AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

アナログからデジタルアーカイブへの可視化(3)

2016-10-03 16:42:17 | 今そこにあるメディアのリスク


先日 南海地震のシュミレーション CG映像が公開されました。鎌倉市のCGの津波のリアルさに住民達は慄いた事でしょう。海岸沿いには自然環境保護でしたか、高い建物はないのに等しいのです。凡そ8分で到達するわけですから逃げ道はないでしょうが、そこをどう逃げきるしかないのです。

江戸時代に起こった大地震を伝える話があります。「稲むらの火」です。 安政南海地震 嘉永七年十一月四日と五日、(1854年12月23日)のことです。 村を大津波が襲ったとき、高台に住む庄屋が自分の稲むらに火をつける。この機転で津波に気づいていない村人たちを高台に集めて救った。津波への油断を戒めるこの「稲むらの火」のモデルは、紀州広村(現和歌山県広川町)の富豪、浜口梧陵とされています。ヤマサ醤油 第7代目当主です。江戸末期の大津波のさい、浜口梧陵は今も地元で崇敬の念を集めています。津波の怖さを痛感し、今の金で5億円以上の私財をつぎ込み、村の海岸に高さ5メートル、長さ600メートルの堤防を造ったのです。そのおかげで、紀伊水道に面した広川町は地形的にも津波に襲われやすいのですが、昭和21年12月の南海地震の大津波の死者は22人でした。完全には免れなかったが「梧陵さんの堤」が「減災」をもたらしたといえましょう。 思いますに役所というところは物事を多角的な観点からみません。映画「Day After Tomorrow」のような大災害のシュミレーションを公開する事も重要な役目ですが、過去の歴史との検証考察をしない。気象庁にしても近代地震調査からです。東日本大震災は凡そ1142年前の貞観11年(869年)に起こっております。熊本地震もそのタイムラインを遡りますと慶長大地震とも類似している様にも思われます。事実 富士山も含めて活動期に入ったことは事実です。此処まで凄いリアルな映像を見せられたら「逃げよう!」と言う気にもならないでしょう。これが役所的な一方向の考え方です。大災害から「生き抜こう!」と言うモチベーションは生まれません。






そういう意味でも地域の「逃げ地図プロジェクト」は意義ある事です。参加意識を高める事が一番重要な事です。
「防災とは過去と現代との絶え間ない対話」なのでしょう。その為のアーカイブなのです。



10月2日(日)のつぶやき

2016-10-03 02:48:12 | 百済ない話