バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

かざま鋭二さん、ありがとうございました。

2022-10-04 | 日記・エッセイ・コラム
本日のバイユーゲイトは一般営業はお休み。
日曜日にご逝去された漫画家かざま鋭二さんを偲ぶ時間としたいと思います。
いつも通りのお店ですが、営業優先ではないので持ち込みは自由です。
少し密になる可能性もありますが、各自気をつけながら
かざまさんとの思い出を語るなど、バイユーなりのお別れの場としたいと思います。
かざま鋭二さんには15年以上の長きに渡りご来店頂きました。店に集う方々の多くとプライベートでも交流を重ね、一緒に酒を飲み演奏をし、まさにバイユーの頼れる長兄というべき存在でした。
私は一昨日お別れをすることができましたが、本日のご葬儀はご親族方々のみで催されましたので直接お別れが叶わなかった皆様のためバイユーをご活用いただければと思います。
もちろん。葬儀でもお別れの会でもありません。
ご自宅で思いを馳せるも良し、です。
思い出を共有できる人たちと会いたいという気持ちになった方はお待ちしております。
ほんと、楽しいことばかりでした。
いつもきさくで丁寧でカッコよかった。
(「腰が低い」なんてレベルじゃないんだよなー)
ドラムセットを寄贈して下さり(俺、自分のドラム買ったんだけどバイユーに置いておかせてくれる?と😭)ロックバンドがライブをする店になるための背中を押して下さいました。
10/10のMANDALA2(かざまさんがバイユーのお客様と組んだバンドを中心に私所属のBerry、ゴールデン近藤哲平GWOが出演)ライブを本当に楽しみにして下さっていたようで残念ですが、残された者でせいいっぱい楽しい夜にしたいと思います。
開店2年目からの長きに渡りの楽しいお付き合いに感謝でいっぱいです。悲しい。

しばらく休業いたします。

2020-03-31 | 日記・エッセイ・コラム
バイユーゲイトは明日から休業に入ります。とりあえず11日まで。(休業したらおしまいなのかもしれませんが)
人が集まらない上に、自分自身が人を集めることに躊躇を感じているので、もう難しいと判断しました。
なので今日お別れ?(あくまで休業ですから)に来店されるようなことを望んではおりません。

12日以降は配信可能なライブは配信。
そして状況を見ながらひっそりBAR営業をするかもしれませんし、しないかもしれません。
まぁ休業中に色々模索します。
そんなあれこれはその都度またお知らせいたします(お知らせできることは)。

もちろん熟慮の末ですが、
なんだかよくわからない人たちに
やめろって言われて従うのも嫌だしね。

最後に、最大限の努力をして踏ん張ってゆくお店に心からエールを送ります!

現状について、2020年3月。③

2020-03-30 | 日記・エッセイ・コラム
土曜日を双六亭とStudio Ledaさんのおかげで乗り切って
昨日一日、ずっと考えていました。

悔しいけど、お客さんを入れて飲食代金で営業してゆくのは今後、日に日に難しくなるように感じています。
正直もう難しいのかもしれません。
営業はするけど混雑するのも困る、それってなぁ。

どうして良いのかわかりません。バイユーを今後どれだけの期間なら維持して行けるのかもわかりません。
ありゃ!これじゃTheヨワーネ大会ですね笑

4/1御近所DJ会(これ、楽しーんだよ!)
4/4の花見会(これまで色々あったこの宴、たとえ葉桜だって最高なんです)
以上2件を中止いたします。

人を集めずに音楽を発信してゆく方向に急ぎ舵を切ります。
なんとかバイユーゲイトを続けたい。
今のところ今日明日までは店を開けておりますが、
この非常時、バイユー愛で飲みに来ていただかなくても結構です。お心だけで十分です。
少し、やらなければいけないこともあるし、あと今後のことで用事がおありの方もいるようなので店を開けます。そしてバーの光景としてはどうかと思いますがマスクをして営業させていただきます。(これまではライブの受付のみがマスクしておりました)

街に感染した方がたくさんいるかもしれない以上
自分がバイユーだけじゃなくスーパーや電車、駅、路上で感染していないとは言い切れません。今やどこで感染したかも判明しないようですが、やっぱり人に伝染したくはない。
それは2月からずっと思っていましたが、いよいよ追い詰められたということです。今更、と非難されても仕方ありません。

情けないですが、不安定な状況をご理解頂きたいです。

皆様の健康を祈ります。

現状について、2020年3月。②

2020-03-30 | 日記・エッセイ・コラム
現在のライブを含む新型コロナウィルス感染拡大防止策を含めた営業状態について記しておきます。

3月29日現在、バイユーゲイトは月火金のBAR営業や、開催可能なライブ営業は続けております。
定期的な換気を行い、店側スタッフは体調にわずかな異変もないということを確認のうえ出勤しています。
テーブルやドアノブは次亜塩素酸ナトリウムスプレーで営業中も定期的に消毒し、洗面所には家庭用液体石鹸とエタノール紙ナプキンを用意してあります。そして洗面所横の壁にはアルコールスプレー(残量が不安ですが)をぶら下げてあります。そしてライブ時の出演者の方々、BAR営業時を含めたお客様には体調万全な方のみご来店下さいとお願いして営業しているという現状です。

加えて、今後開催するライブにつきましては新たな定員を定めることにいたしました。
これまでは予約が必要な場合の定数を30名としてきましたが今後しばらくの間15名といたします(主演者が多い場合など若干少ない設定となる場合もございます)。つきましては混雑が予想される場合、遠方からの場合ご予約をしていただくのが安全かと思われます。当日の場合は開演直前までは電話を取ることが可能ですので0422555782までお問い合わせ下さいますようお願い申し上げます。

