元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「崖の上のポニョ」

2008-09-13 06:57:13 | 映画の感想(か行)
 何とも雑な作劇だ。マジメに脚本を書く気があるのかと疑ってしまう。ポニョの“生みの親”と思われる海底に住む男は元々“人間”だったらしいのだが、どういう経緯でそうなったのか不明(海洋汚染の元凶である人類に嫌気がさしたから・・・・というバカみたいな単純な理由では納得できない)。そもそもなぜポニョを“作った”のか分からない。彼が作っている命の水とは何なのかも分からない。

 何でもポニョは“世界のバランスに大きく関与する”らしいのだが、どうしてそんな危ないものを製作して、しかもスグに逃げてしまうような環境に置いておくのか、そのへんの説明は一切無し。ポニョの“母親”の正体もまったく掴めない。ポニョの弟や妹たちの存在理由も分からない。要するに、何も描こうとしていないのだ。



 対する人間側はどうかといえば、こっちもヒドいものである。ポニョと仲良くなる宗介は、何と両親を“呼び捨て”にするのだ。通常子供がそういうことをすると親から叱責されるし、回りの者もいい顔はしないのだが、本作では背景説明も暗示もなしに既成事実化されてしまっている。さらに母親は同乗する子供の安全などまったく考えないかのような乱暴な運転でクルマを転がし、父親は船乗りという職業柄家を空けていることが多いとはいえ、映画の中では最後まで宗介と会うことはない。

 だいたい、柳原可奈子の出来損ないみたいな不気味な風体のポニョに子供である宗介が興味を持つのは仕方ないとしても、母親はその正体について何の疑問も持たず、それが人間の女の子に“変身”してホームステイしてしまっても躊躇いもなく受け入れるというのは、おかしいではないか。ほとんど欠陥家庭と言えるこの一家を、何の問題意識もなく物語の中心に据える感覚というのは、作者自身にも欠陥があるからに違いない。



 後半起きる津波の被害の詳細は語られず、どうして古代魚が泳ぎ回っているのかも不明で、ポニョが人間になったら世界のバランスは正常化する(らしい)というモチーフも取って付けたようだ。ここで“ファンタジーだから、辻褄の合わない点には目をつぶれ”という意見も出るかもしれないが、ファンタジーこそプロットがしっかりしていないと、絵空事たるファンタジーの求心力は発揮できないのだ。

 声の出演は山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージといった面々だが、サマにならないのはいつもの通り。どうして本職の声優をもってこないのだろうか。画面はちっとも美しくなく、びっくりするような映像処理も出てこない。

 宮崎駿にとっては、この程度のシャシンで客は呼べるしヴェネツィア国際映画祭にも出品してもらえるのだから、まさに“世の中、チョロいぜ!”とばかりに高笑いしているのだろう。どう考えても宮崎アニメの心酔者と幼児以外相手にしていないような出来映えで、断じて評価するわけにはいかない。宮崎駿はもう“終わって”いる。
コメント
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