気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

サフランと釣鐘  浦河奈々

2013-08-21 17:38:49 | つれづれ
まなうらにうねる紺碧 しなかつた/やつてしまつたこと押し寄せる

母は雉におのれ視(み)しかもうら若く頼る親なくわれ産みし母は

白木蓮おのれ立たむと苦しめば厚きはなびら反り返りたり

夜に鳴る電話の向かうは終らぬ夜(よ)、引き込まれぬやう足を踏ん張る

午後の光にたれか呼ぶごと葉を散らす金色(きんいろ)の樹は孤独なる父

妬心その来歴しらず拾ひたる果物ナイフは洗つて仕舞ふ

にごりえにまろき緋色の額(ぬか)浮かびたまさか見ゆるこひのかなしさ

利根川の向かうの実家にわが稚(わか)きかけら残りて吾を呼ぶなり

つぎにあふ母は物体かもしれぬ窓の向かうが夕焼けてゐる

母亡くてけふも国道六号に虹みゆつひに潜(くぐ)れざる虹

(浦河奈々 サフランと釣鐘  短歌研究社)

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かりん所属の浦河奈々の第二歌集『サフランと釣鐘』を読む。
三七七首中、母親を詠った作品が多い。両親、夫、結婚して子供のいる弟、作者という家族関係の中で、母親とのつながりは強く、それは必ずしも肯定的なものではなかったようだ。ここには挙げなかったが、『毒になる親』という本を読んだ歌もある。
短歌なので、もちろん誇張もあるだろうが、母親を早くに亡くした私には、実感としてはわからないものもあった。短歌に関わることで、母親との関係を客観視できるようになったのではないかと思う。
時折登場する父を詠った五首目が、私は好きだ。七首目も巧い歌だと思う。「こひ」が「鯉」と「恋」に掛っている。
母の歌が目立つ歌集であるが、ほかの歌も粒ぞろいで、作者の力量を感じさせる。

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1 コメント

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Unknown (teruo)
2013-08-22 00:08:38
よい歌ばかりです。

見えかくれする心象があなたのそれと似てなくもないような。
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