元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「崖の上のポニョ」

2008-09-13 06:57:13 | 映画の感想(か行)
 何とも雑な作劇だ。マジメに脚本を書く気があるのかと疑ってしまう。ポニョの“生みの親”と思われる海底に住む男は元々“人間”だったらしいのだが、どういう経緯でそうなったのか不明(海洋汚染の元凶である人類に嫌気がさしたから・・・・というバカみたいな単純な理由では納得できない)。そもそもなぜポニョを“作った”のか分からない。彼が作っている命の水とは何なのかも分からない。

 何でもポニョは“世界のバランスに大きく関与する”らしいのだが、どうしてそんな危ないものを製作して、しかもスグに逃げてしまうような環境に置いておくのか、そのへんの説明は一切無し。ポニョの“母親”の正体もまったく掴めない。ポニョの弟や妹たちの存在理由も分からない。要するに、何も描こうとしていないのだ。



 対する人間側はどうかといえば、こっちもヒドいものである。ポニョと仲良くなる宗介は、何と両親を“呼び捨て”にするのだ。通常子供がそういうことをすると親から叱責されるし、回りの者もいい顔はしないのだが、本作では背景説明も暗示もなしに既成事実化されてしまっている。さらに母親は同乗する子供の安全などまったく考えないかのような乱暴な運転でクルマを転がし、父親は船乗りという職業柄家を空けていることが多いとはいえ、映画の中では最後まで宗介と会うことはない。

 だいたい、柳原可奈子の出来損ないみたいな不気味な風体のポニョに子供である宗介が興味を持つのは仕方ないとしても、母親はその正体について何の疑問も持たず、それが人間の女の子に“変身”してホームステイしてしまっても躊躇いもなく受け入れるというのは、おかしいではないか。ほとんど欠陥家庭と言えるこの一家を、何の問題意識もなく物語の中心に据える感覚というのは、作者自身にも欠陥があるからに違いない。



 後半起きる津波の被害の詳細は語られず、どうして古代魚が泳ぎ回っているのかも不明で、ポニョが人間になったら世界のバランスは正常化する(らしい)というモチーフも取って付けたようだ。ここで“ファンタジーだから、辻褄の合わない点には目をつぶれ”という意見も出るかもしれないが、ファンタジーこそプロットがしっかりしていないと、絵空事たるファンタジーの求心力は発揮できないのだ。

 声の出演は山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージといった面々だが、サマにならないのはいつもの通り。どうして本職の声優をもってこないのだろうか。画面はちっとも美しくなく、びっくりするような映像処理も出てこない。

 宮崎駿にとっては、この程度のシャシンで客は呼べるしヴェネツィア国際映画祭にも出品してもらえるのだから、まさに“世の中、チョロいぜ!”とばかりに高笑いしているのだろう。どう考えても宮崎アニメの心酔者と幼児以外相手にしていないような出来映えで、断じて評価するわけにはいかない。宮崎駿はもう“終わって”いる。
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「ウルフ」

2008-09-12 06:38:15 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Wolf)94年作品。「卒業」(67年)から「ワーキング・ガール」(88年)まで芸歴も守備範囲も広いマイク・ニコルズ監督は、こういうホラーものも撮っていた。雪道で狼に咬まれた大手出版者の編集局長(ニコルソン)はその日から身体に変調をきたす。五感のすべてが鋭敏になり、全身にパワーがみなぎる。彼は永年勤めていた職場をかつての部下(ジェームズ・スペーダー)に奪われ、妻(ケイト・ネリガン)は浮気に走り人生の窮地にいたが、驚異の“狼パワー”で反撃に転ずる。ポストを取り戻し、社長の娘(ミシェール・ファイファー)といい仲になるが、次第に狼に近づいていく自分が恐ろしくなる。