そして現状に対応して、3月28日に『双六亭』ライブで初めて試みたライブ配信を今後も展開するべく検討中です。この時採用した投げ銭制での課金システムを考えておりますが、Studio Ledaさんのご協力をいただいた初回のようなクオリティでライブ配信を行うことはやはり容易ではなく少し拙いものになるであろうことはご容赦いただければ幸いです。

この件に関しましては無観客でのライブ配信をはじめ、店内にお客様を入れない形での音楽発信(課金可能な)への道を早急に探るべきだとも考えております。

以上のように、ライブ営業に関しましては残念ではありますが、基本的に「多くの人を集めない」という
本来とは逆の方向に持ってゆかざるを得ないであろうと考えております。
なんとか家賃を払い店舗を維持する形にするべく急ぎ手を打ってゆきます。

こんな状況でもご来店頂いている方に(完全な安心はないのかもしれませんが)「このような感染防止策をとっております」と改めて伝えさせていただくべきと思い、記しました。
変更などありましたらまたお知らせいたします。

現状について、2020年3月。

2020-03-30 | 日記・エッセイ・コラム
とても長文です。拙い冗長さをお許しいただける方、お読み頂ければ幸いです。

世の中、1ヶ月前には想像もしなかった大変な事態になっています。まったく先が見えないというのが正直なところです。
不要不急、ということについて今回この言葉を耳にするようになってから僕がずっと思っていることを。

大半の人は軽症で済むウイルスではあるのでしょうが、未だ明確な治療法がないこと以上に「その詳細な性質」が解明されていないCOVID-19。重症化した場合の恐ろしさもさることながら、軽症に済んでも感染して発症しなくてもその後の後遺症や、どれくらいの期間で本当の陰性になるのかもわかっていない。抗体ができるかさえも不明なのですから。僕だって怖いですし不安も覚えます。
東京近辺では多くの方が同じような不安を持ちながらも、マスクをして(通勤時間をずらしてさえ)混み合った電車に乗って移動しています。
手も足も動かせないようなラッシュ時の電車内のようなライブハウスなんてそうそうあるものじゃありません。

繰り返します。

僕の身近な人たちも皆「怖いな」と思いながらも電車で通勤しています。なぜならそれは「仕事」だから。不要不急には当たらない、というやつです。
それならば(それならば、なんて言い方は嫌な感じですが)ライブバーの営業も「仕事」です。僕は現在これしか仕事をしていません。あくまで理屈ですが不要不急には該当しないように思います。
そして大きな声で言うことでもありませんが、そんなにたくさんのお客様であふれてかえっているというような店ではありません。密閉度も密集度も換気問題も満員電車より大きいということはないと思います。ただ、飲み屋、バーですから近距離で会話をするという危険度に関しては満員電車に勝ることを認めます。
ライブハウス、ライブバー、屋形船の危険度が声高に語られるようになってからというものライブミュージックを場を守ろうという危機感もあってか、ご来店されるお客様から咳が聞こえることは全くなくなりました。
これは本当です。少しでも具合が悪かったり(普段なら普通に行動するようなレベルでも)軽い咳が出るだけでも来店を控えてくださって居るようで、本当にまったくいらっしゃません。
出演者も同様で、親しいミュージシャンの中にもとても軽い、風邪かな?という症状なのに自粛して「万一」に備えてくださって居る方々がいらっしゃいます。対して電車はどうでしょう。僕は毎日乗るわけではないですがやっぱり同じ車両でマスク越しの咳を聞くことは珍しくはありません。

ライブバーで働くことが、たとえ(例えです)人が集まって危険でも怖くても、やらざるを得ない僕の「仕事」であることを述べた後で、喧伝されるライブバーの危険度について説明させていただきました。

次はご来店される方々についてです。

昼間の仕事帰りの平日に、貴重な週末に。しかも新型コロナウィルスの危険で世の中が緊張状態にある中、わざわざ「テレビ様に」名指し糾弾されているライブバーに音楽を聴きに足を運ぶお客様方。これこそ不要不急だ!との声が上がるであろうことは想像に難くありません。
でも考えてみてください。
日々日中働き、終業後音楽を楽しむこと、音楽場に身を置くことをずっと長く人生の糧としてきた方々。その方が自分では演奏をしない方であっても、現在のライブミュージックの場を作り上げてきた、生み出してきた大きな担い手であります。単なる受け手、ではなくある意味送り手に近い存在です。彼らには昼間の仕事も余暇の音楽体験も含めての人生であるのだと考えます。
お金を生み出さない行為だからこんな時に「なくても困るものじゃない」。こんな考えはあまりに他者に対する想像力に欠けているのではないでしょうか?
これは強調したいです。
代理店や音楽事務所やマスコミが介在しないライブミュージックの現場に貴重な時間とお金を使って足を運んでくれているお客様はミュージシャンと店と共にこの独立した音楽シーンを作り出しているかけがえのない存在なのです。
そんな彼らに対して不要不急ではない行為をするな、と一方的に言うことはあまりに想像力に欠ける行為であると私は思います。

そして出演者。ミュージシャン。
バーライブで演奏している方々には音楽で生計を立てている専業の完全プロミュージシャンがいる一方、音楽を生活の中心にしているものの生活のためアルバイトを含む副業を持っている方、正業を持っているもののそれはあくまで音楽活動をするために選んだものという方、
そして最後に完全にメインは会社員ながら業務外の時間を懸命にやりくりしてプロフェッショナルな気持ちでやる真剣な趣味として音楽活動を長く続けている方々がいらっしゃいます(この方々はどんなに高齢でもいわゆるオヤジバンドと言うものとはまったく違う存在です)。
最後に挙げた、完全な会社員でもあるミュージシャンの方々にとってバイユーゲイトに出演すること、すでに決まっているブッキングは決して友達との飲み会の約束なんかじゃぁありません。他人からどう思われても遊びではないのです。「怖いよな」と思いつつも満員電車で向かう密閉空間のオフィスと違いはないのです。それどころか彼らの人生の糧、拠り所であるのではないでしょうか?

