気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ごく自然なる愛 小島ゆかり歌集

2008-03-08 01:16:41 | つれづれ
今日の日はおほよそよろしよろしさをふくらませつつとろろ芋擂る

どの角を曲がりても同じ猫がゐてこの春昼の路地を出られず

われを出てもつとも遠くゆく者よ五月の朝の紺の制服

午後四時の鐘鳴ればとほく顔を上ぐ少女のわたし老女のわたし

思春期にわがあやしみしもう一人のわれも年古りいたく親しむ

洗顔の水に目鼻を取り落とすあやふさ朝の窓澄みわたる

(小島ゆかり ごく自然なる愛 柊書房)

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小島ゆかりの第八歌集を読む。
一首目。小島ゆかりは根っ子のところで楽天的な人だと思う。よろしよろしと重ねて考えを前向きに持っていこうとしている。結句においしそうなとろろ芋を持ってきたのが意外だが巧み。
二首目。迷路をさまようような感覚。猫を配置することで、それが増幅している。春の昼ならありそう。
三首目。娘さんのことだろうが、初句の「われを出て」にはっとする。そう、産んだ子供はみな「われを出て」いるのだ。驚くような表現。それが最も遠い存在に思えることがある。よく知っているだけに、子供の成長はまぶしくうれしいが、さみしさもある。
四首目、五首目。自分の中にもうひとりの自分がいるという感覚をもって、この人は暮らしているのだ。自らを俯瞰する感覚にわたしは共感するが、これを絶対にわからない人も多い。歌を作るひとは、ほとんどこの感覚を持っているだろうが・・・。
六首目。顔を洗っていて、目鼻を落とすなんてあり得ないのに、不思議なことを思う人だと感心する。身体感覚が鋭敏なのだろう。

もう何も心配要らぬとあのころのわれに告げたし若き母なりき
(近藤かすみ)