元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「モリエール 恋こそ喜劇」

2010-07-30 06:24:25 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MOLIERE )映画の中身は淡泊で、少なくともアルアーヌ・ムヌーシュキン監督が78年に撮った大作「モリエール」にはとても及ばない出来映えだ。しかし凡作と片付けてしまうのは早計で、けっこう面白いモチーフも散りばめられている。その一つが、リュディヴィーヌ・サニエ扮する侯爵夫人の造型だ。

 侯爵夫人とはいっても旦那はすでに逝去しており正確には未亡人なのだが、その若さと魅力的な容姿、そして奔放な言動で社交界の人気者である。しかし、実体は自分だけを高みに置いて他人を冷笑する鼻持ちならない女だった。ただし彼女の場合、他人への論評(陰口とも言う ^^;)が辛辣かつウィットに富んでいて、そのあたりが巧みに“本性”を覆い隠していただけなのである。

 もちろん、映画では若きモリエールによってその化けの皮は剥がされるのだが、こういう女って実際にもけっこう存在する。中身はないくせに口ばかりは達者。自分にはとことん甘く、他人には容赦しない。でもいつかはその矮小なメンタリティは暴かれるものだ。劇中で本性をズバリ指摘されたときのサニエのように、虚ろな表情を浮かべて“退場”してゆくしかない。

 さて、本作で描かれるのは喜劇王として名声を手にした頃のモリエールではなく、駆け出しの売れない役者だった青年時代のエピソードである。もっとも筋書き自体は事実ではなく、彼の作品からの多くの引用を元に、独自の味付けを施したフィクションだ。しかしローラン・ティラールの演出はいささか平板で、同じような設定の「恋におちたシェイクスピア」に比べると興趣に欠けると言わざるを得ない。

 主演のロマン・デュリスは明らかなオーバーアクト。時代劇だからといって、大仰に演じれば良いというものでもないだろう。それでも、前述の公爵夫人のネタをはじめ、モリエールの身元引受人となる富豪(ラウラ・モランテ)とその奥方(ファブリス・ルキーニ)の造型はけっこう見せる。しっかりとした時代考証による豪華なセットと衣装は素晴らしい。陰影に満ちた映像を提供するジル・アンリのカメラも見所の一つだ。

 そして特筆すべきはフレデリック・タルゴーンの音楽だろう。実に流麗だが、演奏は何とフィルハーモニア管弦楽団が担当していて、音色が本当に艶っぽいのである。映画音楽の質というのは単にスコアの出来映えではなく、演奏する側の手腕も問われるということを実感した。
コメント
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