不要不急を安易な価値観で他者に押し付けないで頂きたい。

私も近親者に感染した場合のリスクの高い人が何人かおります。そして自分だってもちろん不安はあります。そしてバンドマン、お客様、スタッフ、バイユーゲイトを支えてくれる方々のことを心から心配しています。そして社会の一員として市井に生きる者として、この状況に対応し協力してゆく、という気持ちは持ち合わせております。

例えば一週間、外出禁止で基本事業活動は一斉に停止しましょう。ということになれば勿論ものすごく困りますが、困るのは皆同じ。従うべきであると思いますし、従います。
でも、思いつきのように週末だけ「自粛」してくれ。「ライブハウスには個別にお願いする」。今更週末だけ、しかも「自粛」。自分の判断で。いわゆる自己責任で社会の一員として振舞ってくれ、というわけです。
しかも「ああこれは効果的だよな、仕方ないな」納得できるような話ならまだしも。月曜日にはまた皆、電車に乗らなければならないのです。「仕事」があるから。「仕事」をしなければ生きて生活してゆけないから。
ミュージシャンだってライブバー経営者だって皆同じです。

2月から少しずつ影響が出始めました。そりゃ、こんな状況でも業績の良いところもあるのかもしれません。企業努力が取りない、実力不足だから、と言われればそれまでかもしれません。
恥ずかしいことを赤裸々に記します。
迷ったけど必要かと思いました。
今月がもうすぐ終わりますが売り上げは2月の6割と少しです。1月と比べると5割を切っています。それでも家賃は発生します。和牛も食べてみたいけど(ウソ)和牛券じゃ家賃は払えません。アソーさんは俺の銀行口座を疑ってるみたいだけど景気回復を邪魔するために隠し持ってる埋蔵金なんて僕にはないんですよ。

誤解をしないで頂きたい。文章力がないためダラダラと長く要点が伝わらない可能性が高くって情けない。

まず、出演キャンセルをせざるを得ない出演者の方々。辛い気持ちは痛いほどわかります。僕はバイユーの出演者の方が出演キャンセルというものをどれほど重く考えているかよくよく理解しています。でもこのような事態です。当たり前です。それぞれ様々な事情があります。演奏活動を続けている人たちの方が偉い、なんてことは決してありません。出演キャンセルを伝えなければならない人たちの気持ちを考えると胸が痛む思いです。どうか気に病まないで頂きたい。

そしてライブバーに足を運ぶことを控えているお客様にも言いたい。俺たちはこれまでのあなた方のサポートに心から感謝しています。あなたたちなくしてはこのシーンは存在し得ないし、バイユーゲイトを続けることもできませんでした。
一緒に音楽場を作ってくれたことを心から感謝しています。
今、個人の判断で来店を控えたり躊躇することはいたって当たり前です。少しでもリスクを減らそうという気持ち心から理解します。どうか気に病まないで頂きたい。

我々は他者を思いやりつつ、自分の判断でこの難局に対するしかないと思います。
ライブミュージックシーンを一緒に作ってきた仲間がこんなことで断絶することがありませんよう、心から願います。

金銭的な補償、云々の話は非常に非常に非常に大事なのですが、今回はひとまず置いておいて、
この数週間、書こうかどうしようか迷っていたことを記しました。

ライブ活動を続けるバンド、ミュージシャン。自粛するバンド、ミュージシャン。
ライブ営業を続けるライブハウス、ライブバー。自粛するライブハウス、ライブバー。
ライブに足を運びつづけるお客様、しばらく控えるお客様。
皆同じ気持ちです。一緒にやってきたがやん!お互いを尊重し合いましょう。

もしライブミュージックに関わる活動を続けている人が感染しても
(お客様も含む。もちろん誰もが感染しないことを切に願い、最大限の注意を払いたいです)
それはあくまで結果です。
悩みに悩んで行動した結果です。
家族のために、自分のために、不安を持ちつつ電車通勤して感染してしまったのと何ら変わりはありません。

断絶はやめよう。

安易な連帯はとっても苦手だけど今は言うよ。
みんなで作ってきた場を何とか守りたいと思っています。

賛否、どころか
何が言いたいのかよーわからん!な駄長文
お読み頂いた方に感謝いたします。
本来なら「推敲」というものをしっかりやるべきとはわかっております。ごめんなさい。
そしてありがとう。

