南無煩悩大菩薩

今日是好日也

真と実と。ーLIVING

2020-05-05 | つれづれの風景。
(gif/source)

ある婦人は、ふとパンと一緒にピンを呑み込んだと思うと、その喉に耐えがたい痛みを感じて呻き苦しんだ。そこにピンがまだひっかかっているような気がしたのである。

けれども外から見たところ腫れてもいなければ何の別状もないものだから、ある気のきいた男が、これはきっと呑み込む時にパンのかけらか何かが喉にひっかかったのを、ピンを呑んだかのように思いこんでいるに違いないと判断し、まず吐かせておいてから、手早くそこにねじまげたピンを投げ込んだ。

婦人は、「それ出た!」と言われると、たちまちに痛みの消えるのを感じた。


例えば、風は吹いている。がしかし風そのものにおとがあるわけではない。がしかし風のおととして聞く。ー音について

例えば、いくらいろいろな野菜のながまじっていても、全体はサラダというなの中に含まれる。ー名前について。

例えば、ガスにはにおいが無い、がしかしそれでは漏れて察知できず危険なのでにおいを附けている。ー匂いについて。


自ラノ真実ヲ真実トスルコト、金ヲ金トシ悲シムコト、吹ク風ノオノレソヨギ、薔薇ト野菜ノムキムキニ咲キ、鳥ノ飛ビ、魚ノ泳ギ、虫ノ匍フコト、男ヲンナノツツマシク連レ添フコト、ミナアハレナリ、シンジツニ。ミナアハレナリ。 ー北原白秋「真実」

Jan Gunnar Hoff - LIVING
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