「人ひとり、生まれ出でてより死ぬるまで、それぞれに生くる道は、永く、けわしく、めんどうなものでございますが・・・・死ぬるときは一瞬でございますな」
「いかにもな・・・」
「人は必ず死ぬるもの、でござりますな」
「それが身にしみてわかったか?」
「はい。私も和尚様も、一日一日と死につつあるのでございますな」
「それで?」
中略
「ゆえに・・・人は、死ぬるつもりで生きなければならぬ、と思い至りました。このことは、いつもいつも、菅野の叔父から申し聞かされていたことでございますが・・・それが、そのことが、今日はじめて・・・・」
「人生の極みとおぼえたか」
「はい」
この一遍は、主人公・中山安兵衛が義理叔父・菅野六郎左衛門の助太刀をして、村上兄弟やそれを助勢した中津川祐見一党を相手にした史上に名高い「高田の馬場の決闘」に勝利した後、重傷で林光寺に担ぎ込まれた義理叔父・菅野六郎左衛門の最期を看取った安兵衛と道山和尚との会話である・・・。
死というものが、常に身近にあるこの時代、池波正太郎小説には必ずといっていいほど、人の死についての記述が多分に書き込まれている。そして、そこから人が生きるためにいかにして個々の人生を送るのか・・・などが、生き生きと書き込まれており、いつも感服しながら読んでいる。
我が国も戦前までは、死と言うものが身近にあったことで、人々は懸命に生きていたと思われる。ところが、戦後60有余年、身近に死と向き合うことの少なくなった現代社会では、懸命に生きるということが忘れられようとしている。
さて、堀部安兵衛こと、中山安兵衛については、高田の馬場の決闘に助太刀をして名を馳せたことで、赤穂藩浅野家の家来・堀部弥兵衛に請われて養子となった。後に藩主・浅野内匠頭長矩が江戸城で刃傷に及んだことから、赤穂義士の一人となった・・・程度、の知識しかなかった。
今回の小説では、主人公・安兵衛が元服前の頃から物語がはじまるが、父は越後国新発田藩溝口家家臣・中山弥次右衛門(200石)である。母は安兵衛を産んでまもなく死去、嫁いでいる姉たちがいる・・・。
厳しい父から連日剣術の基本を教わるが、どちらかというと読み書きの方が好きであった・・・幼少時代。ところが、ある時突拍子もない事件が起こり、父が一身に罪を受けて切腹して果てる。
その間際に安兵衛に対して・・・
「中山弥次右衛門。何事にも見苦しき、いいわけはせぬぞ」
絶叫するや、腹から抜いた刀の切っ先を喉のあたりへ当てがい
「や、安兵衛・・・・」
「し、死ぬるをおそれるな。死ぬるはおそろしきものでないこと、父はいま、はじめて知っ・・・・」
と、絶命したその父の死を胸に秘め、14歳の安兵衛は後日父の汚名を晴らすため出奔する。そして、流浪するうちに若き日の剣客・中津川祐見(後に高田の馬場で決闘)に助けられる。
その後、一人の女性を巡り中津川祐見と敵対し、彷徨っているうちに菅野六郎左衛門に出会い、安兵衛の生き様や人間らしさを気に入り叔父・甥の関係になる。
また、安兵衛はさまざまな人たちとの関わりの中で、剣術修行にも打ち込んでついには堀内源左衛門の門弟になった。そして、天性の剣の才能により堀内道場で頭角をあらわすようになり、後に四天王となる。人間的にも大きく成長し、その間に赤穂藩士である奥田孫太夫とも親交を深める。
そして、些細なことが発端となって起きた高田の馬場の決闘で、義理叔父・菅野六郎左衛門の助太刀をすることとなる。
その後、堀部弥兵衛に執拗に請われて弥兵衛の一人娘「幸」の婿養子となって、播州赤穂藩・浅野家に仕えるが・・・・・。
この小説に触れたことで、堀部弥兵衛の生き様を垣間見る事ができた瞬間である。
小説の世界であり当然フィクションの部分も多彩であるが、池波小説の世界に誘われ秋の夜長を満喫している・・・相も変わらず。
それが、また楽しいひと時でもある。(夫)
