AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

衝撃と継接ぎのモンタージュ(2)

2015-10-07 23:56:14 | アイディアのIdentity



エイゼン シュタイン モンタージュに対して、米国の映画監督D・W・グリフィスに代表されるグリフィス・モンタージュというのがございます。
エイゼンシュテイン・モンタージュは、当時流行し始めたソシュールの構造主義の影響を受け、台本の言語的要素を映像に置き換えて編集していく手法であり、エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』の「オデッサの階段」がその典型とされます。
グリフィス・モンタージュは、フロイトの影響を受けたコンスタンチン・スタニスラフスキーの演出論に基づくものであり、俳優たちを特殊な状況に陥れた実際を、複数のカメラを用いたマルチ・カヴァレッジによって同時撮影し、その時間尺を変えることなく多面的な視点を取り入れて線形に編集していく手法であり、グリフィスの『イントレランス』のスペクタクルシーンがそのはじまりとされるそうです。(wikipedia モンタージュより引用させていただきました。https:ja.wikipedia.orgwiki%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5)


小津安治郎監督は背景でよく使ってました。







黒澤明監督はその戦闘シーンで応用しておりました。
「椿三十郎」が社殿から出て侍達を威圧するシーン! はじめは左側に立って居たのですが黒澤明監督は威圧しながら右側に移動する演出をしています。 モンタージュの広義の意味合いに段々と解らなくなっていきますね。

衝撃と継接ぎのモンタージュ(1)

2015-10-07 02:02:10 | アイディアのIdentity






大学で教鞭をとる友人曰く「最近 我々の頃に教わった映画技法がおかしくなっている。」
そう言えば、montageの技法一つとっても、今と昔ではその捉え方も違うのでしょう。
「衝突のmontage」と教わった ロシアの監督 エイゼンシュタイン 有名なのが「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段です。最近では、「小津安治郎」監督も知らないし、多くの名作を知らずに映画監督になりたいと言う若者があまりにも増えました。中には制作会社に入ったがいいが、「制作進行になるつもりはない。何故監督にしてくれないのか?」こう言う若いのが増えたとも聴きます。フィルムからビデオに変わり、光学的効果がCGに変わった事で、多くの映像機器も変わってしまいました。同録の名機 ナグラもなくなり、シュノーケルカメラのfocusingをやっていた事もありますが、全てにおいてガラッと変わってしまいました。オデッサの階段を上手く再現したのがオリバーストーン監督です。彼は「アンタッチャブル」でこのオデッサの階段を上手く表現したのです。