 予想されていたハデな変身シーンやSFXで目をくらませるアクションもなし(ま、ニコルソンならノーメイクで狼男が演じられるけどね)。展開がある程度読めるハリウッド映画の中では珍しく屈折したストーリーだ。外見的なコケおどしはほどほどに、映画は人間以外のものに蝕まれていく主人公の理性の葛藤をけっこうドラマティックに描いている。アイデンティティの崩壊を体現化するニコルソンの演技はやはりたいしたものだ。

 映画はこれにラブ・ストーリーをからませることにより、甘やかな雰囲気を作り出すことに成功、作品にポピュラリティを与えている。それにしてもこの頃のファイファーの美しいこと。感心した(アメリカの女優では一番好きだった)。

 クローネンバーグとかティム・バートンあたりがこういう題材を選ぶと、神経症的な憂鬱さとかオタクっぽい雰囲気が全篇を覆うところだが、ニコルズは万人受けする娯楽路線を最後まで崩さない。でも、ラスト近くの狼男同士の格闘シーンはやっぱりハリウッド製ホラー劇では欠かせないものだろうが、ちょっとシラけたことも確か。エンニオ・モリコーネの音楽は適切で合格点。
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「ハンコック」

2008-09-11 06:44:17 | 映画の感想(は行)

 (原題:Hancock )期待していなかったが、けっこう面白く観た。少なくとも、同じヒーロー物ではヘンに深刻ぶった「ダークナイト」よりもずっと好きである。なぜなら作品世界の成り立ちに“筋が通って”いるからだ。

 不死身の肉体とスーパーパワーを持ったヒーローが品行方正な奴とは限らない・・・・という前提はさほど目新しいものではない。過去にも人間離れした力を持った者が悪の道に入るといった筋書きの映画はドラマはけっこう存在したし、スーパーマンやスパイダーマンだって一時道に迷ったこともある(笑)。しかしこのハンコックは、酒に溺れて道ばたでホームレス同然の暮らしをしていても、決して超能力を使って私腹を肥やしたり悪さを働いたりはしない。なぜなら、彼は絶対的に孤独だからだ。

 スーパーマンは異星人だが人間の両親に育てられ、カタギの仕事に就いている。スパイダーマンは“ひょんなことでパワーを得た一民間人”に過ぎないし、バットマンは多くのスタッフと一緒に会社を動かしている企業人である。皆一般社会との接点を持った奴ばかりだ。ところが本作の主人公は実社会から隔離されている。記憶を失っていることもあるが、自分が何者なのか分からない。善を成そうが悪行に走ろうが、彼にとって俗世間的なメリットはないのである。共同体にコミットしないままでのスーパーパワーの行使は、いくら表向きは善行だろうと、結果的に迷惑でしかないのだ。このへんの指摘が実に巧妙である。

 そんなハンコックが売れないPRマンと出会うことで、社会に受け入れられるようにイメージチェンジを図ろうとする。そのプロセスが面白い。自ら刑務所に入って更生したり、警察に依頼されて特別に出所した際には、警官たちに“グッジョブ!”と声を掛ける。社会との接点を持つことによって“公”への帰属意識が目覚めると同時に、それでも自分は皆とは違うのだということを思い知らされる。この矛盾に満ちた存在そのものがヒーローなのだ。

 この作品はアメコミを元にしてはいない。ヒーローが活躍することが揺るぎない前提となっているアメコミからは一歩引いて、ヒーローと実社会との補完関係を冷静に突いてくる、本作の製作スタンスはなかなか面白い。

 やたら強い悪役は出てこないが、最後まで主人公達を苦しめる武装強盗のグループはいかにも実在しそうで、凄んではいるけど所詮は絵空事の「ダークナイト」でのジョーカーよりはずっと迫真性がある。映画は終盤近くになってハンコックの生い立ちみたいなものが語られるが、それほど明確ではない。これは続編を睨んでのことだろう。

