ボクシングネタです。
この話題についてまったく基礎知識がないという方がほとんどかと思いますので、まずは少しばかり説明を。
なんだよ、またボクシングかよ。という方には
今回は読むべきところがいつもより更に、無いような気がしますのでどうか御勘弁を。。。
先日行われたボクシングファン大注目の大一番、東洋太平洋フェザー級チャンピオン・榎洋之vs日本フェザー級チャンピオン・粟生隆寛の一戦。榎選手は日本タイトルを返上して東洋王座に就き防衛中、世界2位の肩書きを持つ無敗のチャンピオン。方や粟生選手はアマチュアボクシング界のスーパースターで史上初の6冠王として鳴り物入りでプロデヴュー。未来の世界王者と注目されながら順調に出世を重ね、現在無敗の日本王者として世界ランクにも名を連ねている。このフェザー級を代表するボクサー二人がそれぞれの王座と世界挑戦権を賭けて激突する注目の試合でありました。近年世界フェザー級のレヴェルは高く、日本から挑むには国内最強を証明してからでないと説得力がないというのは正論なのですが無敗で世界ランク上位に位置し、所属ジムも世界戦開催能力があるという状況での潰しあい的対戦は極めて稀なことなのです。特に榎選手は年齢的にもピーク時の世界挑戦が近々巡ってきそうという状況下で、危険な試合を受けたのには本当に驚かされました。危険な試合。そう、この試合がボクシング界で大きく注目されていたのは”予想がつかない”という理由によるのです。通常、ライバル対決や大一番という試合でもやはり予想というものはある程度できます。結果はどうあれです。今や伝説の名勝負となっている『マーク堀越vs高橋ナオト』戦ではやはりマーク有利の声が大きかったですし、『薬師寺vs辰吉戦』では辰吉、『コウジ有沢vs畑山戦』では畑山が圧倒的優位という見方がされていました。しかし今回は専門誌で展望を述べる現役選手、僕の周囲のボクシングファンや関係者。誰もが「どちらが勝つかわからない」と言う程の予測不能度の高さでした。チケットは早々と完売。当日券も無しの本当の完売。名勝負誕生の予感にBSでは生中継も行われ、全国に僅かに生息する心あるボクシングファンはドキドキしながらゴングを待っていたのでした(自分もテレビ観戦です)。
結果は12ラウンドをフルに戦っての引き分け。3人のジャッジが3人とも引き分けとする結果となりました。ダウンシーンも火の出るような打ち合いもなく、そして己のプライドを賭けた捨て身のアタックもないという山場のない展開のままレフェリーにより両者の手が挙げられたのでありました。
榎選手は右構えで、時間をかけて磨き上げてきた鋭く出どころのわかり辛い「左ジャブ(リードブロー)」を強力な武器とする選手。新鋭・粟生に比べて、これまでの対戦相手の質の差からいえば「榎有利」の声が挙っても不思議はないところなのだけれど、対する粟生選手が左構えでスピード豊かなスタイルであるため予想は混沌とした。左構えの粟生選手は、普段榎木選手が左ジャブで潰してきた相手とは構えが逆で、得意のパンチが当たり辛い組合わせなのだ。そのうえ売りはスピード。右構えの選手が必ずしも左構えの選手を苦手とするわけではないが、右構えの選手と戦うことが殆ど(やはり右利きが多いのだ)で慣れきっている左構えの選手と比べ、右構えの選手は左構えの選手との戦い辛さを感じている者が多い。そして榎選手はかねてより「左の選手が苦手」と言われているボクサーなのだ。戦前、「今回は(得意の)左ジャブは封印する」というコメントが聞こえてくるなどサウスポー(左きき)対策に不安が感じられていたことも予想を難しくした要因だった。
