気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ごく自然なる愛 小島ゆかり歌集 つづき

2008-03-09 22:20:07 | つれづれ
どしやぶりを避けて入りたる中華店じやんじやんじゆッと火を使ひをり

「死ぬときは一緒よ」と小さきこゑはして鍋に入りたり蜆一族

うやむやにしてやりすごすこと多しうやむやは泥のやうにあたたか

秋天(しうてん)に一脚の椅子置かれありものおもふ神の空席として

糞をする犬をつつめる陽のやうなごく自然なる愛はむづかし

(小島ゆかり ごく自然なる愛 柊書房)

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小島ゆかりの歌集のつづき。
一首目。中華料理店の勢いのある様子が伝わってくる。「じやんじやんじゆッと」が実感があって、うまい。思い切りがよい。
二首目。想像力の豊かな食べ物の歌。蜆やあさりは好物だけど、思えば残酷な料理だ。ふだんから料理している人だからできる歌だと感じる。
三首目。これもよくわかる歌。もう綺麗事では済まされない状況なのだろう。
四首目。綺麗なうた。神の空席というのにエスプリを感じる。
五首目。歌集の題にするのだから、作者の気に入った歌なのだろう。わたしには、もうひとつピンと来なかった。歌に糞という言葉を使うのが、まず照れくさい。犬も猫も飼ってないからわからないのかもしれない。

飼ひ犬が死ねばその日はちよつと泣き次をさがすとあの人は言ふ
(近藤かすみ)