元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ニクソン」

2007-09-03 07:59:24 | 映画の感想(な行)
 (原題:Nixon)95年作品。オリヴァー・ストーン監督が第37代合衆国大統領リチャード・ミルハウス・ニクソンの激動と波瀾に満ちた生涯を描いた伝記映画だが、あまり面白くない。敗因はズバリ、ニクソン自身を主人公にしたことにある。

 オリヴァー・ストーンの過去の作品でたとえばジョン・F・ケネディ暗殺を描いた「JFK」ではケネディは登場人物として出てこない。真相を探る地方検事を中心として映画は動く。アラン・J・パクラの「大統領の陰謀」でもニクソンは出てこず、映画は新聞記者の目を通して事件を描く。事態の当事者よりもそれに関係した無名の人々を主人公にすることにより、対象をシンボル化し、その分映画的アプローチを可能にさせる意図からだ。「JFK」でどんなに主人公がニクソンを糾弾しようが、その相手が映画では実体のない存在であり、アクション映画の悪玉のごとくイメージとしての敵役という次元に置かれていたからこそ、作者の欲するテーマを前面に出して観客を圧倒することができたのである。

 対して当事者のニクソンを映画の中心に持ってくるとどうなるか。逝去してからあまり長い年月の経っていない人であり、遺族・関係者も健在だ。いきおい普通の伝記映画のごとくニクソンの人となりを微分的に描くことから始めなければならない。この映画でも、貧しかった少年時代や不幸な家庭環境などの場面を挿入はしている。ただ、困ったことに事実に即してキチッと描こうとすればするほど、作者がニクソンに対して抱く“ベトナム戦争の首謀者でありJFK暗殺の黒幕”といった一面的な悪役として扱うことは難しくなってくるのだ。それはそうである。人間誰しも映画の登場人物みたいにハッキリしたキャラクターで生きているわけではない。単なるエリートのケネディよりは遥かに政治手腕に優れ、中国を訪問したりベトナムからの米軍撤退も率先して行なったニクソンを“悪玉”と断定できるものか。

 ウォーターゲート事件をいくら取り上げても、すでに筋書きのわかっているスキャンダルなのでインパクトは薄いし、キッシンジャー長官(ポール・ソルビノ)のクセ者ぶりも思ったほど描かれない。結果、焦点の定まらない凡作に終わってしまった。さらに、中身のなさをカバーするかのようにO・ストーンは「ナチュラル・ボーン・キラーズ」で使ったコラージュ風の映像をここでも多用。安手の合成シーンのめまぐるしい積み重ねは、見た目にはハデだが単に目を疲れさせるだけだ。アンソニー・ホプキンスは熱演だが、脚本通りに演ずるのがやっとでプラスアルファの魅力はなし。
コメント
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