気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

つぎの物語がはじまるまで  天野慶 

2016-02-25 10:33:12 | つれづれ
たくましく生きるほかない タピオカは嚙み砕かれることなく喉へ

平凡な奇跡を毎日繰り返しハッピーエンドのその先へゆく

この星のすべてがplaygroundでいつも見ていてくれてた 誰か

美しい約束をした胸にあるアザミの蕾もゆるむくらいの

くちびるをはじめて合わせた瞬間にアンリ・ルソーの密林のなか

羽根を抜き終えてしまった夕鶴の顔した私を運ぶ終電

「著者急逝のため最終回」小説は焼け落ちてゆく橋で終わった

輪郭が生まれるわたしを抜け出したちいさなひとのかたちが浮かぶ

手のひらがまず母になる陽のあたる頬に触れたら朝が始まる

週一回60本の爪を切る3人の子の母ということ

(天野慶 つぎの物語がはじまるまで 六花書林)

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短歌人同人の天野慶の第二歌集『つぎの物語がはじまるまで』を読む。

天野さんを初めて見たのは、テレビの中だった。私が短歌を始めた十数年前、当時のNHK教育テレビの番組に、現在のパートナーである村田馨さんと出演していた。番組は、進行役の女性タレントと三人で街を歩いて、即詠をするという企画だった。遠い世界の人のように思って見ていた記憶がある。

その後、村田さんと結婚。三人のお子さんに恵まれて短歌を続けている。百人一首関連の本を何冊も上梓したり、ラジオの番組に出演したり、すごい人なのだ。
歌は、わかりやすく何の説明も要らない。歌人にありがちな鬱鬱とした重さはない。軽やかな詠いぶりだ。二首目、三首目に彼女の特長が出ている。向日性ということ。三首目の下句の「いつも見ていてくれた 誰か」、これが彼女の根っこにあるから、安心して伸び伸びと歌が詠めるのだろう。巧妙に作られたキャラとは思えない。
四首目、五首目、七首目は私の好みの歌。しかし、こういうタイプの歌はほかの人でも作りそうな気がする。
十首目は、三人の子の母親となった日常を、爪を切る行為を通して詠う。
天野さんの活躍を羨ましく、眩しく見ている。


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