元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「セラフィーヌの庭」

2010-10-06 06:36:46 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SERAPHINE )主演女優のヨランド・モローに圧倒される映画だ。素朴派の女流画家セラフィーヌ・ルイに扮する彼女は、セラフィーヌとは本当にこのような人物であったと観る者に思わせる存在感を獲得している。

 20世紀初頭のパリ郊外のサンリスに住んでいた、貧しく孤独な中年の家政婦セラフィーヌの唯一の生き甲斐は絵を描くことだった。教会へ足繁く通う信心深さも紹介されるが、彼女の製作意欲の根元は自然との対話である。

 これは一神教であるキリスト教とは相容れないアニミズムであり、日本の“八百万の神々”といった概念にも近い。たぶん彼女の中ではキリストでさえ“数多居る神々の一人”でしかなかったのだろう。そういう独自の世界観を持っている彼女が孤独だったのは当然かもしれない。

 ところが、その絵の才能は田舎で埋もれたままでは終わらなかった。高名なドイツ人の画商ウーデに見出され、一躍その名を知られるようになるのだ。もとより経済的成功や戦争や大恐慌などの世俗的な事柄に無縁だった彼女は、否応なくそれらに巻き込まれるようになり、精神のバランスを崩してゆく。

 改めて思うのだが、突出した才能というのは本人を幸せにはしないことが多々ある。特にセラフィーヌのように狂気と正気の狭間にいるような人間にとって、実社会の過度の干渉は禁物なのだ。

 もしも彼女が日本に生まれていたらどうだろうか。草花や大樹と心通わす様子は、ちょっと変わっているとは思われるだろうが、自然物信仰など珍しくもない我が国では決して阻害されることはないはずだ。運命の悪戯を感じずには居られない。劇中で紹介される彼女の絵は、常人の認識する世界を超えるような屹立した個性を有している。いつか実際に接してみたいものだ。

 マルタン・プロヴォストの演出は抑制されたタッチを維持しているが、密度は高い。ヒロインの“彼岸を見ているような目つき”を巧みに切り取るシーンに代表される集中力と、引きのショットでの堅牢な画面構築には感心させられる。説明的なセリフやヘンに饒舌な場面を極力廃しているのも納得だ。美術に興味を持つ者だけではなく、骨太な人間ドラマを味わいたい観客をも満足させる、力のこもった作品である。
コメント
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