風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

けなげに生きてね!ダイちゃん!

2007-09-20 22:28:21 | コラムなこむら返し
1 ダイちゃんとは、ある繁華街の場末の酒場で会った。とはいえ、ダイちゃんはまだ5歳くらいの男の子だから、酒を飲んでいた訳ではない。その東京都内とはいえ、次の駅が神奈川県という県境に近いある私鉄のガ-ド下に密集する飲み屋の店先のひとつにキャンプ用の椅子を出して、ダイちゃんはちょこんと座っていたのである。
 ふと見れば、その店はメニューがタイ語で書かれてあり、タイ料理と酒を出す小さなスナック風の飲み屋さんだった。タイ好き、タイ料理好きのボクはダイちゃんに話し掛け、一も二もなくそこで飲むことにした。
ダイちゃんはなかなか可愛い男の子だったが、そんな場末の飲み屋の店先でひとりぽつねんと座っているのは腑に落ちなかった。
 はじめは相手にしてもらえなかったが、徐々にダイちゃんは打ち解けてきて色々話してくれた。それによると、ダイちゃんのお母さんは、タイ人でお父さんは日本人。そしてお父さんは「悪いひと」で、お母さんと別れちゃっていまはお母さんと二人で住んでいて、お母さんは目の前のビルの5階のクラブで働いているらしい。ダイちゃんはその店の前にあるスナックで、コンビニおにぎりを食べながら、けなげにお母さんの仕事が終わるのを待っているのであるらしい。このボクがはいったスナックは近隣のタイ人の連絡場所になっているらしく(近くにはさらに2軒のタイ料理屋さん、タイマッサージ屋があった)、店先には絶え間なくタイ人女性が立ち寄っていた。それもそのはずで、このスナックもマスターは日本人だが、ママはタイ人女性であった。背の高い中学生くらいの娘さんもよく2階から降りてきては、トイレや水を飲んでいる(当然、彼女も日タイのハーフだが、そんな風には全然見えない)。

 スナックでカラバオのMVなどを掛けてもらいながら飲んでいる内に、時間になったのかダイちゃんのお母さんが向いのビルから降りてきた。色白のダイちゃんはもしかしたら、パパに似たのかも知れなかったがダイちゃんはママに似ていると言い張っていた。ダイちゃんはお母さんのママチャリの後部に乗って帰って行った。「バイ!バイ!」と元気に手を振りながら……。
 お母さんは終始不機嫌そうだったが、ダイちゃんは最後にはすっかりボクなどを友だちのように扱っていた(この日の相方も子どもが好きで良かった)。わずかの時間のふれあいだったが、ボクはダイちゃんのこともダイちゃんをなにげに預かってあれこれお菓子などを与えているこの気のいいスナックのことも気に入って、この店にまた来ようと思った。
 ダイちゃん! 元気でけなげに生きてね!

(このような日本人の父親がタイ人女性との間に作ったこどもたちは、フィリッピンなどの例を含めてかなりの数に昇るだろう。その中には、売春行為の中で生まれてしまったケースもあるようだ。ただ、父親もしくは母親が日本人と認められれば、その子の母親もしくは父親には在留許可証が認められるので、長期滞在が可能になる。それをあえて利用しようとする例はないだろうが……。)