2012年夏③☆高知/須崎 My first カレーショップ『ガリバー』!編

2012-10-05 | 日記・エッセイ・コラム

しばらく間があいてしまいましたが、2012年高知の夏の覚え書きの続きです。途中で終わるのは良くないですね。


そんなこんなでいろいろと職業意識出しつつ高知を散策した中で、今回の個人的メインイベントは須崎のカレーショップ『ガリバー』を訪ねることでした。
小学校4年生の夏、家族旅行で当時住んでいた室戸(東端)から中村(四万十)~足摺(西端)へと向かう途中で寄ったカレー屋さん。
父親の知人が開店したばかりのお店へ寄ってお昼ごはんということで連れていかれました。「お昼はカレー屋さんでカレー」。「カレー屋さん」という言葉にイマイチピンとこない田舎の小学生でした。当時カレー専門店なんて概念はなかったのです。
辿り着いた須崎のカレー屋さん。カレーだけのお店、ガリバーなんて店名の付け方も凄く都会的に思えたものです。実は都会ではなく須崎という海辺の町だったのですが…。カウンターに座ってメニューを見るといろんな種類のカレーが沢山。驚きましたね。食べたのはエビカレー。美味しかった!と同時にそれまで食べ慣れていた自宅のカレーやドライヴインで食べるカレーと違ってスパイシーで刺激が強かったような記憶が鮮明です。豚肉や牛小間でないカレーというのもなんとも新鮮でした。
もちろんはっきりした味なんて覚えていないのですがそれ以来、エビカレーという響きには弱く、いまだに『ココイチ』ではたびたび「エビにこみカレー」をオーダーする僕…。あれから36年。“ファーストタイムアイメットザオトナノカレー!須崎ガリバー ” は、いろいろな記憶が曖昧になってゆく中でココロにしっかりと残っていたのでした。

そんな昨年、ふと気づいたのです。気がつけばインターネット時代!「ガリバーを検索してみよう」
すると、なんとガリバーは元気に須崎で営業中、健在だったのです!興奮を隠せなかったのですが、すぐに向かうこともできず「あー行ってみたい!」と悶々とする日々。そんな時間を経て、遂に再訪となったのでした。

いつしか時はカーナビ時代!ネットで住所を調べてカーナビに入力、高速道路を使って須崎の町まで行ってまいりました。

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ガリバー!!ありました。変わらずありました。まぁ記憶は曖昧なのですが。
中に入ると、ん??ちょっと、いや記憶と明らかに違う。カウンター席が中心の細長い店内、という印象だったのですが…。
昼時を過ぎつつある時間だったので店主たえさんに話しかけると、驚き喜んでくださいました。感激!
思いで話に花が咲く中でわかったのですが、お店はすぐ近くで移転したそうで記憶の中のガリバーは旧店舗だとのこと。おお~記憶力結構イケルやん!でした。
でカレー。注文は当然エビカレー。でもメニューを見ると明らかに記憶と違います。説明によると昔のエビを煮込んだカレーは今はやっていなくって、現在のエビカレーは海老フライの乗ったカレーだとのこと。煮込むサイズのエビが冷凍でしか入らなくなってしまい(これは仕入れの問題なのかコスト面なのかはわかりませんが)冷凍のエビで作ると変なクセが出て美味しいダシにならないのでやめてしまったとのことでした。ちょっと残念でしたが納得、海老フライのカレーをオーダーしました。待っている間にメニューや店内を見ると、現在のガリバーさんはカレーを売りにした、町の人気喫茶店といった佇まいで親しまれているようです。定番は日替わり定食?美味しそうです。カツカレーが人気?とろろいものカレーなんてのもあります。
出て来たカレーは、美味しかった~!でも、スパイシーな専門店の味というよりも人気喫茶店自慢の味といった感じ。元からこうだったのか、定食を中心とした今の形態になった時に変わったのかはわかりません。36年も前のことなのです。問題は今もガリバーがあって美味しいカレーが食べられることそれに尽きるのです。サイドメニューもサービスしていただいて、子どもにお小遣いまでいただき恐縮しきりでありました。店内は数々の賞を獲るなど写真の世界でも活躍している店主たえさんの作品や

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お仲間の写真が飾られなかなか良い雰囲気。

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写真仲間も集い、彼女を中心とした「場」として成り立っているようで…

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日々のバイユーを思い出し元気や勇気を貰ったのでした。長くやってるって凄いんですよ、やっぱり!
※作品は店内に飾られているものではありません。ネットで探した彼女の作品を転載させていただきました。

再訪を楽しみにガリバーを後にし、高知に戻る途中の仁淀川で真夏の川遊び。帰りはたえさんからの「アイスでも食べなさい」とのお言葉に従って高知のソウルフード・クボタのアイスを嗜みました。セレクトは定番「花まんじゅう」と「おっぱいアイス」。

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美味しゅうございました。楽しく美味しい夏の一日でした。ガリバー・たえさんありがとうございました。また伺います!
皆さん、須崎のカレーショップ『ガリバー』〒785-0005 高知県須崎市東古市町6-13 是非行ってみて下さい。


2012夏②☆高知/大杉の立川(たじかわ)そば編

2012-09-07 | 日記・エッセイ・コラム

2012年夏の覚え書きの続きです。

『ルーラルカプリ農場』で遊んだ日の夕方高知着。大人しくしてれば良いものを…深夜、久しぶりの高知の夜をパトロールに出かけました。目的地は『ロッカールーム』というロックバー。
ここはなぜか共通の友人が多いマスター~ロックバンド『ゴールデン野郎』を率いて東京や大阪でも活躍する濱田亮くん(やっぱり同い年だった!)のお店。
初めて訪れた店とは思えないくつろげる雰囲気。高校時代からの友人、大黒も現れて楽しい深夜となりました。大黒サンキュー!亮くんこれからもよろしくお願いいたします。

翌日からは高知の夏。蝉ギンギン、太陽ギンギンの南国土佐の夏でした。
実家にお坊さんを呼んで、一緒に暮らしてたおじーちゃんの33回忌とおばーちゃんの13回忌を共催。久しぶりの皿鉢を堪能。

翌日は四国山脈に向かって北上。大豊地区や早明浦ダムなど高知県山間部を食材探索しつつ楽しみました。
山奥で見た星空はもの凄い迫力!かつて体験した~いまひとつ夜空に恵まれなかった石垣島や、凄い星空だった佐渡島よりも圧倒的な宇宙でした。

そうそう、日本一の大杉の近く立川地区(たじかわと読みます。なんと!変換されました!)の独特な蕎麦には驚きました。挽いてぶつ切りにしたようなボソボソの10割蕎麦に出汁に甘さが控えめにひろがるかけつゆ。洗練とはほど遠いものなのですがコレがなんとも個性的で美味い!