 主演のウィル・スミスは好調。破天荒な野郎が違和感なくスクリーンの真ん中に陣取っていられるのは、彼のキャラクターによるところが大きい。ヒロイン役のシャーリーズ・セロンも意外な役柄で笑ってしまった。ピーター・バーグのテンポの良い演出と盛り上がるアクション・シーン。金を払って観る分には損をしない映画だ。
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東野圭吾「容疑者Xの献身」

2008-09-10 06:45:45 | 読書感想文
 この作者の小説は何冊か読んでいる。しかし“これは本当に読み応えがあった!”と思ったことはない。確かに読みやすい文体だ。内容に重みや才気走ったところはないがスラスラと何のストレスもなく読める。旅行する際に乗り物の中でヒマを潰すのにはピッタリで、いわば一時期の西村京太郎や赤川次郎などと(作風は違えど)同じ位置にいる作家だと思っていた。そんな東野圭吾が意外にも直木賞を取ってしまったのが本作だ。少しは面白いのかと思って手にしてみたが、読後の感想は実に虚しいものだった。

 テレビでお馴染みの「ガリレオ」シリーズの長編版。天才数学者でありながら高校教師の座に甘んじる石神は、アパートの隣の部屋に住む女に片想いしている。ある晩、付きまとうロクデナシの元夫を殺してしまった彼女に犯行隠蔽を持ちかけ、得意の論理的思考で巧妙なトリックを編み出す。彼に対峙するのが石神の大学時代の友人で「ガリレオ」こと天才物理学者の湯川。天才同士の虚々実々の駆け引きが展開される・・・・というのが本作のウリらしい。

 この小説がダメなのは、何といっても登場人物にまったく魅力がないことだ。くだんの女には男を惹きつけるポイントが見当たらない。元銀座のホステスだから美人だとは想像できるが、中身がカラッポだ。ただの“記号”に過ぎない。もちろん“記号”でも構わないのだが、少しでもいいからギラリとした蠱惑的な雰囲気を漂わせる一瞬がなければ、ただ“隣に住んでいる”というだけではオクテの石神でも惚れないだろう。殺される元夫にしても型どおりのダメ男でしかない。

 さらに致命的なのは石神と湯川に天才ならではの凄みが感じられないこと。なるほど石神が仕掛ける筋書きは手が込んでいて、ラスト近くの種明かしには“ほほう”と感心はさせられるが、どう考えても一般人が頭をひねって編み出したというレベルだ。それを“実行”してしまう石神もある意味スゴイのかもしれないが、そこだけで“天才の異形ぶり”をアピールするには物足りない。湯川にしても、ただのカッコつけた若作りのオヤジにしか思えず、天才たる切れ味やエキセントリックさを見せつけることはない。

 ハッキリ言って、天才を本気で描こうと思うならば、書く側も天才かそれに近い領域にいる者でないと務まらないのではないか(それが無理ならば完全に突き放して捉えるしかない)。小器用な流行作家の東野ではまったくの力不足だろう。映画化もされたが、スタッフやキャストの顔ぶれからして観る気を無くす。凡庸な原作を“ちゃぶ台返し”してやろうという気概も感じられない陣容だ。テレビドラマのネタで十分な素材だと思う。
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「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」

2008-09-09 06:36:28 | 映画の感想(は行)

 (原題:HOT FUZZ)なかなか楽しめた。コメディ映画というのはどこの国で作られようと、地元の者の“笑いのツボ”に合った展開になり、ヨソの国の住民にはピンと来ないネタが多くなるのは仕方がない。特に英国製は独特の皮肉とテンポの緩さで、クスクス笑えるけど大爆笑には至らない例が目立っていた。しかしこの映画は違う。

 ブラック仕立てのスラップスティックで、個々の(残虐)描写はB級映画慣れしていない観客は“引いて”しまう部分があるにせよ、誰が見てもその面白さが分かるように出来ている。しかも、全体の雰囲気としてはキッチリとイギリス映画のテイストを醸し出しているのが素晴らしい。