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「いかにもな・・・」
「人は必ず死ぬるもの、でござりますな」
「それが身にしみてわかったか?」
「はい。私も和尚様も、一日一日と死につつあるのでございますな」
「それで?」
中略
「ゆえに・・・人は、死ぬるつもりで生きなければならぬ、と思い至りました。このことは、いつもいつも、菅野の叔父から申し聞かされていたことでございますが・・・それが、そのことが、今日はじめて・・・・」
「人生の極みとおぼえたか」
「はい」
この一遍は、主人公・中山安兵衛が義理叔父・菅野六郎左衛門の助太刀をして、村上兄弟やそれを助勢した中津川祐見一党を相手にした史上に名高い「高田の馬場の決闘」に勝利した後、重傷で林光寺に担ぎ込まれた義理叔父・菅野六郎左衛門の最期を看取った安兵衛と道山和尚との会話である・・・。
死というものが、常に身近にあるこの時代、池波正太郎小説には必ずといっていいほど、人の死についての記述が多分に書き込まれている。そして、そこから人が生きるためにいかにして個々の人生を送るのか・・・などが、生き生きと書き込まれており、いつも感服しながら読んでいる。
我が国も戦前までは、死と言うものが身近にあったことで、人々は懸命に生きていたと思われる。ところが、戦後60有余年、身近に死と向き合うことの少なくなった現代社会では、懸命に生きるということが忘れられようとしている。
さて、堀部安兵衛こと、中山安兵衛については、高田の馬場の決闘に助太刀をして名を馳せたことで、赤穂藩浅野家の家来・堀部弥兵衛に請われて養子となった。後に藩主・浅野内匠頭長矩が江戸城で刃傷に及んだことから、赤穂義士の一人となった・・・程度、の知識しかなかった。
今回の小説では、主人公・安兵衛が元服前の頃から物語がはじまるが、父は越後国新発田藩溝口家家臣・中山弥次右衛門(200石)である。母は安兵衛を産んでまもなく死去、嫁いでいる姉たちがいる・・・。
厳しい父から連日剣術の基本を教わるが、どちらかというと読み書きの方が好きであった・・・幼少時代。ところが、ある時突拍子もない事件が起こり、父が一身に罪を受けて切腹して果てる。
その間際に安兵衛に対して・・・
「中山弥次右衛門。何事にも見苦しき、いいわけはせぬぞ」
絶叫するや、腹から抜いた刀の切っ先を喉のあたりへ当てがい
「や、安兵衛・・・・」
「し、死ぬるをおそれるな。死ぬるはおそろしきものでないこと、父はいま、はじめて知っ・・・・」
と、絶命したその父の死を胸に秘め、14歳の安兵衛は後日父の汚名を晴らすため出奔する。そして、流浪するうちに若き日の剣客・中津川祐見(後に高田の馬場で決闘)に助けられる。
その後、一人の女性を巡り中津川祐見と敵対し、彷徨っているうちに菅野六郎左衛門に出会い、安兵衛の生き様や人間らしさを気に入り叔父・甥の関係になる。
また、安兵衛はさまざまな人たちとの関わりの中で、剣術修行にも打ち込んでついには堀内源左衛門の門弟になった。そして、天性の剣の才能により堀内道場で頭角をあらわすようになり、後に四天王となる。人間的にも大きく成長し、その間に赤穂藩士である奥田孫太夫とも親交を深める。
そして、些細なことが発端となって起きた高田の馬場の決闘で、義理叔父・菅野六郎左衛門の助太刀をすることとなる。
その後、堀部弥兵衛に執拗に請われて弥兵衛の一人娘「幸」の婿養子となって、播州赤穂藩・浅野家に仕えるが・・・・・。
この小説に触れたことで、堀部弥兵衛の生き様を垣間見る事ができた瞬間である。
小説の世界であり当然フィクションの部分も多彩であるが、池波小説の世界に誘われ秋の夜長を満喫している・・・相も変わらず。
それが、また楽しいひと時でもある。(夫)
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