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酒飲みにはお薦めします。車だったので飲めなかったのがなんとも残念。

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大杉の道の駅で食べたのですが、高速のSAでも食べられるそうです。
見た目の素朴さに騙されてはいけません。ホンモノは更に素朴でワイルドです。また食べたい~。


2012年夏①☆岡山ルーラルカプリ農場編

2012-09-06 | 日記・エッセイ・コラム

夏が完全に去ってゆく前に、今年の夏の思いでを…。

今年も高知に向かったのですが、その途中で車を借りて立ち寄ったのがここルーラルカプリ農場。岡山駅から東へ30分ほど車を走らせたところにある山羊牧場。なぜ山羊牧場?と思うかもしれませんが、これが得意の行き当たりばったり。車を借りようと電話したレンタカー店の方がなんとも親切で、お薦めの場所を訊いたところ「自分もまだ行ったことないけど、今度行こうと思っている」とこの山羊牧場を教えて下さいました。山羊牧場!?未知の響きになんとなくピンときたので向かってみることにしました。
Photo郊外に向けて一般道を走っていくとどんどん田舎に。道順通りに行くとガードレールもない池沿いの細い道。池に落ちるのは嫌だなあと思いつつ更に山道に入って少しすると目的の山羊牧場に着きました。 「ルーラルカプリ農場は観光施設ではありません」と謳っていることからもわかるように山羊を育て乳を搾り、乳製品を作っているいたって素朴な農場でした。飾らない佇まいに沢山の山羊。なんとも良い雰囲気。

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農場の奥(上)にある小さなショップの店頭(外)に置いてある山羊ミルクは驚きの味!!

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瑞々しく爽やか。そしてコクがあるのにクドくない。人間の母乳に一番近いとされるだけあってお腹に優しく身体にも良いようです。臭み、のようなものは感じませんでした。そして本当に美味しかったソフトクリーム。

オーナーさんが接客してくださるショップで買い物をしたのですが問題はその店内!壁にビッシリとCDが…。それがまた凄い内容。どうやらデッドヘッズらしいことはわかるのですが、そんな単純なものではありません。この方かなりのスキモノ、とみました。チラチラ見てると本当に凄い!ムムム。ってなもんです。

Cd

(この棚も凄いけどBOXセット棚もムムムでした)で、このまま帰るのもあまりに勿体なくって、話しかけてしまいました~。

いやーこの方、ルーツモノを中心でアメリカンな品揃え(変か!)なのですが。かなり自分のスタイルを持ったマニアックな方でした。いろいろ教えて貰えそうであまり時間がなかったのが残念なくらい。William Fitzsimmons、Robert Earl Keen、The Avett Brothersなどを薦めていただきました。
そのままロックバーが出来そうな店内と、外の山羊たちの姿がなんとも絶妙なバランスで共存していて非常に良い感じ。
へぇ~と思われた方は是非HPをゆっくりとご覧になってくださいませ。
(写真はRyonさんという方のブログから使わせて頂きました。こちらのブログの方が山羊の魅力が伝わると思います!)
そして岡山に行かれた時には是非!


深澤晟雄という人を知りました

2011-06-03 | 日記・エッセイ・コラム

『深澤晟雄』さんという人を私、恥ずかしながら知りませんでした。

ふかざわまさおさん。1957年から65年まで岩手県沢内村(現・西和賀町)の村長として「豪雪・多病多死(特に乳児死亡)・貧困」の追放を目指し尽力、いや闘った方です。知ってる人にとっては「え?知らなかったの??」なのだと思いますが…。

当時の沢内村は貧困に喘ぎ、乳児死亡率も6%(東京では約2.7%)を超えていたそうです。豪雪のため道は閉ざされ医者にかかることもできない状況のうえ、開業医はなく診療施設に派遣されてくる医師は問題のある者が多く、なかには薬物中毒者もいる有り様であったとのこと。 また、貧困のため病院にかかることは家の財産を失う、という考えも根強く治療を受けずして死ぬこともあり家計の負担にならないよう自殺する高齢者も少なくなかった。
医者には死亡診断書を書いてもらう為に行くという状況を憂いて村長を志した深沢さん。彼は生命尊重の志のもと~逆境の中多くの困難と戦い、ブルドーザーやバスの導入による豪雪期の交通の確保、そして優秀な医師を持つ病院整備に成功。更に1歳未満児と60歳以上に国保10割給付を断行し遂には乳児死亡ゼロを達成したのでした(地方自治体初の快挙)。
ゼロですよ、ゼロ!62年、昭和37年の話です。

乳児と高齢者の医療費無料化については時の岩手県庁から国民健康保険法違反として待ったがかかったのですが
深澤村長は
「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるな らそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ。」
と語り村議員達を説得、断行した。

しかし、生命尊重の政策は財政面ではすぐに結果を出せなかったのでしょう
二期目の村長選では財政問題などを突く相手を迎え苦戦した。
その時に訴えた言葉がこれ
「生命の商品化は絶対に許されません。人間尊重・生命尊重こそが政治の基本でなければなりません」
応えた村民、投票率は90・1パーセント。わずかに305票差で勝利を収め奇跡的な成功へと歩み始めたのでした。

