南無煩悩大菩薩

今日是好日也

亥年の猪亦是自性清浄也

2019-01-20 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/source)

仙厓禅師の画賛と思われるものに「男女」と題して、

「人我我入之本體、二根交成大佛事・・・」と書いているものがあります。

仏教に立川流という流派があり、その言っているところに二根交会といったことを説いていますが、こうしたことを何のわだかまりもなく、サラリと言い得ているところに悟りというものをかいまみる気がします。

人間は生きている限りは迷いの塊のようなものでありますから、迷いをなくしようとしても迷いをなくすことはできません。

迷いが迷いだとわかるのが悟りであって迷いのほかに悟りというものがあるわけのものではないでしょう。

迷いを迷いだと思わないから迷っていることが始末に負えないわけです。

おれは今泣いているな、おれは今怒っているなと言うことをおもえば、怒っていても怒っていることにはならない。泣いていても泣いていることにはならないのであります。

-引用/古田紹欽「仙厓」より

悟りとはいかなるもの云うやらん墨絵に書きし松風の音  

-伝/一休禅師
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 片方だけでは成立しない | トップ | 部分であると同時に全体 全体... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
煩悩先生へ (sugiura)
2019-01-21 10:20:34
若い頃は犬も放し飼いで自由に往来を闊歩していました。猫、庭には鶏、土手には山羊も牛も馬もいました。朝になるとブリキ缶に牛乳を入れて工場にもってく人たちがたくさんいました。今では記憶の片隅にしかありません。これが老いなんでしょうね。
返信する
sugiura様 (煩悩)
2019-01-22 16:28:45
昨日何を食べたか何処で飲んだか思い出せないことがよくあります。

これも老いなんでしょうね。
返信する

コメントを投稿

壹弍の賛詩悟録句樂帳。」カテゴリの最新記事