1時間半書きっぱなしの試験が終わってくつろいでいる。
何故に、こんな手間のかかる試験を受験しているのであろう。そんな気持ちも湧き起こってくる。レポートを仕上げるのも、結構、大変なのである。試験も長時間耐久のレースみたいなもので、制限時間ギリギリで仕上げている。
そして、来週からは単位のための試験地獄が始まる。受験科目数は産能+日福で12科目。来月に入ると放送大学の試験もあり、その数9科目。単位数は45単位分。普通の学生の1年半分の単位をわずか1ヶ月強でそろえることとなる。
他にも大学院の授業に、レポート作成も並行してやねばならぬ。
一般サラリーマンの生活としては、ちょいと、過酷なのかもしれない。そう、本職は銀行員であり、学生はあくまでも趣味の世界の出来事ですから。
そういう過酷な生活を始めたのは、そう、6年ほど前のことである。元来、天邪鬼な性格だから、大学卒業しているにもかかわらず、通信制大学を卒業しようと思ったときからである。奇抜なことをするのがすきなのである。
しかし、通信制大学に行ってみると、大卒で再入学している人は山のようにいた。だが、それ以上に、高校、短大、専門学校から入学したした学生のエース級の方のほうが、なんだか、かっこよくて、一生懸命、学習していた。
そんな彼らや彼女たちに負けぬようについていこうと思ったのが運の尽き?いや、最大の幸運だったのかもしれない。行かなくても卒業できるのにゼミに入り、書かなくても卒業できるのに卒論も書いた。苦しい方、苦しい方に舵を取ってしまう性格へと変わっていった。
また、行かなくてもいい大学院に行くこととなる。先に述べたエース級の方々の多くが大学院を目指していた。ゼミの志願書の「希望する大学院」の欄に大学院名を書くことで、より一層大学院というものが現実になった。そう、人は書くことで夢を認識し、それに向かって進みだす性質があるのだ。だから、私は、「夢は書き出せ、そして宣言しろ!」と言いつづけている。
そして、いつしか、1つならず2つ目、3つ目の大学院に進んでいる。惚れ惚れするくらい、苦労を背負い込む性格である。行く必要はないのだ。普通にしていればいいのに・・・
基本的に、型にはまるのが嫌い。組織には適合しないタイプの性格なのであろう。誰もがやったことのないことや、誰もが考えもしないこと、あるいは、考えても実行しないことをやるのが私の生き様である。
本当に、不器用にしか生きれない。でも、不器用だからこそ、普通のサラリーマンなら当たり前の日常的な、ボーっとした瞬間が、最高のくつろぎの時間と感じ、至福のひと時と思えてしまう。
「自分的なライフスタイル」
まあ、ひとそれぞれ、あっていいのではないだろうか?
何故に、こんな手間のかかる試験を受験しているのであろう。そんな気持ちも湧き起こってくる。レポートを仕上げるのも、結構、大変なのである。試験も長時間耐久のレースみたいなもので、制限時間ギリギリで仕上げている。
そして、来週からは単位のための試験地獄が始まる。受験科目数は産能+日福で12科目。来月に入ると放送大学の試験もあり、その数9科目。単位数は45単位分。普通の学生の1年半分の単位をわずか1ヶ月強でそろえることとなる。
他にも大学院の授業に、レポート作成も並行してやねばならぬ。
一般サラリーマンの生活としては、ちょいと、過酷なのかもしれない。そう、本職は銀行員であり、学生はあくまでも趣味の世界の出来事ですから。
そういう過酷な生活を始めたのは、そう、6年ほど前のことである。元来、天邪鬼な性格だから、大学卒業しているにもかかわらず、通信制大学を卒業しようと思ったときからである。奇抜なことをするのがすきなのである。
しかし、通信制大学に行ってみると、大卒で再入学している人は山のようにいた。だが、それ以上に、高校、短大、専門学校から入学したした学生のエース級の方のほうが、なんだか、かっこよくて、一生懸命、学習していた。
そんな彼らや彼女たちに負けぬようについていこうと思ったのが運の尽き?いや、最大の幸運だったのかもしれない。行かなくても卒業できるのにゼミに入り、書かなくても卒業できるのに卒論も書いた。苦しい方、苦しい方に舵を取ってしまう性格へと変わっていった。
また、行かなくてもいい大学院に行くこととなる。先に述べたエース級の方々の多くが大学院を目指していた。ゼミの志願書の「希望する大学院」の欄に大学院名を書くことで、より一層大学院というものが現実になった。そう、人は書くことで夢を認識し、それに向かって進みだす性質があるのだ。だから、私は、「夢は書き出せ、そして宣言しろ!」と言いつづけている。
そして、いつしか、1つならず2つ目、3つ目の大学院に進んでいる。惚れ惚れするくらい、苦労を背負い込む性格である。行く必要はないのだ。普通にしていればいいのに・・・
基本的に、型にはまるのが嫌い。組織には適合しないタイプの性格なのであろう。誰もがやったことのないことや、誰もが考えもしないこと、あるいは、考えても実行しないことをやるのが私の生き様である。
本当に、不器用にしか生きれない。でも、不器用だからこそ、普通のサラリーマンなら当たり前の日常的な、ボーっとした瞬間が、最高のくつろぎの時間と感じ、至福のひと時と思えてしまう。
「自分的なライフスタイル」
まあ、ひとそれぞれ、あっていいのではないだろうか?