昨日のプロボクシング中継、観ましたか?かつてのこの国のように、今日は学校で会社で”ゆうべのボクシング”が話題になっていたりするんだろうか?珍しく夜7時から9時過ぎまでしっかりと放送されたんだから、そうだといいなぁと思いました。
子どもの頃は木曜夜『木曜スペシャル』枠での放送が印象に残っています。7時半から9時までのアレですね。なんせ当時の高知は日テレとTBSしか民放がなかったんですから。そりゃぁ翌日の話題の中心になります。テレビ情報誌なんてものはまだ登場前で、当日朝に新聞のテレビ欄を見て「あーッ!今晩、ボクシングがあるでー」という感じだったのを覚えています。
ボクシングブームの去った昭和50年代の高知ではボクシング=世界タイトルマッチでした。夕飯を終え、緊張しながらテレビの前で7時半を待っていると、突然テレビの画面に登場する挑戦者(日本のボクサーが挑戦者の場合)。番組冒頭、20分近くに渡り流されるプロフィール映像で彼の今日に至るまでの道のり、戦績。そして人となり(ここが大部分だったかも…)が紹介され、それにより「ついに到達した大舞台」の当日、たった今(もしくは数日前)選手を知った子どもたち(大人たちもか?)は短時間で手に入れた浅はかな、それでいてとってもナイーヴで純朴な思い入れを握りしめて7時50分頃のゴングを待ったものでした。それが子どものころのプロボクシング。
昨夜のダブルタイトルマッチ。WBA世界バンタム級王座に挑んだ池原信遂選手は粘り強く奮闘したもののチャンピオン・シドレンコ選手との実力差は大きく、残念ながら大差の判定負け。日本ボクシング界のエース、WBC世界バンタム級チャンピオン・長谷川穂積選手は目の上からの流血に悩まされながらも3対0の判定勝ちで世界王座5度目の防衛に成功しました。
この日のメインイヴェントであった長谷川選手の防衛戦。長谷川選手は2Rという序盤に偶然のバッティング(頭が当たって)で右目上から出血し、それを相手の打撃(パンチ)による出血と判定されたことによって「傷の悪化による試合続行不能TKO負け」の不安と戦いながらもキッチリと勝ち切り、チャンピオンとしての強さを感じさせました。
がしかしこの夜、最も強く印象に残ったのは遠くイタリアから世界初挑戦の為にやってきたシモーネ・マルドロット選手の挑戦者としての戦う姿勢でした。16年間のキャリアを経て29歳でようやく到達した世界戦のリングでマルドロット選手は試合開始からとにかくアグレッシブに攻め続けました。とはいっても2R以降「チャンピオンの傷が酷くなれば自らの勝利」という状況になったからといって揉み合いの中で傷を狙うなどということもなく、ただ真っ当に勝利を求めてひたすらに”ボクシング”で挑み続けた。そう”ボクシングモドキ”ではなく。
白眉は最終12R。途中経過として発表された採点で大差をつけられていた彼は挑戦の許される最後のラウンド、驚くような気迫と息をする暇もない程の手数でチャピオンベルトに挑み続けた。残り時間僅かとなり、出血によるストップ負けの危険からようやく解放されたか?チャンピオン長谷川も激しく応戦し打ち合う。もの凄い左アッパーが攻めかかるマルドロット選手のアゴを跳ね上げる。しかしそれでも踏みとどまり、危険も顧みず僅かな可能性に賭けもう一度打ちかかる。最後の数十秒、KO負けの危険は攻める挑戦者の方にこそ強く漂っていたように思えた。かつて「負けたら切腹」という流行語を生んだボクサーモドキもいたが、プロボクシングの挑戦者の切腹ってこういうことを言うんじゃない?と思った。
それから少しして試合終了のゴングが鳴る。結局最後の瞬間まで挑戦者はオール・オア・ナッシングの打ち合いを挑み続けていた。長谷川選手の防衛が告げられ、こわばった笑顔を見せながら王者を祝福するマルドロット選手。
しかしその僅か後、リング上で長谷川選手が表彰されベルトを再び腰に巻いている時にテレビの画面に映し出されたのは、トレーナー(コーチ)の分厚い胸に深く顔を埋め激しく涙している挑戦者の姿だった。
※写真は試合後長谷川選手から、飲んでいた水を差し出され一口飲んで返した後の二人です。
全力で挑んだよなぁ。という思いが残った深夜のヴィデオ観戦でした。