元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「シッコ」

2007-09-11 06:42:02 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Sicko )間違いなくマイケル・ムーア監督の最良作だ。アメリカの健康保険制度という、身近でかつシビアな題材を選んだことで、8割方は成功したようなものである。米国の医療保険システムの酷さはデンゼル・ワシントン主演の「ジョンQ 最後の決断」でも赤裸々に糾弾されていたが、本作はドキュメンタリー映画としての特質を活かし、どこがどう無茶苦茶なのか、実録的な理詰めのレクチャーを展開している分、主題を活かす意味でインパクトが大きい。

 まず、低所得層に多い“無保険者”の信じがたい辛酸を紹介して観客の興味を掴んだあと、実は本当の悲劇は、ちゃんと民間保険に入っている多くの米国民に起こっていることを暴露してゆくという筋書きはなかなかスマートだ。高額な掛け金を払っていたはずなのに、肝心なときにロクな保障を受けられない。“救急車を呼ぶ前に保険会社の許可が必要”などというフザケた項目が契約条文に載っていることをはじめ、理不尽な事例のオンパレードは枚挙に暇がなく、これでは“医療業界は本気で患者を治す気があるのか”と思っていたら、事実アメリカの医療関係者は患者を見捨てれば見捨てるほど儲かるということが明らかになり、目の前が真っ暗になってくる。

 対してイギリスやフランスでは医療費はタダ同然。隣のカナダも米国の低劣ぶりとは雲泥の差だ。このあたりを決してシリアス一辺倒で見せず、ムーア監督得意の怪しげな映像コラージュでブラック・ユーモアを交えつつリズミカルに畳み込んでいくあたりもポイントが高い。「華氏911」では完全に空回りしていたこの手法も、今回のネタには見事なほどのマッチングだ。

 後半は9.11テロの救出活動に当たり、それが原因で塵肺などの後遺症に苦しめられている人々が描かれる。あれだけの立派な仕事をしてきたのに、彼らはポンコツな医療保険制度のため高額の治療費が払えず、困窮の極みに面している。ムーアは船をチャーターしてキューバのグァンタナモ米軍基地に彼らと共に出向いてゆき、そこでは手厚い看護を受けている容疑者のテロリストと同じレベルの治療を彼らにも受けさせてくれとシュプレヒコールをあげるのだ。

 ここは目頭が熱くなるようなシチュエーションだが、本当のクライマックスはその後にやってくる。当然のごとく米軍基地からは門前払いされた一行は、キューバの総合病院に転がり込む。そこで体験することはアメリカ人からすれば驚天動地のことに違いない。でも、本当に“驚天動地なこと”は当のアメリカの劣悪な医療・保険業界の方なのだ。

 反骨精神に溢れたドキュメンタリー映画の秀作だが、ひとつ注文を付けるとすると、他の国々はまともなのにどうしてアメリカだけがデタラメな医療保険制度が罷り通っているのか、その深い考察が成されていないことである。それを描くにはアメリカと他国の歴史を紐解く必要がある。しかし、歴史認識というやつはアメリカ人が最も苦手とする事柄だ。そもそもアメリカには“歴史”がない。イデオロギーだけで成立している人工国家だ。さすがのムーアも“歴史に疎い米国人”の限界は超えられなかったと見える。

 さて、日本はこの映画の取材対象と成りうるか・・・・もちろん、ならない。確かに国民皆保険ではあるが、国民の負担率は年々上昇し、大病を患おうものならば破産の危機に直面する。それもこれも“自己責任で痛みに耐えて何とやら”と意味不明のスローガンをブチあげた前首相のおかげである。それ以前にアメリカ流のグローバリズムの押し付けを受容した日本人の“公共の福祉よりも個人的な鬱憤晴らし”という下世話な心理もあるだろう。このあたりを鋭く突いた映画を作り上げる度量は、残念ながら邦画界には存在しないようだ。
コメント
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