 ロンドンで検挙率アップに貢献している優秀な警官ニコラス(サイモン・ペッグ)は、あまりの有能さに周囲から疎まれ、ド田舎に左遷されてしまう。まず彼に異動を告げる上司の様子から笑わせてくれる。直属係長・課長・署長と3段階でまったく同じ前振りを使用し、それに対する主人公のリアクションをさんざん弄った後、部署全員での“左遷バンザイ歓送会”へと雪崩れ込む呼吸の巧みさに笑いながらも感心。

 くだんの田舎町の、事件なんてまるで起こらない(ということになっている)弛緩ぶりに田舎者をコケにした皮肉ネタを強調させるかと思えば、突然勃発する連続殺人の凄惨さでそれまでの微温的展開とのギャップにより観客を驚かせ、あとは一気呵成にノンストップのギャグ・アクションに突入してゆく、その変幻自在の作劇には退屈さを感じるヒマがない。

 お気楽な同僚のダニー(ニック・フロスト)は署長の息子で、ハリウッド製ポリス・アクション映画マニアだという設定も功を奏しており、そこかしこに「ダーティハリー」だの「リーサル・ウェポン」だの「バッド・ボーイズ」だのといった作品からの効果的な引用が散りばめられていて、映画好きならば思わずニヤリである。殺人事件の裏側にあるサイコ的な様相にしても「悪魔のいけにえ」をはじめとするアメリカ産ホラー映画の定番である“田舎だと思ってナメていたらヒドい目に遭った”というパターンの焼き直しであろう。

 ただし、クライマックスの主人公達のハチャメチャな大暴れにしても、ハリウッド製活劇ならば躊躇なく犯人をブチ殺しているところだが、普段は拳銃さえ携行しないという英国警察の“節度”をちゃんと守ったような段取りになっているのにも感服した。ラストのオチも含めて、さすが本国で大評判になったシャシンだと納得できるような出来映えである。監督エドガー・ライトの出世作「ショーン・オブ・ザ・デッド」も観たくなってきた。
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「ダニエルばあちゃん」

2008-09-08 06:59:43 | 映画の感想(た行)
 (原題:Tatie Danielle)90年作品。フランスの片田舎に年老いたメイドと2人で住んでいたダニエルばあちゃん(ツィラ・シェルトン)だが、メイドが急死したため、パリの甥の家にやっかいになるハメになる。しかし、彼女は性格がすこぶる悪く、意地悪が3度のメシよりも好きという、とんでもないバアサンで、平和だった甥一家は崩壊の危機にさらされる。

 「人生は長く静かな河」などのフランスのエティエンヌ・シャテリエ監督によるコメディ。何よりも印象的なのはヒロインの筋金入りの意地悪ばあさんぶりでその憎たらしさはラストまでぜんぜん変わることがない。アメリカ映画「ドライビング・MISS・デイジー」に出てきた頑固バアサンも顔負けの強烈キャラクターである。まず絶対に知り合いになりたくないタイプの年寄りだ。

 そんな彼女に対抗できるのは甥一家がバカンスの間だけ雇った若いお手伝いさんだけ。彼女はばあちゃんに匹敵するエグイ性格で、最初は反発し合うものの、やがて似たもの同士で意気投合してしまう。それでもお手伝いさんが一晩だけ外泊すると言うと、ばあちゃんはスネてしまい、自分の家に放火して、責任を甥一家になすりつけるという荒技を披露し、まったくこのねじまがった性格は死ななきゃ直らないのかと(おっと、過激な表現だあ!)あきれはてる。

 でも映画自体は面白い。登場人物がユニークでどれも過不足なく描けていて、冗談のキツさにもかかわらず楽しく観られるのは、作者のキャラクターのとらえ方が的確だからだろう。