うーん。すべてがあまりに情けない現状と違いすぎる。

政治家とは職業ではなく他者の為、社会の為、理想のために殉じる役割では?などと考えるのはあまりにナイーブに過ぎるのでしょうか?「青いね」と言われたりするのでしょうか。まぁ戦国時代なんかは己の権力欲で闘っていたのでしょうけどね…。でもオキナワの瀬長亀次郎さんをはじめ、確かにまっとうな人もいたのです。今の国会議員さんにもいる、と思いたいのですが。

65年、食道癌に倒れ59歳で村長のまま世を去った深澤さん。彼の死を悼み、吹雪の中2000人(人口6000人)を越える村人が沿道を埋めて、村長の遺体が福島の病院から帰村するのを出迎えた。
この時の写真が残っているのですが…胸が熱くなりました。
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※彼のことは俳優の長谷川初範さんがラジオに出演し、自分の出演作として深澤さんを演じた映画の話をしていて知りました。
『いのちの山河~日本の青空~』時間を作って観ようと思っています。


山口冨士夫の日記

2011-01-14 | 日記・エッセイ・コラム

ずっと放置状態だったツィッターを最近ちょくちょくやってる。するといろいろな情報を見つける。今日は山口冨士夫さんの日記についての記述(つぶやき)を見つけて、それをきっかけにひさしぶりに彼の日常に触れました。
http://blog.fujio-yamaguchi.com/?day=20110111

僕が高校生の頃、彼は『山口冨士夫グループ』というバンドをやっていてインディから4曲入りの8インチ盤(微妙な大きさだ)『RIDE ON !』をリリースした。村八分に興味があったので迷った末に購入。今のインディと違ってストリート、いや都市の路地裏の匂いがプンプンしていた。
そのワイルドでルース、黒いサウンドは高知の高校生には刺激的でいっぺんにファンになった。ストーンズやブルースをルーツに持つバンドでは最高の存在だ!と思ったりもしたものでした。
それからしばらくして地元の小さいライブハウス『BUZZ』に『山口冨士夫グループ』がやって来ることを知った僕とミキ(初めてのバンドのベーシスト・男)は驚きつつも、手作りのチケットを購入して二人で行ったのでした。。試験期間中だったのを気にしながらの冒険だったような記憶が有る。
6時半や7時に始まるコンサートとは違って9時頃スタートの薄暗~いライヴハウス。バイユーよりも小さい店だったように思う。その後、自分たちも出演したけどよくあんなところでデカイ音だしてライヴをやっていたものだ。そう!とにかく音がデカかった!!1時間以上開演が遅れて(理由はここには書けません)登場した山口冨士夫は開口一番「デッカイ音出すぞぉ~」。にやりと笑ったのが印象的だった。半ば無理矢理連れてこられたミキは「有、こいつなんかきちゃないぞ…」とつぶやいた。その夜、僕らはレコード用に整えられたり、コンサートでPAシステムで整理された音以外で聴くロックンロールというものに初めて触れたのでした。あれは16歳。

それはそんな別に大したモノじゃなく、どちらかというと穴だらけでツッコミどころ満載のなんともガサツなシロモノだった。…なのにそれまで生で聴いたどんなロックバンドよりも生々しくカッコイイものでした。僕は目の前で演奏されている音楽が良いものかとるにたらないものなのかもわからず、ただ未知のものに出会ったという衝撃でドキドキしながら眺めていたことを覚えています。『RIDE ON !』の曲は勿論、『Red Rooster』『pipeline』、レゲエアレンジの『Love Me Do』なんかを演った。ササクレだってていい加減でキレ味ばかりの演奏だった。進行もだらだらしていてとてもライヴとは思えなかった。そしてなにより一般人とは違った匂いをプンプン漂わせていて、凄みが有り過ぎ。怖いくらいだった。、、、繰り返しますが、16歳でした。コワイよなー(笑)。
ゆったりとしたペースのライヴは11時を過ぎても終わる気配がなく僕らは翌日の試験勉強のためアンコールの合間に店を出たのでした。今考えるとバカバカしい。試験なんて一瞬のものの為に。最後まで聴いておくべきだった。ま、たいしたことはおこらなかったかもしれないけど。。。途中で帰ったという記憶のおかげでいろいろと鮮明なのかもしれないし。その後、バンドで村八分の曲をカヴァーしたし、山口冨士夫の『からかわないで』をレパートリーにしたりした。
数年後、東京に出ての最初の夜(翌日だったかもしれない)。荷物も届いてないフロトイレなし4畳半の経堂の部屋を抜け出して原宿クロコダイルへ『山口冨士夫グループ』から改名した『タンブリングス』を観に行った(その少し前のタンブリングダウン時代かも)。満員の東京のライブハウスで観るフジオちゃんは絶好調で素晴らしかった。バンドが意欲に溢れていて一番いい時期だったのかもしれない。
時に酷い演奏をすることで知られる彼だけど、いい時は本当に素晴らしい。あの頃の彼は酷い演奏の時も含めてスリルに満ちていて実にカッコよかった。感激のあまりクロコダイルにはその後何度も足を運んだのでした。ああ、当時は『シティロード』くらいしか情報源がなかったなぁ。

タンブリングスからティアドロップスに改名する頃から彼の音楽を聴く機会は激減してしまったけど、リリース状況や頻繁に刑務所に入る姿など動向はいつもなんとなく気にはしていました。
近年は体調を崩し、一時は生命さえも危ぶまれたフジオちゃん。
2008 僕にとって…清志郎さんやローリークックさんのように、最高に特別で重要な存在のミュージシャン!というほどではないのですが、やはりいつも気になる存在です。
また元気に生々しくてキレ味満点の演奏を聴かせてもらいたいものです。あの歌世界も彼が歌うと何となく納得するから不思議だ。貴重なお人です。
写真はROLLING STONESトリビュートバンド THE BEGGARSのブログからお借りしましたこの日の日記もいかにもフジオさんらしくって笑えます。


