先日亡くなった忌野清志郎の映像を見ようとYouTubeを開いたら、同じカテゴリーにYELLOW MAGIC ORCHESTRAの映像があるわあるわ。前にもYMOの映像は見た事があるけれど、あれからも増えているのでは?と思える程で、レコードデビュー前の音源や散開した後のインタビューなども沢山あって、清志郎よりすっかりYMOに見入ってしまった。
それにしても今聞いても全然古さを感じられなくて、CD時代になって色んなアレンジをしたものもあるけれど、やっぱりアルバムオリジナルにまさるものはない。アナログレコード時代でも完璧な音だ。
アレンジするならYMOの楽曲を交響楽団にクラシックっぽく演奏して欲しいな~って思う。
中学生の頃はテクノ一色で、当時は貸しレコードが出始めの頃だったけれど、まだ自分の住む街にはなくて、友達が買ったアルバムを貸し借りし合ったり、テープに何人分ものダビングをした。
そんな時期に描いた絵。日本版デビューアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」のジャケット。
年末にかけて描いた覚えはあったけれど、日付を見ると1980.12.30~1981.1.1にかけてのもの。計算すると高校受験の年だった。ま~年末年始というのも子供にとっては暇だったりするから、こんな時間もあったのだろうなぁ。
色鉛筆ってところがちょっと安っぽいけれど、思い返すと後に続くアルバムのジャケットセンスや、「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」のロゴに音楽と同様衝撃を感じて、ロゴタイプ、ロゴマークというのを意識させられた、ABBAのBが反転している以上にデザインに興味を持つきっかけになった気がする。
絵だけでなく、透明プラバンにロゴを書いてオーブンで縮めてプラスチックのキーホルダーにして同級生にあげたり、YMOの温泉マークのスタンプを作ったりと、なんでも手作りで楽しんでた中学生時代でした。
なんにしても YELLOW MAGIC ORCHESTRA はイイ!
うん。自分もYouTube見ました。懐かしいです。
あの当時・・・(遠い目)、テクノカットなんかも流行ったりして、YMOの影響が
大きかったですね。特に赤の人民服は奇抜でした。
あと、「増殖」以降からでしょうか、YMOの路線に変化が見え始めたのは。
実は、現在もCD化されたアルバムを運転しながら聴くほど好きですが、一緒
に収録されている歌謡曲っぽいのは、ちょっと痛くて聴けません。(^^;
BEMさん、中学生時代の画ですか!上手い~やりますね。
YMOは何もかもが革新的でしたね。
ユキヒロさんにおけるファッションデザインも
それ以前とは全く違うアーティストオーラを放ってました。
都会のカホリ満点で、田舎娘は「早く東京へ」とイザナワレタものです。
ああ・・散開!!忘れもしない、報道2001。
ハガキを出しまくりましたが撃沈でした。
そして大流行したプラバン。
私がもらったのは、Dr.スランプあられちゃんでした。。
しかし、キヨシさんの登場はさわりだけですか。(汗)YMO増殖中~
なははテクノカットもしちゃった時期があります(^^;
でも、今の子たちの格好付けてる長髪より清潔感があって良かったと思いますよ。おじさんなんでしょうね~(笑)
おっしゃる通り!「増殖」後の「BGM」「テクノデリック」はなんとか買いましたが、それ以前のスピード感、リズム感を感じられずイマイチ乗れないという感覚で、歌謡曲になってしまった「君に、胸キュン。」は私の中ではYMOではないという認識です。
それからイエローマジックオーケストラをYMOと略すのもホントは嫌でしたよ。
でも振り付けまでしちゃう3人の個性は大好きでしたけどね。
ゆいまーるさん~☆
ごめんなさ~い。RCのアルバムよりテクノに走った私なんでお許しを~m(^^)m
幸宏ブランドのmonoは憧れでした~♪ 修学旅行でショップを見つけましたが、旅行のおこづかいではちょっと厳しく…あ、紙袋はしばらくとってあったけれど、何買ったんだろ(^^;
田舎出身ではコンサートはとても行けなかったので、札幌に出てきた年に散開記念の映画プロパガンダは見に行きましたよ(~~)しみじみ。
あ~アラレちゃんも流行ってましたね~♪懐かし~。