 一番面白かったのは、バアサンが公園のベンチでお菓子を食べていると、となりのベンチに座った老婦人がにっこりと笑いかける、ところがバアサンはニコリともせずにアッカンベーをするという、観ていて思わず老人虐待に走りそうなシーンである。ここで気づいたのだが、この作者の視点は、年寄りは根本的に年寄りが嫌い、ということなのではないだろうか。自分の老いた姿を二重写しにするようで、いたたまれない気持ちになるのではなかろうか。年老いたメイドをイジメ抜くバアサンの行動もその意味では納得がいく。

 なお、昔本作を観たときは劇場はなぜか平日にもかかわらず観客が入っていて、そのほとんどがお年寄りだったのには少しビビッてしまった(爆)。
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「落語娘」

2008-09-07 07:19:05 | 映画の感想(ら行)

 とりあえずはウェルメイドだが、アピール度に欠ける。若い女流落語家を主人公にした本作にとって大いなる“逆風”になったのが、NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の存在だろう。朝の連ドラ史上屈指の傑作と言われたあの番組は、語り口の巧みさもさることながら、とことんダメなヒロインが迷走しながらも自己を確立してゆくという、絶対的な普遍性を持ったメイン・プロットが広範囲な支持を得たのだと思う。

 対してこの「落語娘」の主人公は小さい頃から落語に親しみ、高校・大学と落研に属してかなりの実績を上げている。もちろんいくらアマチュアで活躍したといってもプロですぐに通用するはずもなく、目当ての師匠に入門を頼むもあっさりと断られてしまうのだが、そんな彼女を拾ったのが実力はありながら素行の悪さで謹慎処分中のベテラン落語家。彼のたった一人の弟子となった彼女が、師匠のセクハラに悩まされながらも(笑)、成長していく姿を描く・・・・という映画だ。

 主人公役のミムラは熱演で、相当な訓練を積んでいることが分かる。冒頭の前座の場面からスムーズに破綻なくネタを披露。寄席での立ち振る舞いも全く違和感がない。圧巻は買い物の途中で“寿限無”を練習しているうちに、いつの間にやら公園での“独演会”に突入してしまうシークエンスだ。演出の巧みさもあるのだろうが、この展開に耐えられるだけのスキルを獲得することに努力を惜しまなかった彼女の姿勢には感心してしまう。

 ただし、このソツのない演じ方が、ある意味裏目に出ていると思うのだ。つまり、技巧的には序盤から“出来上がっている”状態であり、話の進行によって技量がランクアップしていくといった興趣とは無縁である。その点「ちりとてちん」とは違ってイマイチ盛り上がらない。

 無軌道な師匠と熱心な弟子とのギャップは面白いが、それだけでは2時間近く保たせられないと思ったか、後半は因縁めいた出し物をめぐるオカルト・ミステリーの様相を呈してくる。これはこれで楽しめるし、ちゃんとオチも付いているところなど気が利いているが、しょせん“余興”の域を出ないだろう。原作(永田俊也著)との兼ね合いで仕方がないのかもしれないが、もっと平易な素材を積み重ねた方が質的に高いものを狙えたのではないかと思う。

 監督の中原俊は嫌味のない職人技に徹して好感が持てる。師匠役の津川雅彦の海千山千ぶりは言うまでもない。益岡徹、伊藤かずえ、森本亮治、利重剛といった脇も悪くなく、観て後悔はしない作品だ。しかし、前述の通り作劇の中心点がいささか薄いように感じられるので、高得点は望めないといったところである。
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インシュレーターを試してみる。

2008-09-06 06:56:25 | プア・オーディオへの招待

 オーディオ用のインシュレーターを導入してみた。インシュレーターというのは、スピーカーやプレーヤーなどから生じる振動をキャンセルさせるためのアクセサリーである。この振動というやつはオーディオシステムにとっては有害で、何も対策を講じないと音が濁るのだ。インシュレーターは通常は各機器の下に敷いて使い、振動から守る。材質や大きさは千差万別で、価格もピンキリだ。