30年目の日出ずる国。

2010-12-09 | 日記・エッセイ・コラム

今日12月9日はジョン・レノンが凶弾に倒れた日。

世界中で昨日ジョンの命日というニュースが流れたけれど
Far East、日出ずる国であの日の記憶を脳裏に刻んだ者としてはやっぱりカレンダーや新聞で12月9日という日付を見ると、なんとなく思い出すのです。

事件が起こったは日本時間の9日。
ニュースが流れたのが昼過ぎで、僕が知ったのは夕方。

部活を終えて冬だというのに汗まみれの身体を冷ましつつ帰宅したら
母親に「あんた、知っちゅうかね?ジョン・レノンが死んだぞね」
と言われたことを今もクッキリと思い出す。
中学2年生でした。部活帰りだったから平日だったのだろう…今調べると火曜日ですね。30年、便利な時代になったもんだ。。。
まだ実家は古い建物で庭から回ってすのこを踏んで家へ入っていた頃だ。何故だかあの頃玄関から出入りした記憶があまりない。庭に続く床まで有る窓から入ったら左上、台所に続く壁に古い時計が掛かっていたことまで思い出せる。

日付が早くやってくる日出ずる国、Far Eastのテレビやラジオの前…
昨日12月8日のジョン関連の海外ニュースは
地球は思ってる以上に丸くて広くて、
決してみんなが同じ今日を生きているわけじゃぁないことを思い出させてくれたりするのです。

昨日のこと。友人の女性が「職場で朝からずーっとジョンの曲が流れ続けてる。スローな曲ばかりで眠くなって困る」というような事を言ってた。

うーん、特にコメントは差し控えるけど
そんなもんなんですね。

確かに年間を通しても『Imagine』と『Happy Xmas』ばかりを聴く事が多いようだ。まぁ亡くなった時みたいに『Let It Be』や『Yesterday』が流れたりしなくなっただけでも良しとするべきなのでしょう。

…昨日いろんなところで『Imagine』を何度も何度も耳にしたあなた!今夜はローリークックの『偽りの英雄』を聴いてジャコ・パストリアスやアポロ計画 に想いを馳せては如何でしょうか?12月に入ってからずーっと、今日も朝から『Happy Xmas』を聴かされてるアナタ!今夜からザ・ワルツの『127E×26N(HappyNew Year)』を聴いて、いやアルバム『OKINAWANN CHRISTMAS』を聴きつつクリスマスに備え、夜の部屋でひとり踊ってみようじゃありませんか♪
ほら、『Imagine』や『Happy Xmas』も違って聴こえるように。。。。

Photo …普段あまり気にしない「この日」なのですが、30年という響きには感慨を覚えてしまいました。


梅雨近し…

2009-06-08 | 日記・エッセイ・コラム

個人的にドトウの1週間が終わり、恒例の鰹宴も済み日本代表はワールドカップの出場権を獲得。そして…昨日の休日は素晴しい晴天。
あくまで勝手に
なんとなく一区切り。いよいよ梅雨かなーという気分です。気象庁がじゃなくって自分がです。
すっきりしない天気がしばらく続きそうです。こんな季節だからこそ季節を楽しみ、地に足の着いた落ち着いた営業を目指したいと思います。皆様どうかよろしく。


JUMP!キヨシロー

2008-12-04 | 日記・エッセイ・コラム

朝も早よからRCサクセションを観ていた。
ちょっと別件でyoutubeを開いた後、なんとなくRCが観たくなって検索。数ある映像の中から懐かしい『ファイティング80's』出演時の『よォーこそ』を。チャボがセンターマイクで煽るところから始まる。…なんともカッコイイ。素晴しい!演奏がどうのこうのというレヴェルを遥かに越えた世界。ロックンロールのマジックに溢れてる。筆舌に尽くし難いとはこのこと。中学生の時に夢中で観ていた『ファイティング80's』の映像を沢山見つける。当時高知までネットしてくれたKUTVに感謝感謝なのです。これまた中学生の時に観た横浜スタジアムの『Sweet Soul Music』。若き清志郎。最高です。止まらなくなってしまった。
『ドカドカうるさいロックンロールバンド』に胸が熱くなる。なんなんだろいうこのピンポイントで胸をくすぐるような歌心、そしてロックンロール。初めて聴いたときはなんじゃこりゃ?と思ったのに。30年近い年月を経てなお自分の皮膚感覚を刺激する清志郎。
J西中学校の校庭で友人から、当時まだ持っているのが少数派だったウオォークマンで初めて聴かせてもらった『トランジスタラジオ』。K澤大学の講堂で、まるで痒い所に手が届くかの如く自分のカッコイイと思う価値観覚を鷲掴みにしてきたタイマーズ。(震えるような衝撃というやつを本当に味わいました。タイマーズはCDももちろん素晴しいけれどライヴこそがタイマーズだったと思う)。そして日比谷野音。PCの前でいつしかアタマから湯気が出そうに興奮していた。
『ザ・ベストテン』での『サマーツアー』!そして86年、あの『メリークリスマスショー』での山下洋輔&桑田圭祐との『セッションだ!』(確か東京は夕方から雪のクリスマスイヴで、下北のレコファンでキンクスのLPを買ってコンビニに寄って四畳半トイレ無しの部屋に戻り~この桑田Presents『メリークリスマスショー』を14インチのテレビで観たのでした。)
タイマーズを観て、昨年の日本武道館復活祭での『JUMP』を…。自分が一番最近清志郎のLIVEを観たのが3年と少し前の早稲田大学大学祭。その時懐かしいナンバー以上に、一番感激して記憶に残ったのが新しい曲だったこの『JUNP』。ぼーっと立って聴いていた自分にあまりにドカン!と突き刺さってきて感情のコントロールを失ってしまいそうなくらいにグッときたのでした。その曲を病からの復帰後武道館で歌う清志郎。
たとえばリズム&ブルースやブルースを聴いていたり、ローリークックの音楽に仕事として立ち会っていてどうにもこう~にも溜らなくなったりした時。感じる人にしか感じないものがあるということをいつも思い知らされます。そんな気持ちを若い頃教えてくれたのがRCであり清志郎だった様に思う。例え武道館いっぱいの熱狂的ファンの前でジャンプしている姿を見ていても、やはり感じる人の胸にしか届かない種類のものだと思う。ソウルミュージックが好きで…清志郎と音楽的嗜好があって…とかではなくって彼の作りだすものと感性的に通じるものがる人たちなのだと思う。たまたまそんな人たちに沢山出会えているだけ。RCにだってそんな人たちに出会えない時期もあった。

