(原題:Ararat)2002年カナダ作品。第一次大戦中に起きたトルコによるアルメニア人虐殺の「事実」を軸に、それを題材にした映画を撮ろうとするスタッフ、そのアドバイザーになっている大学教授と家族、そして殺戮を免れてアメリカに亡命した画家アーシル・ゴーキーの生涯などのエピソードを多層的に織り交ぜて展開するアトム・エゴヤン監督作。
評論家筋にはウケの良かった映画らしいが、私は評価しない。理由は、この映画は「歴史」に負けてしまっているからだ。
アルメニア人虐殺事件はトルコ東部に住むアルメニア人がロシア側に寝返るのを恐れたトルコ政府が暴挙に及んだものと言われるが、トルコ政府自身はいまだに事実を認めていないし、史料自体を知らない大多数の観客にとっては埒外のネタである。ところがこの映画は、その事件が「歴史的真実」であり、誰もが「重大に考えるべき事実」であるという「前提」で全てが進められている。
この「歴史の重み」の前では、歴史映画のフィルムだと偽って密輸の片棒を担ぐ青年や美術館の絵画にナイフで斬りつける若い娘といった「考えの足りない者」の所行も大したことではなく、笑って許されるべきもので、何より重要なのは「事実」のプロパガンダである・・・・と言ってるのがこの映画である。
さらに、将校役で劇中映画に出演している俳優のように、少しでもトルコ寄りの歴史観を披露する者は冷や飯を食わされる。その極端な夜郎自大ぶりには呆れるばかり。もっと題材に対して謙虚になれないのだろうか。
「スウィート・ヒアアフター」(97年)などで卓越した心理描写を見せたエゴヤン監督も、こと思い入れのある歴史ネタに接するとこうもイデオロギーべったりの醜態を見せるとは、まったく見損なった。キャスト面にも特筆すべきものがない。
評論家筋にはウケの良かった映画らしいが、私は評価しない。理由は、この映画は「歴史」に負けてしまっているからだ。
アルメニア人虐殺事件はトルコ東部に住むアルメニア人がロシア側に寝返るのを恐れたトルコ政府が暴挙に及んだものと言われるが、トルコ政府自身はいまだに事実を認めていないし、史料自体を知らない大多数の観客にとっては埒外のネタである。ところがこの映画は、その事件が「歴史的真実」であり、誰もが「重大に考えるべき事実」であるという「前提」で全てが進められている。
この「歴史の重み」の前では、歴史映画のフィルムだと偽って密輸の片棒を担ぐ青年や美術館の絵画にナイフで斬りつける若い娘といった「考えの足りない者」の所行も大したことではなく、笑って許されるべきもので、何より重要なのは「事実」のプロパガンダである・・・・と言ってるのがこの映画である。
さらに、将校役で劇中映画に出演している俳優のように、少しでもトルコ寄りの歴史観を披露する者は冷や飯を食わされる。その極端な夜郎自大ぶりには呆れるばかり。もっと題材に対して謙虚になれないのだろうか。
「スウィート・ヒアアフター」(97年)などで卓越した心理描写を見せたエゴヤン監督も、こと思い入れのある歴史ネタに接するとこうもイデオロギーべったりの醜態を見せるとは、まったく見損なった。キャスト面にも特筆すべきものがない。



