ちゃみおか発

鉄道写真を中心に模型工作や旅行の記録を紹介します。

【鉄道写真】〔夏の想い出〕30年前の身延線旧型国電(前編)

2010年08月25日 | 国鉄 身延線
1980年の夏は、初めて身延線に富士から甲府まで乗車した。
8月15日であった。
本格的に旧型国電に興味を持ち、車輌本位で追い掛けた頃である。

首都圏は一部を除いて新性能電車化されており、戦前に製造された国電を見る機会は殆ど無かった。
この年の春には、大糸線を訪れているが、車輌中心の写真は残っていない。
あらためて、身延線の車輌を間近にして、その美しさに圧倒されたのを今でも鮮明に覚えている。

(初めて撮った身延線の車輌 クハ47006 : 223M富士発芝川行 富士駅)
20100812_001

写真をクリックすると大きな画像でご覧になれます。

当時の機材では、撮影距離を∞(無限大)に合わせ、あとはカメラにお任せでシャッタースピードも露出も何もあったものではなかった。

当時を振り返りながら、撮影した写真を公開してみたい。

身延線といえば、狭小トンネルのため低屋根であることが特筆される。
クモハ51の低屋根部を撮影した。

(クモハ51818 : 223M 富士駅)
20100812_002

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妻面を良く見ると、雨樋が旧式の丸パイプである。
旧型国電末期の身延線には、戦前型はクモハユニ44、クモハ41、クモハ51、クモハ60といった電動車が配置されていた。
その中でも、雨樋は殆ど平型のものであったので、丸いパイプ型はあまり無かったと思う。

223Mは、甲府方から クモハ60810・クハ47001・クモハ51818・クハ47006 の編成である。

芝川行の223Mが出てゆくと、同じホームに225Mが入ってきた。

(クモハ60812 : 225M)
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225Mは、甲府方から クモハ51830・クハ47100・クモハ60812・クハ47057 の編成である。

続いて、乗車する甲府行627Mとなる232Mが1番線ホームに入線した。
232Mは6両編成であるが、富士方4両が甲府行となり、甲府方2両は富士駅で切り離されて車庫(富士区)に引き上げてゆく。
こうした富士駅での連結解放は、よく行なわれていたようだ。

(切り離されたクハ47110とクモハ51828 : 232M 富士駅)
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232Mは、甲府方から クモハ60806・クハ47110+クモハ51828・クハ47005・クモハ60804・クハ47061 の編成である。
このうち、クモハ51828~クハ47061が折返しの甲府行627Mとなる。

クハ47061は、クハ47063とともに前面上部雨樋が直線で残された特徴的な顔をしているが、このときは撮影していない。

(富士電車区に引き上げる甲府方2両 : 富士駅)
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627Mのクハ47005に席を取った。
それほど込んでいる訳ではなく、今となっては何故クハに乗ったのか判然としない。
今なら間違いなく電動車のクモハに乗っている筈である。

(リベットが並ぶクハ47005の車体 : 627M 富士駅)
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発車までは少し時間があったので、荷物を席に置いたままホームに出ていた。
すると、富士電車区から沼津機関区へ向かう回送列車がやって来た。
身延線名物のクモハユニ44を従えている。

(回1422M 富士駅)
20100812_007

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編成は、甲府方から クモハユニ44800・クハ68095・サハ45008・クモハ51852・クハ47008 である。
旧サロのサハ45やクモハ43改造のクモハ51852も含まれて、何とも贅沢な編成であった。

身延線の車輌は、古くは富士電車区をねぐらとしていたが、沼津に移管されて、富士電車区と沼津機関区の間の回送列車が設定されていた。
移管はされたが、富士電車区の敷地は残されており、身延線の車輌は通常は富士電車区に留置されている。

富士電車区所属当時は全般検査等は浜松で行なっていたが、沼津機関区に移ってからは大船で実施されるようになり、根府川の橋梁を渡る姿も見られた。
妻面の塗装が変わったのも検査工場が変わった所為である。

(クモハユニ44800 : 回1422M 富士駅)
20100812_008

627Mの車内に戻り、発車を待った。

(つづく)

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