自分は「なんでみんなにはわかんないんだろう?」とはあんまり思わない。そういうもんなんだろうと思う。仕事としてはそれではいけないとは思うけれど、みんなに理解されることを目指すよりは、感じる人であろう人が触れ易いよう垣根を低くすることが肝要だというように思ったりする。PCの中でシャウトする清志郎。きっとこれからも、未だ出会ってない人(若者?)の胸に突き刺さったりしそうな輝きに満ちています。

先日はMG'Sと共演したとのこと…。非合法なインターネット映像に夢中になりながら、自分にはまだまだ彼の歌が必要なことを痛感しました。
アルバム『夢助』、そして『JUMP』を聴きながら…キヨシロー、待ってます。Kiyoshiromgs081120


寒くなったらコバーン!

2008-11-14 | 日記・エッセイ・コラム

寒いです。こんなの大したことはないとはわかっておるのですが。寒さの序の口だとわかってはいるのですが、急激な気温変化について行くのが大変です。
そんな季節の楽しみ方。そうです。コバーーンです。カナダを代表するシンガー・ソングライター『Bruce Cockburn』ブルース・コバーンの音楽です。

夏だレゲエだ!トロピカルだ!というような風潮をいつも冷ややかに見てきた私ですが、なんのことはありません。今、ここで言いたいのは「晩秋から冬はやっぱりコバーンだ!!」という同じような煽りだったりするのです。
そうなのです!一年中いつ聴いても素晴しいコバーン作品なのですが、やはり秋が深まり冬を感じ始めたころから聴こえかたが少しづつ変わってくるように感じられます。かつては例の " 冬のコバーン " というコピーに対しても冷ややかな気持ちでおりました。でもそれも過去のこと。今では、仰せの通りでございます、と思っております。ここ数日の深夜の空気の澄みきり具合など、まさにコバーンの季節がやってきたことを物語っています。音楽にも旬はあるようです。Sunwheel_dance
連日聴いているレコードは『Sunwheel Dance』。彼の初期、3枚目のアルバムです。息をのむギターに素敵なメロディ、暖かい歌。素晴しいです。この音盤(LP&CD)はお願いしてカナダから買ってきてもらったといういわく付きのシロモノ。なんとなくカナダの匂いがするような気がします。哲、サンキュー!


王選手

2008-09-26 | 日記・エッセイ・コラム

ホークスの王監督が監督職を辞する事になったというニュースが大きく取り上げられている。
大病も経験している王選手。これからはお身体をいたわりつつゆっくりしていただきたいと思う次第です。

自分は長嶋さんの全盛期には小さかった…(あの引退式の時は小学校低学年だった。覚えてるけど。)。でも王選手はしっかりと観た。テレビでラジオで。
700号本塁打だって715号だって756号だって、800号だって。
ご両親とオープンカーに乗って球場内を一周したのを覚えています。

とにかく凄い人。良い人。という印象。今では王監督や王さんと呼ばれることが多いけれど、現役時代を眺めていた自分なんかにとってはやっぱり『王選手』がしっくりくる。
王選手は謙虚な人。打たれた人のことを考えて、派手に喜んだりなんかしない。いつも真面目で地味。だけれども派手なホームラン。甲子園のスターからプロ入り、若い頃は決して優等生ではなかった。でもスーパースターの地位を確立して謙虚になった人。子どもからみたら、発言が地味で面白味がないようにも感じたけれどもそれこそが王選手。だから、凄い。とも思えた。”エライ人”はかくあるべきという感じだった。なので熱狂的王ファンっていうのは子どもにはあんまりいなかったような気がする。全盛期をあまり知らないというのに熱狂的長嶋(監督)ファンってのは結構いたけど。

王選手はその後も真摯で有り続けた。巨人という抜け出す者のいなかったブランドを捨てて福岡へ(ホークスへ)行ったときは感心したものでした。不成績で泥をかぶる可能性が高かったのに(実際苦労した)。ホークスで優勝して胴上げされているニュ-スを観た時には、普段野球をあまり熱心に観ないのにグッときたものでした。

王選手は子どもゴコロになんとなく偉大な人の象徴であったように思います。偉ぶらない王選手。子ども達のお手本的な存在として王選手は…っていう言い回しがいくつかあったような記憶があります。

その中のひとつ。
「王選手は暑い真夏でも冷たいジュースは飲まずに、喉が渇いたら熱いお茶を飲むそうです。だからあんなに沢山ホームランが打てるんですよ。(なので冷たいジュースばっかり飲んでちゃ駄目です)」

この説得力!