GO TO キャンペーンの是非が問われている・・・
小学生でも、このキャンペーンがスタートすれば、今以上にコロナが蔓延することはわかる。そして、再び、日本経済は緊縮され、人々は不自由な生活に陥ることだろう。
「いや、フラ夫さん、それは極論だよ!」って言われるかもしれないが、GO TO キャンペーンが始まる以前の、ちょっとした経済活動再始動だけでも、東京では毎日百人、二百人の感染者を出しているのだから、本格的な移動再開が許容されれば、全国津々浦々でコロナ発症が起こるのは想像に易いことである。
というか、「不要不急の外出を自粛」と言っているのに、どうして旅行ができるのか・・・旅行じゃなくて、家に帰ることすら、私は89日間耐えに耐えてきたのに、娯楽のための外出者がコロナの危険地域に踏み込んでコロナになってカウントされている現状に、本当にやるせなさと憤りを感じてしまう・・・こんなことをしていたら、また、帰省といえども県を跨ぐなと周囲が騒ぎ出すに決まっている。
正直、劇場で800人超の濃厚接触者が出たって、これは人災じゃないのか?主催者側も悪いが、ソーシャルディスタンスの取れてない劇場って、大人なら見た瞬間わかるはずだろう。そんな場所に押し込められた瞬間に、その場から出ていくのがコロナ後の社会常識じゃないのか?この800人超の中から、新たな感染者が出て、ネズミ算式にコロナを蔓延させていくかと思うと、この人たちは、被害者なのか、加害者なのかわからない。
どれだけ我々が我慢しても、一部のコロナを畏れぬ人々の行動により、一旦沈静化したコロナが再び猛威を振るう事態を、我々はこれから目の当たりにするだろう。それが、GO TO キャンペーンだと思っている。
そう、国民全員が、コロナの脅威を理解し、制度としてGO TO キャンペーンが成立したとしても使いさえしなければ、それは廃案と同じ効力を持つのである。「旅行業者を見殺しにするのか!」という声も出るだろうが、旅行をするしないは本人の自由である。噴石を巻き散らす崋山を観光で見に行くなら、その危険やリスクに対しては自己責任というのと同様、コロナの蔓延しそうな状況において、旅に出るか出ないかは自己責任。「かかれば5%の確率で死ぬ病気に罹患するリスクがあります」という状況では、旅行に行かせることを無理強いするわけにはいかないのだから、業者を見殺しといわれても、自分が死ぬリスクを冒してまで旅行する義務はないと思うのだが。
かくいう私も、来週、新幹線で東京に帰省する。「お前だって旅行しているじゃないか!」と言われるかもしれない。確かに県を跨ぐし、東京にも入る。しかし、これは「旅行」ではなく「帰省」である。コロナにかかるリスクより、家族と離れて名古屋に隔離され、「血圧が上がったり」「胃にポリープができたり」「メンタル不全になったり」する方が、生命に危険を及ぼすと判断するから帰省するのである。今帰省しなくても、あと半年以内に東京に戻ることは規定路線である。しかし、私には、半年間、帰省せずに健全な体調やメンタルを維持する自信が全くない・・・
とはいえ、今、こんな文章を書いているにもかかわらず、来月の夏休みには「キャンペーンで日本を復興させよう!」と言っているかもしれない。一部政治家や官僚が「GO TO キャンペーンも状況に応じて朝令暮改でいいんだよ!」って言っていた。私の性格をよくご存じの人や、このブログを熟読している人なら「フラ夫さん、いつもコロコロかわるよな~節操ないこと甚だしい」と思っていることだろう。まさに、臨機応変、朝令暮改。。。
今のコロナ感染者増加の流れが加速するようなら旅行はしない方がいいだろうが、東京でも感染者が50人を下回るように沈静化すれば、それはそれ、経済復興も選択肢としてチョイスできるだろう。だが、どう考えても、危険度MAXとなっている現状で、旅行を推奨するような政策は見送るべきと思っているだけなのだから。