 実は私はこれまでインシュレーターというものを使ったことがなかったのだ。スピーカー置き台のガタつきを取るためのコイン状のスペーサーならば何回も試したことがある。それも広義のインシュレーターと言えなくもないが、ちゃんとした形状のものは買ったことがない。理由は、効果に疑問を持っていたからだ。

 そもそもオーディオ機器、特にスピーカーの設置に関してはシッカリとした台を用意することこそが大事で、それが万全ならば振動対策のほとんどは達成されたも同然だ。あとは細かなガタつきを潰すスペーサーがあればいい。初心者にありがちだが、スピーカーをヤワな棚や机の上に置き、申し訳程度にインシュレーターのみを使用している向きが目立つ。これはディーラーに振動を抑えるためのツールがインシュレーターしか置いていないことも大きいだろう。本当はスピーカースタンドやオーディオボードなどを前面に出して売るべきだが、ああいう大がかりな物は一般消費者には敬遠されるようで、コンパクトな割に音質向上効果もありそうなインシュレーターが幅を利かせるのも仕方がないのかもしれない。

 さて、どうして今回インシュレーターを買う気になったかというと、某ディーラーの片隅に中古品が転がっていたからだ。オーディオアクセサリーなんか必ずしも新品を購入する必要はないと思っているし、価格も新品の半額だというのだから、ほんの出来心&興味本位でインシュレーターが入った袋を片手に帰宅してしまったのである(笑)。

 導入したのは山本音響工芸の木製インシュレーターQB-4である。一辺が4cmちょっとの立方体が8個入り。黒檀ということもあるが、かなり硬い。さっそくスピーカーの下に敷いてみた。おそらく低音が締まるだろうと予想していたものの、実際出てきた音は低域がタイトに成りすぎて完全に腰高な展開になってしまった。これは失敗だったかもしれない。

 しかし、音自体が前へ出てくるようには感じられる。これはインシュレーターのせいというよりも、QB-4を使ったことによりスピーカーの位置が高くなったためだろう。よく“スピーカーは高域ユニットが耳の高さになるように設置するのが定石”と言われるが、実際には難しい。今までは(スタンドを併用しているとはいっても)耳の位置からは随分と低いところにスピーカーはあったのだ。スピーカーが床に近いと低音が目立ち、システムによっては聴きやすいけどリアルな再生という面では問題がある。スピーカーのポジションがほんの4cmほど上昇しただけでこれだけの変化が生じるとは、まったくもってオーディオというのは奥が深い。

 今度はQB-4をスピーカースタンドの下に敷いてみたらどうだろうかと思案中だ(笑)。なお、このインシュレーターは年輪方向に置くのと板目に置くのとでは音が違ってくるらしい。そのうち、それも確かめてみよう(^^;)。
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「ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝」

2008-09-05 06:35:11 | 映画の感想(は行)

 (原題:The Mummy,Tomb of the Dragon Emperor)別段そんなに優れたものを期待しているわけではなく、実際内容もそれに準じたものなのだが、先日観た「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」よりはずっと面白い。何より“思い切りの良さ”が清々しい。

 シリーズの過去の諸作との絡みを考慮しなければならず、コアなファンも大勢いる「インディ・ジョーンズ」が必要以上の脚本の精査と大いなる妥協を経た結果、あの程度の出来で終わってしまったのに対し、こっちの製作スタンスは羽根のように軽く、それが製作プロセスに好影響を与えていると思う。

 前回まで主人公の妻エヴリンを演じたレイチェル・ワイズはオスカーも取って女優として箔が出てきたせいかあっさり降板、でも少しもめげることなく代打にマリア・ベロを起用し、その他のキャストとスタッフの都合が付けば即クランクイン・・・・みたいなスタイルで(いや、実際のところは知らないけど ^^;)肩の力が抜けたようなスムーズな体制によって脳天気な活劇を撮りあげる、そのライト感覚は見上げたものだ。

