かって、家出をして新宿の街にもぐりこんでフーテンしていた頃、ボクは帆布で作った船員バッグのようなフーテンバッグの底に、ランボーの詩集とヘンリー・ミラーの小説、そしてアレン・ギンズバーグの詩集『吠える』を忍ばせて着の身着のまま家を出た。サツキの花が咲き乱れる季節、ボクは片手に檸檬を握りしめ、まず新宿の紀伊国屋書店の梶井基次郎の作品の前にそれを置いた。それが、梶井基次郎に敬意をあらわす精一杯の方法だった。紀伊国屋書店で本をギルより、その檸檬を爆弾に見立てて「丸善」に仕掛けた基次郎を踏襲したのだ。
ボクにとっては、それは鮮烈な想像力のテロルだったが、おそらく書店員は、そのイマジネーションの意味も理解することなく、その放置された檸檬をいとも簡単に片付けたことであろう。
大島渚の『新宿泥棒日記』が、製作されるはるか前だったし、そのころボク自身もまだジャン・ジュネという泥棒作家の存在を知らなかったと思う。
そう、ボクは書を捨てるどころか、書を持っていきつけになりつつあった「ジャズ・ヴィレ」へ直行したのだった。実は、その大きめのフーテンバッグにはワンダーフォーゲルとか、信州の山の名前なんかが乱雑にマジックで手描きされていた。そのバックは「ヴィレ」で知り合った友人から譲り受けたものだった。「ヴィレ」で早い時期に知り合った仲間のひとりだったが、中上健次が後に書いたエッセイによると、彼は早死にしたようである。その名を染谷と言った。
夕焼評論/(つづく)
ボクにとっては、それは鮮烈な想像力のテロルだったが、おそらく書店員は、そのイマジネーションの意味も理解することなく、その放置された檸檬をいとも簡単に片付けたことであろう。
大島渚の『新宿泥棒日記』が、製作されるはるか前だったし、そのころボク自身もまだジャン・ジュネという泥棒作家の存在を知らなかったと思う。
そう、ボクは書を捨てるどころか、書を持っていきつけになりつつあった「ジャズ・ヴィレ」へ直行したのだった。実は、その大きめのフーテンバッグにはワンダーフォーゲルとか、信州の山の名前なんかが乱雑にマジックで手描きされていた。そのバックは「ヴィレ」で知り合った友人から譲り受けたものだった。「ヴィレ」で早い時期に知り合った仲間のひとりだったが、中上健次が後に書いたエッセイによると、彼は早死にしたようである。その名を染谷と言った。
夕焼評論/(つづく)