試合は予想通りスピードを売りにする粟生選手が足を使い軽いパンチではあるがポイントを奪いに行く。対する榎木選手は左ジャブをサウスポー用に調整したスタイルで無骨に崩しにかかる。確実に距離を殺さんと繰り出す左は魅力十分。しかし、緊迫感のみで試合が盛り上がらない展開になっていく。榎選手は距離を詰め、一瞬相手の攻め手を潰しても危険な場所になかなか踏み込まない。一方粟生選手は手数と軽いヒットでラウンドの大部分を軽快に過ごしながらも明らかに榎選手の圧力を肌で感じているように見えた。左右、特に左にサークリングしていたのだけれど、合間に左右に身体を振る度に、それは相手のプレッシャーを身体から外そう外そうと専心しているように感じられた。それ自体は悪い動きではないのだけれど外して危険なエリアへ飛び込む!という気配はほとんど感じられなかった。たまに飛び込んでも退路を作った上でのこと。ねじ伏せる、というような気概はまったく感じられなかった。榎木選手も同様で自分のプランを遂行して勝利を掴むことに邁進していて、そこに制御ギリギリの闘争本能や観客の期待を意識した姿をみることはできなかった。両選手ともにプロの醸し出す濃密な空気は感じさせていたが、トップ選手同士の激突でしばしば見受けられるユラユラと立ち上がるようなオーラはまったく感じさせてくれなかった。
思うに、観戦者たちが思う以上に両者は相手のことを高く評価していたのだろう。世界タイトルマッチまであと少し(この試合はWBA公認の指名挑戦者決定戦でもあった)、絶対に落とせない試合を強敵と戦う。その緊張感に溢れていて、そしてそれだけが現れた試合だった。
時に、世界トップクラスの選手同士が激突するスーパーファイトと呼ばれる試合では「自分が相手より圧倒的に優れている」「力でねじ伏せてやる」そんな客観的な戦力分析を軽く凌駕した「過信」のようなものを振りかざした選手同士が、試合開始と同時にもの凄いテンションで打ち合うことが多々観られる。
強烈としか形容しようがない『ハグラーvsハーンズ』や近年では『パッキアオvsマルケス』。これらの試合で歴史的名勝負を演じた選手達には、相手が自分と並び称される程の実力者で自分に大きな敗北の危険が迫っている、故に保身にまわるというような部分は微塵も感じられなかった。自らのスタッフが懸命に励んだであろう戦力分析などもゴングとともに投げ出して(もちろんトッププロであるから我を忘れているわけではない)、自分が明らかに優れているといういわば「思い込み」に乗っかって相手に襲いかかるのだ。ハーンズと対戦した時のデュランなどもあきらかに思い込んでたと思う(思い違いだったが)。それはほとんど「錯覚」のようなものかもしれない。しかしそれを錯覚でなくする能力があってこそ名勝負が生まれる。マルコ・アントニオ・バレラがナジーム・ハメドを破った試合はその逆で、無敗のハメドに対してバレラは「自分が真っ向うからぶつかっても全ての面でまさっている」とはまったく思っていなかったはずだ。「こういうプランを成し遂げて(たならば)ハメドに土をつける力が(自分には)ある」と信念を持って12ラウンドを戦い勝利したのだ。ゆえに彼に「思い込み」や「錯覚」はなかったと思う。そしてこの試合は当時世紀のビッグマッチと呼ばれたにもかかわらず、数年後の現在まで多くの人の話題にのぼるような名勝負とはなり得ていない。
今回榎vs粟生戦を観て、観客の血を沸騰させ総立ちとさせるような伝説の名勝負には実力者同士ゆえの「錯覚」が多分に必要なのではないかと思ったのでありました。
榎、粟生両選手は「絶対に勝つ」と言いながらも「負けるわけがない!」というような「錯覚」をおこすほどではなかったのだろう。そしてそれは決して悪いことではないと思う。これが世界挑戦にもうすこし遠い段階での対戦だったら鬼塚vs中島第2戦のような激戦になった可能性だってあるはずだ。でもそれだけがボクシングじゃあ、ないしね。
思いつくままにタラタラ書いてきたけれど個人的には…
「絶対に落とせない」というプレッシャーの中でトップ選手同士が探り合い、お互いの型を崩し合った12ラウンズは、特別な緊迫感に溢れていて決して退屈するようなものではありませんでした。「後半になっても悠長に崩しから入っている場合か!」という声も(TV解説も含め)あったようですが「行きたくても行けない」あの感じも、極めてプロボクシングだなあと思ったわけです。だからこそ、そこを乗り越えた(稀に現れる)激戦から受ける感銘も大きいのだと思います。
というわけで、よくぞ実現した!というこの好カード。僕は楽しみました。個人的感想としては僅差で粟生選手の勝ちでも良かったんじゃないかなと思いました。
以上。ボクシングに興味のない方、どうも失礼いたしました。