タイトルは、今朝の日経の12面の記事からである。
姫路獨協大学が法科大学院から撤退することについて、記事がかかれていた。
>04年度に316人だった志願者は今年度、3人に落ち込み、入学者はゼロ。
なんだか、本当に、切なくなってしまう。
法科大学院の交付金配分も「合格実績などを加味検討」とかかれている。法科大学院とは、司法試験に合格しないと評価されないものなのであろうか?
現状の司法試験において、法科大学院の修了生が合格できる可能性は、医師と比較してもかなり低いといわざるを得ない。なぜ、医師国家試験並に合格者を出せないのだろう。
あるいは、司法試験も「労働法」や「民法」あるいは「刑法」等、分野を限定して合格できる制度とし、特定の分野を専門とする特化した弁護士でもいいのではないか?
難易度が高すぎる。この日経の記事に、当初、法科大学院の修了生は「7割が法曹になれる」という話があった。それでいいと思う。大学院まで修了して、低い合格率だと報われない。
人命を直接的に担う医師より、弁護士の合格率が低いのは、なんだか、複雑な思いである。無論、医師になるような方々は、もとより、偏差値が高いということもあろう。されど、法科大学院に合格する人もかなり知的水準の高い方々といえる。むやみに試験に不合格となる必要はなかろう。
司法試験に合格できないと、存在価値すら否定される法科大学院。淘汰され続ければ、残った法科大学院に合格できれば、それこそ7割の方々が司法試験に合格できるのかもしれない。しかし、その姿は、東京・大阪等主要都市の一部の大学院が残るに過ぎないのかもしれぬ。
学習するのに窮屈な、また、社会人大学院生など許されぬ、大学卒業と直結するような形となるだろう。なんせ、大学が少なくなって、難易度が高くなった上、評価基準が試験の合格実績だから、若くて記憶力の高い者、あるいは、ついこの間まで学生をやっていた者が有利になるはずである。
これから、夜間の法科大学院が増えてくると思っていたが、生涯学習社会と逆行するような雰囲気である。昼夜を通して学習できるような、学習に専念できる者しか、法科大学院に合格しない時代がくるのであろう・・・
「淘汰」という言葉で片付けられて、本当にいいことなのであろうか・・・
姫路獨協大学が法科大学院から撤退することについて、記事がかかれていた。
>04年度に316人だった志願者は今年度、3人に落ち込み、入学者はゼロ。
なんだか、本当に、切なくなってしまう。
法科大学院の交付金配分も「合格実績などを加味検討」とかかれている。法科大学院とは、司法試験に合格しないと評価されないものなのであろうか?
現状の司法試験において、法科大学院の修了生が合格できる可能性は、医師と比較してもかなり低いといわざるを得ない。なぜ、医師国家試験並に合格者を出せないのだろう。
あるいは、司法試験も「労働法」や「民法」あるいは「刑法」等、分野を限定して合格できる制度とし、特定の分野を専門とする特化した弁護士でもいいのではないか?
難易度が高すぎる。この日経の記事に、当初、法科大学院の修了生は「7割が法曹になれる」という話があった。それでいいと思う。大学院まで修了して、低い合格率だと報われない。
人命を直接的に担う医師より、弁護士の合格率が低いのは、なんだか、複雑な思いである。無論、医師になるような方々は、もとより、偏差値が高いということもあろう。されど、法科大学院に合格する人もかなり知的水準の高い方々といえる。むやみに試験に不合格となる必要はなかろう。
司法試験に合格できないと、存在価値すら否定される法科大学院。淘汰され続ければ、残った法科大学院に合格できれば、それこそ7割の方々が司法試験に合格できるのかもしれない。しかし、その姿は、東京・大阪等主要都市の一部の大学院が残るに過ぎないのかもしれぬ。
学習するのに窮屈な、また、社会人大学院生など許されぬ、大学卒業と直結するような形となるだろう。なんせ、大学が少なくなって、難易度が高くなった上、評価基準が試験の合格実績だから、若くて記憶力の高い者、あるいは、ついこの間まで学生をやっていた者が有利になるはずである。
これから、夜間の法科大学院が増えてくると思っていたが、生涯学習社会と逆行するような雰囲気である。昼夜を通して学習できるような、学習に専念できる者しか、法科大学院に合格しない時代がくるのであろう・・・
「淘汰」という言葉で片付けられて、本当にいいことなのであろうか・・・
