜに犯人と対峙すると警告も説得も省略して即全面的な銃撃戦に突入するのか、市警の職員ごときにキューバまで“海外出張”して国際法無視の大暴れをする権利が果たしてあるのかetc.そんな突っ込みどころは力で捻り潰し“ハデなドンパチを演出すればいいのだよ。文句あるか!”とばかりに開き直る根性は潔いというか何というか・・・・。

 最早このプロデューサーと監督に真っ当なドラマツルギーとかストーリーテリングを求めても無駄である。彼らならこの“脳天気過激路線”を推し進め、シュールな地平へとブレイクスルーし、単なる活劇屋を超越した新たな作家性を獲得出来るだろう。当作品にはその“気配”と“期待”が感じられる。今後は間違っても「パール・ハーバー」みたいな恋愛沙汰を絡めた作劇に色目を使ってはならない(笑)。
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「さんかく」

2010-07-05 06:45:00 | 映画の感想(さ行)

 さっぱり面白くないのは、対象を捉える際の“基準点”が存在しないためだ。有り体に言えば、本作にはカタギの一般人からの視点がない。このことは吉田恵輔監督の前作「純喫茶磯辺」と比べると明らかになる。

 「純喫茶~」には思い付きで喫茶店を始める中年男をはじめ、そこで働く“ワケあり”の面々や変人ばかりの客たちの群像劇が、唯一マトモな主人公の娘の目を通して描かれていた。だから世間の常識と、それから外れたキャラクター達とのコントラストが鮮明化し、ドラマにメリハリと奥行きが付与されていたのだ。対してこの映画は、出てくる連中ほぼ全員が常軌を逸しているため、最初から終わりまで宙に浮いた与太話にしかなっていない。

 釣具店に勤める30歳の百瀬(高岡蒼甫)は、デパートガールの佳代(田畑智子)と同棲しているが、最近は倦怠気味。ある日、佳代の妹で中学生の桃(小野恵令奈)が彼らのアパートに転がり込んでくる。夏休みの間に東京見物を兼ねて厄介になるつもりなのだ。ところが下着姿で部屋をうろつく奔放な桃に百瀬が惚れてしまい、佳代との仲も解消。結局、夏が終わると3人はバラバラの生活を送る事になるが、百瀬を諦めきれない佳代と桃を忘れられない百瀬は、突飛な行動に出るようになる。

 要するにこれ、3人ともどこか頭のネジが緩んでおり、映画はそんなおかしな連中のヘンな所業を、何の工夫もなくただ追っているだけなのだ。おかしいのはストーカー行為に没頭する3人だけではなく、百瀬が世話になる職場の同僚も、佳代をマルチ商法に引き込もうとする友人も、果ては佳代の狂態を止めるハメになる警察の面々も、すべて正常ではない。主要登場人物にマトモな人間いないというのは、感情移入が出来ないという意味で観ていて実に辛いものがある。

 もちろん“出てくる奴らが全員ヘンタイなのに面白い”という映画はあるのだが(笑)、吉田監督にそんな大風呂敷を広げて居直るような力量はない。3人が再び顔を合わせる終盤に至っては、作っている側も何をしていいのか分からず、三竦みの状態をただ漫然と映すのみ。シナリオは吉田監督のオリジナルらしいが、途中で作劇を放り投げたような出来だ。

 主演の高岡と田畑は熱演だが、ストーリーがこんな体たらくでは空回りしているように見えるのも仕方がないだろう。新人の小野はAKB48のメンバーだということだが、典型的な素人演技であり特筆できるものはない(ルックスも冴えないし ^^;)。映像面でも印象に残る箇所は見当たらず。それどころかデジカムの汚らしい画像が鑑賞意欲を減退させる。凡作として片付けてしまいたい。
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