 今回は北京五輪に便乗するつもりもあったのか、はたまた“さる筋”からの要請があったのか、舞台は中国。古代中国を支配していた悪辣な皇帝が2千年の眠りから覚め、主人公一家とバトルを繰り広げる。たぶん秦の始皇帝をモデルにしていると思われるこの皇帝を演じるのはジェット・リーで、かつて張藝謀監督の「HERO」で始皇帝を狙う刺客に扮していた彼が、今回は皇帝自身を演じているのが面白い。女呪術師役としてミシェル・ヨーも出てきてリーと立ち回りを演じるのも興味津々だ(この場面はもっと長くても良かった)。

 リック(ブレンダン・フレイザー)と息子のアレックス(ルーク・フォード)とのコンビはこれまた「インディ・ジョーンズ」の新作と似たところがあるが、もったいぶった前振り無しに“親子漫才”から“親子共同戦線”へと発展するあたりも笑える。超能力を持つ皇帝と数万の兵馬俑軍団を前にして、誰が見ても圧倒的不利なのに、この明るすぎる一家なら何とかなると思わせてしまう気楽さは、このシリーズ独特のノリであろう。

 主人公達がブッ倒してゆくのも生身の人間ではなく土人形なので、残虐感はゼロ。アクション・シーンもかなり練られていて、大規模な合戦はもとより上海の街でのチェイス場面などは段取りが上手くて思わず見入ってしまった。ロブ・コーエンの演出はケレン味はないけど堅実で、ヒロイン役のイザベラ・リョンの可憐さも特筆もの。2時間弱がアッという間に過ぎていき、観た後にはまったく何も残らない、誰にでも奨められる明朗活劇編だ。
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「オスカー」

2008-09-04 06:40:54 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Oscar )91年作品。この当時、コメディ路線も順調に歩んでいたシュワルツェネッガーに対抗したのかどうか知らないが、シルベスター・スタローン主演のコメディ作品である。時代は1920年代、スタちゃん扮するギャングのボスが父親(カーク・ダグラス)の遺言に従ってカタギになろうと努力する。しかし世間はそう甘くない。大犯罪の偽装工作だと怪しむ警察当局やスキを窺う対立組織、加えて娘の結婚騒動までからんで事態は思わぬ方向へ動き出す。

 監督は「大逆転」や「スパイ・ライク・アス」などのジョン・ランディスだが一流とは言えないこの監督の作品にしては出来はいい方である。ドタバタ・コメディかとの予想は見事に外れ、巧みなシチュエーションで笑わせるフランス喜劇のセンを狙っている。冒頭のタイトルバックにロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」のアリアを歌う人形アニメが挿入されていることからもわかる通り、「フィガロの結婚」にヒントを得て作られたことは明白で、それを活かす脚本がよく出来ている。特に、宝石と札束と下着が入った3つの鞄が間違われてあちこち移動するあたりのギャグには感心させられた。

 脇のキャラクターがいい。“悪名クリーン作戦”に乗り出すボスの気持ちも知らずヤクザ気分の抜けない子分達や、どこかアブナイ仕立屋の2人組、強いカミさん、ノーテンキな娘、調子のいい経理士など、役の扱い方も申し分ない。そして何より題名の「オスカー」なる人物がちっとも主要なキャラクターでないというのには驚いた。

 しかし、よく考えるとこれって主役がスタローンである必要性などまるでないということに気づく。もっとスマートでユーモアのセンスがある二枚目俳優がやった方がよい。ハッキリ言って芸達者なキャストの中にあってスタローンだけ浮いている感がある。珍しくソフィストケートな喜劇に挑戦したスタちゃんの意欲は買うにしても、それがかえって彼の芸域の狭さを露呈してしまうとは皮肉なものである。結局「ランボー」や「ロッキー」に戻ってしまった昨今の彼の様子を予言したようなシャシンだ。
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